いーなごや極楽日記

極楽(名古屋市名東区)に住みながら、当分悟りの開けそうにない一家の毎日を綴ります。
専門である病理学の啓蒙活動も。

ナトリウム封入バルブの化学

2014年06月19日 | 自動車
 ホンダの軽自動車であるN-WGNなどが、燃費改善の要請に応えるためにエンジンを改良し、その目玉がナトリウム封入排気バルブだそうです。昔からほぼレーシングカー専用の技術であったナトリウム封入バルブを、軽自動車に導入したのは凄い技術の進歩だと思います。これから採用が増える可能性もあるので、少しおさらいしておきましょう。

 まず、自動車のエンジン部品の中で、一番高温になるのが排気バルブです。シリンダーの中の温度分布は均一ではなく、エンジンの種類や使い方によっても違いますが、中心に近いほど温度が高くなります。高温になるように見えるシリンダーブロックは外から冷却されているし、膨張時に温度が低下するため、冷却水が正常に循環していれば熱による損傷はあまり考えなくていいはずです。これに比べると構造が複雑で冷却しにくいヘッド周りの環境がより厳しいはずで、特に吸気やガソリンで冷却されにくい排気側が一番高温になります。バルブは燃焼室内に突出するので尚更です。

 従って排気バルブを溶かさないために燃焼温度を下げるか、非常に熱に強いバルブを採用するか、あるいはバルブを冷却するか、のいずれかが必要になります。燃焼温度を下げるには例えば混合気を濃くして、ガソリンの気化熱でシリンダー全体を冷やすガソリン冷却を昔はやっていました。環境や燃費への要求が厳しくなった今では使いにくい手法です。

 あるいは排気ガスを再吸入させるEGRという技術です。排気ガスには酸素が少ししか含まれていないため、これを吸気に例えば10%混ぜることで燃焼温度が下がります。昔は大気より温度の高い排気ガスをほぼそのまま循環していましたが、今は冷却してから混ぜるクールEGRが導入され、効果が大きくなりました。ガソリンエンジンは決まった空気とガソリンの比、つまり空燃費で稼動するのが原則ですが、EGRは酸素を追加しないため、シリンダー内の酸素とガソリンの比は変わりません。従ってこれは酸素過剰で燃焼させる希薄燃焼とは区別されます。EGRは現在のガソリンエンジンに必須の技術ですが、EGRの量を極端に増やすことはできないようです。

 次にバルブ材質の改善ですが、インコネルなどの高度耐熱合金がレース用には使われているものの、一般のエンジンにはコストが高すぎて困難。それでもチタニウムやセラミックなどが使われることはあるようです。トヨタがレクサスISの前身であるアルテッツァにチタニウムの排気バルブを使っていたことがあって、これはかなり量産されたはずです。

 最後にバルブの冷却なんですが、バルブは傘型の形状になっており、一番高温になる傘の部分を何とか冷やしたいわけです。傘の柄に当たる細いステムが燃焼室のヘッド部分を貫いています。この細い部分に水冷用の循環パイプを通すことは現実的ではありませんが、中空にするぐらいの加工は可能です。そこで排気バルブを中空にして、傘の熱をステムを通って燃焼室の外側まで運んでくれる媒体があればいいわけです。物質は固体、液体、気体相互の相転移の際に大きな熱エネルギーを出し入れすることが多いので、燃焼室の内側と外側で相転移を起こす媒体があれば好都合。

 ただし、水は液体から気体になる際に体積が一気に1,700倍に膨張するので不向きです。この大きな膨張比があるため蒸気機関が成り立つのですが、バルブに封入することはできません。金属ナトリウムが適しているのは、融点が摂氏97度、沸点が887度とかなり高く、802度の高温でも蒸気圧が1kPaと低いから。つまり熱せられても中空のバルブを破裂させる危険がないからです。反面化学的には不安定なので、水に触れると爆発的に反応して熱と水素を放出します。扱いは難しいのですが、それ以上にバルブの熱媒体として優れているから採用されるわけです。

 今回のホンダが新しいのは、このナトリウム封入バルブを大幅にコストダウンしてきたこと。GT-Rなどに使われた技術が軽自動車まで下りてきたのだから感心します。今回は自然吸気エンジンだけのようですが、熱負荷の大きい過給エンジンでこそ威力を発揮するはずで、これからホンダが次々に投入してくると言われるダウンサイジングターボの各型において、この技術が生きてくることは間違いないでしょう。では今の燃費対策技術の中心であるハイブリッドではどうかと言うと、ハイブリッド用のエンジンは燃費効率を極度に高くするため、実質的なアトキンソンサイクルであるミラーサイクルを採用することが多く、アトキンソンの欠点である「冷却しすぎてエンジン単体では回らない」という問題が電気モーターにより解決されています。従って、高価な排気バルブを採用するよりも、ミラーサイクルの動作範囲すなわち膨張比を大きくすることが目標となり続けると思われます。エンジンの高負荷を想定したレース用のハイブリッドは例外として、一般のハイブリッド車にナトリウム封入バルブを使うことはないでしょう。
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