いーなごや極楽日記

極楽(名古屋市名東区)に住みながら、当分悟りの開けそうにない一家の毎日を綴ります。
専門である病理学の啓蒙活動も。

お雛様と初等教育

2007年02月09日 | 極楽日記

 極楽息子(大)が幼稚園で作ったお雛様。3年間通った幼稚園も卒園が近いので、これが卒園制作ということになるのでしょうか。

 この子も小学校に上がれば成績が評価されて、否応なしに受験体制に組み込まれていきます。いろいろ情報を集めているところですが、口コミの話を聞いているとデマに近いものもあり、振り回されないように注意と自制が必要だと思います。

 例えば、名古屋で盛んな「学区比べ」です。東京や大阪と比べて有力な私立中学が少ないため、「中学校の比較」がそのまま「学区比べ」になってしまい、あそこの学区はレベルが高いとか低いとかやっているわけです。確かに中学校の生徒を見た場合、名古屋市内でも学力の分布は学校によって違います。でも噂話のレベルで、「XX中学は荒れているからダメだって」などと言われるのを鵜呑みにはできません。

 私はかなり長く大学受験指導に関わっていたことがあるので、「子供は平等」「誰とでも仲良く」などという理想論には興味がありません。努力しなければ置いて行かれるのがこの世の仕組みです。しかし、状況判断は総合的かつ長期的でないといけません。

 入試のない公立学校である以上、学習意欲がない生徒がいるのは当然のことですし、問題生徒がいない中学校はないと思います。真剣に評価すべきはその人数と程度であって、一般の生徒に実害がないのなら、「あの子の内申点がみんなに回るんだな」ぐらいに思っていた方が気楽でしょう。授業が成り立たないほど荒れているのなら、その時こそ毅然とした態度をとるべきです。

 子供も保護者も、問題が起きる前から疑心暗鬼になって萎縮するのは却って良くないのです。昔からよく言われる中学校の内申点稼ぎにしても、噂で言われるほど教師の自由裁量などというものはありません。中学校では教科ごとの担任制ですから、ある教師だけが内申を大幅に書き換えることはできませんし、各教科の授業内容やテスト、成績評価も相互にチェックされていますので、勝手なことはできないのです。

 「成績がいいのに志望の高校を受けさせてもらえなかった」という話も昔からあります。確かに、新設高校ができた年などに、(教師個人とは関係なく)上からの指示で生徒を割り振ろうとしたことはあるみたいです。しかし生徒個人への好き嫌いで志望高校を受験させないことはあまり考えられません。進学実績は公立中学においても最もわかりやすい実績なので、それこそ学校を挙げて進路指導をするのが当然だからです。どの生徒がどんな成績だということはほぼ学校内の共有情報ですし、高校ごとの合格ラインは大手学習塾などの調査が公表されていますので、どの程度の高校に行くかは簡単に予想できます。もし個人の好き嫌いで進学実績を損なうようなことをしたら、その教師は学校にいられなくなるでしょう。

 それなのに先生のご機嫌をうかがっておかないと内申が悪くなるとか、盆暮れの贈り物をしないといけないとか、だんだん噂が雪ダルマみたいに大きくなって一人歩きをしているようです。もし社交儀礼の範囲を越えて金品を要求するような先生がいたら、すぐに新聞の一面に載るでしょうに。

 私にはむしろ先生方の方が保護者を恐れているように見えるんです。一応、粒の揃った(自由度がない、と言うべきかも)教師陣に比べれば、保護者の方によほど「とんでもない人」がいるはずです。1クラスで40人以上のピンからキリまでレベルの違う子供と、その両親、あるいは親戚まで相手にしないといけないんですからね。大変な仕事だと思いますよ。これは小学校でも同じでしょう。

 先生方の努力は認めますが、どう見てもオーバーワークですね。「だから公立学校の学習指導には期待できない」という意見は状況から判断すれば認めざるを得ません。密度の高い学習指導を学校に求めるのなら、一部の私立学校を選択することになります。名古屋には将来の高校、大学受験までを想定して学習指導している小学校がなかったのですが、南山大学附属小学校の開校で初等教育の状況がかなり変わると言われています。ただし来年からなので詳しいことはまだわかりません。通学には少し遠いし、制服があるのはちょっと窮屈な感じがします。息子を受験させるかどうかは悩ましいところです。
コメント
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