海の戦記シリーズの空母瑞鶴(ずいかく)。3巻の不沈<戦艦長門>では部外者のレポートみたいな戦記にずっこけましたが、今度は入念な取材による本物の戦記です。ロンドン軍縮条約により保有艦艇の総量を厳しく制限された日本海軍は、自家技術の開発による海軍力整備を望み、初期の艦艇をイギリスなどに発注した後、それをコピーすることで驚くほど短期で軍艦造船のノウハウを吸収しました。主体になったのは川崎造船などの民間企業ですが、海軍が上、民間は下という意識が強く、海軍からの指示による場当たり的な設計変更や期限短縮が頻発する中、一線の技術者たちは夜を日に継いで文字通りの滅私の精神でこれに応え、かくして最新、最強の空母である翔鶴と瑞鶴が完成したのです。
急ぎに急いだ実戦投入は真珠湾の奇襲で大戦果を挙げることに繋がりますが、当初は分の良かった海空戦も、熟練した乗組員の損耗により次第に優位性を失い、やがてアメリカ側の技術革新と圧倒的な物量投入により形勢は逆転します。昭和19年秋にはまともな海空戦をこなすだけの飛行機もなく、待ち構えるアメリカ軍の機動部隊により度重なる攻撃を受け、歴戦の瑞鶴もついにエンガノ岬沖に没します。
この頃にはアメリカ海軍は日本の制空権がないことを見抜いており、戦争初期のようにお互いに攻撃隊を繰り出して艦船を索敵、攻撃し合う戦法を廃していました。圧倒的に優位なレーダーによる索敵で日本の攻撃隊の接近が丸見えだったため、強力なグラマンF6F戦闘機を機動部隊上空に待機させてこれを迎撃し、何とかこれを掻い潜った少数の攻撃機は、新開発のVT信管を装備した対空火器でほぼ完全に殲滅することが可能だったからです。飛行機を失って丸裸になった日本の機動部隊はアメリカ攻撃隊の餌食であり、艦船相互の距離を取って同時に沈められないようにするぐらいしか手がなかったようです。最初から日本の敗北も兵員の戦死も見えている惨めな戦いでした。
海空戦では艦船を攻撃する爆撃機と、より威力の大きい魚雷を搭載する雷撃機、両者を護衛する戦闘機、そして敵機の攻撃から艦船を守る対空火器が入り乱れての戦いとなります。軽快な戦闘機と違って爆撃機は動きが鈍く、重い雷撃機は更に鈍重なため、味方の戦闘機隊なしでは容易に撃墜されてしまいます。戦闘機と熟練した乗員の不足が顕在化するにつれて、日本側爆撃機と雷撃機の未帰還率(ほとんどが撃墜による戦死)は100%近くなり、空母も沈められたため、この時点で戦争の続行は事実上不可能でした。
機動部隊を失った後の日本は最悪の手段である特攻を採用し、前途有為の若者を次々に失って得た代償と言えば、全面降伏を1年近く遅らせただけ。為政者の判断の誤りが、最も貴重な国民の生命を失わせたわけです。太平洋戦争の戦記の多くが、二度と戻らなかった多くの若者への鎮魂の意味を持つのは当然のことです。物言わずに戦場に散った人たちの声が少しでも伝わって欲しい、という作者の悲痛な思いが時を越えて伝わります。