静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

6月17日 天のマナ

2007年06月17日 | 天のマナ
 「世の終わりまでいつも」             

 先日のライフラインラレーのメッセージの中で関根先生が、「人は永遠の同伴者を求めている」という語りかけがなされました。それを聞きながら、自分の心を見つめ直しますと、「そうだなあ」と思いました。

 幼児~子供の頃は両親を、そして子供~青年になると友達や恋人を、青年からはさらに伴侶や子供をという同伴者を求めるのではないでしょうか。どんなに力が強いように見える人でも、仲間や相棒を求めるのであります。それは、神様が人間を永遠の同伴者を求めるように造られたからであります。言い換えれば、人は一人では孤独であり、いつもいつまでも一緒にいてくれる人を求めているのであります。

 親は子供といつまでも一緒にいたいと願うでしょう。親友や恋人、夫婦の会話にも、「いつもいつまでも一緒にいるよ」という言葉があり、心を熱くさせ安らぎを与えます。その気持ちは本当に素晴らしいものです。しかし、この「いつもいつまでも」は、気持ちはそうであっても、実際には限りのある人間では無理であります。しばらくは続いたとしても、最終的には死がそれを妨げるからです。

 では、「この求めは叶えられないのか」というとそうではありません。あなたを愛し、あなたの救い主である主イエスのはこういっています。「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいるのである」。
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主日礼拝説教要約

2007年06月17日 | 説教要約
「さあ、起きなさい」 マルコによる福音書5章21~24、35~43節

 主イエスは、命を付与する方であることを、ヤイロの娘をよみがえらされることによって示している記事であります。

Ⅰ ゆれる人の心
 会堂司ヤイロには愛娘がありましたが、彼女は死にかかっていたのでありました。父のヤイロは、必死になって主イエスのもとへ行き、ひざまずいて「娘に手を置いて癒してください」と懇願いたします。主イエスが引き受けてくださったことで、喜びます。しかし、途中、主イエスが他の女性の癒しをします。一刻を争う時なので、彼の気持ちは複雑になります。けれども癒されたその女性の事実を見て、自分の娘も癒される期待と信じる思いを深めます。そんな時に、家から来た者が娘の死を知らせを受けます。今度は絶望へと落とされます。彼の心は大いに揺れているのです。私達の心もそうではないでしょうか。

Ⅱ 主イエスへの信仰に根ざす幸い
 そんな彼に主イエスは、「恐れることはない。ただ信じなさい」と言われるのです。これは「今恐れていることをやめて、今までのように私(イエス)が救い主であると信じ続けなさい。命が与えられると信じ続けなさい」という継続的な内容です。そして、主イエスは、彼の家に入り、娘の手をとって「少女よ、さあ、起きなさい」と言い、命を付与されたのでありました。少女はすぐに起き上がって歩き出しました。

 私達が、主イエスの御業を体験するために必要なのは、信仰です。そして、どんな状況でも信じ続けることが必要なのです。問題や困難の中にありますが、私達に語られている主の言葉を信じ続け、主に信仰を増していただいて、主の御業を体験していきましょう。

2007・6・17 説教者 杉本守

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講壇の花

2007年06月17日 | 生花

担当 A・N姉
                                          投稿 S・I

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