②
「三原じゅん子が夢実現、介護施設オープン」
女優三原じゅん子(45)が東京・三鷹市に念願だった介護施設「だんらんの家 三鷹」をオープンしたことが2日、分かった。三原は「約1年半前から計画していました。まだ、スタートという感じ。まだ、何軒も作っていきます」と語った。
オープン日の1日付の公式ブログでは「白を基調にした2階建ての一軒家をリフォームした、落ち着ける『第2のわが家』と思っていただける施設となっております」と紹介。宿泊も可能な施設はあるものの、通所介護のスタイル中心の施設として運営し、高齢者を中心に利用されている。
先月28日には「これが夢でした。約15年前、父が倒れ、それからずっと介護する母を見てきました。そして一昨年、自分が(子宮頸=けい)がんになり、介護される側になりました。命が助かった時、本気で介護施設を作ろうと動きだしました」と施設を設けた経緯を説明した。(2010年3月3日 全国紙)
これも驚きだ。
人の内面的なことはわからないので「あの三原じゅん子か?」と思ってしまう。
長年の夢・・?とはいえ、相当な思い入れがないと実現できないことである。
つい、宮城まり子氏を思い出す。開設したからには成功してほしい。
決して、途中で責任を放棄しないで続けて欲しいと願う。
「三原じゅん子が夢実現、介護施設オープン」
女優三原じゅん子(45)が東京・三鷹市に念願だった介護施設「だんらんの家 三鷹」をオープンしたことが2日、分かった。三原は「約1年半前から計画していました。まだ、スタートという感じ。まだ、何軒も作っていきます」と語った。
オープン日の1日付の公式ブログでは「白を基調にした2階建ての一軒家をリフォームした、落ち着ける『第2のわが家』と思っていただける施設となっております」と紹介。宿泊も可能な施設はあるものの、通所介護のスタイル中心の施設として運営し、高齢者を中心に利用されている。
先月28日には「これが夢でした。約15年前、父が倒れ、それからずっと介護する母を見てきました。そして一昨年、自分が(子宮頸=けい)がんになり、介護される側になりました。命が助かった時、本気で介護施設を作ろうと動きだしました」と施設を設けた経緯を説明した。(2010年3月3日 全国紙)
これも驚きだ。
人の内面的なことはわからないので「あの三原じゅん子か?」と思ってしまう。
長年の夢・・?とはいえ、相当な思い入れがないと実現できないことである。
つい、宮城まり子氏を思い出す。開設したからには成功してほしい。
決して、途中で責任を放棄しないで続けて欲しいと願う。
様々の情報をありがとう存じます。
先生にご質問がございます。
「あの三原じゅんこか?」・・・
彼女は、命と向き合った時期があったそうですね。
人は、現在(今)よりも過ぎてしまった日々が大切でしょうか。
そして、他者が思い描く「その人へのイメージ」が「その人」なのでしょうか。
先生のお立場だからこそ、お聞きしたく存じます。
この記事は投稿しょうか?どうか迷いました。
私の一方的な印象ですが。
①女優だから、記事になったのかな?。
地方で人の少ない田舎、地域でも苦労して介護施設を立ち上げて頑張って方々もいます。
そうした先駆者も同じように記事で取り上げてほしい願望がありますね
②介護サービス事業所の責任者なの?
責任者となれば、理念や経営のこと、サービス提供のこと、職員のことなど討論や決まりごとをまとめ上げて開設に至るものと考えます。
法人設立や役所への提出物、設計等などもですね。
思いや夢だけでは実現しない世界だし、厳しい現実を見てきたつもりです。
多くの仲間や知人もその狭間で悩んでいるわけです。
女優三原じゅん子氏にその能力があった。
③どんなご苦労をして開設にこぎつけたのか?
動機がどうなのかな?
記事だけでは解らない。知らないことばかり。
私の知る限りでは、金八先生でデビュー、女優、つっぱり、女性初?レーサー、コアラとの離婚、強気のイメージのある女性。とても介護や福祉に理解がある方と思えませんでした。そこは女優ですので、裏と表、虚像はあると思います。ビジネスとして参入するなら、それなりに判るのですが、介護や福祉の分野に安易に入り込んできた印象があり、少し心配です。
でも、事業家としての能力はあるかも。
④やるからには頑張って!
私にはできない分野なので遠くから見守りたい。・・の気持ですが、宮城氏とは3回位お話しを聞きました。とても苦労された。宮城氏でないとできない領域の事業と思います。三原氏も女優の肩書きを背負いながらやるわけで、頑張って。
⑤私達も勇気や頑張りをもらえるようになりたいものです。よい実践が評価されて、明るい介護保険へと進むことを願っています。
有り難く拝読いたしました。
これまでの軌跡があり、そして前だけを見つめて「これから」を生き、そして生かされていることに気づいて行くことなのでしょう。
そうして初めて「大切なのはこれから」と言えるのかもしれません。
何時の日か、人は自分の役割を知るのだと思います。
未知の世界へ踏み出して「自分の道」を歩めるのも、自分しかいないものですね。
先生、有り難うございます。