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いーなごや極楽日記

極楽(名古屋市名東区)に住みながら、当分悟りの開けそうにない一家の毎日を綴ります。
専門である病理学の啓蒙活動も。

極楽息子(大)の読書

2013年05月27日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 極楽息子(大)はルパンを愛読しているようです。この南洋一郎翻訳のシリーズは私も持っていてよく読みました。南さんは戦前に「少年倶楽部」に連載した冒険小説がベストセラーになった作家であり、一連のルパン物も翻訳と言うよりは改作により人気を博したようです。

 他の訳者による(原文の逐語訳に近いと思われる)訳でルパンを読んでみると、当時の小説のスタイルと思われる詳しい情景描写やエスプリの効いた長々しい会話などが、少年少女を対象に考えた場合はかなり読みにくかろうと思わせるのは確かで、子供向け冒険小説の乗りのいい筆致でルパンを再創造した南さんは、改作による批判を受けるものの、日本に多くのファンを得ることに成功しました。

 世界的な知名度があると思われているルパンシリーズは、意外にも本国フランスと日本以外ではあまり知られていません。これはドイルやクリスティーの作品が世界でロングセラーとなり、何度も映画やテレビシリーズになっているのに、ルパンの映像化が極端に少ないのを見ても納得できます。日本ではルパンへのオマージュが「ルパン三世」を生み出したほどの国民的な知名度があるのは、南さんの功績が大きいと考えていいでしょう。

 こっちは学校の図書館から借りて来たそうです。英語を始めたばかりでいきなり英語の詩集とは大胆ですな。まあ、語学に限らず学問では大胆、身の程知らず、猪突猛進は大いに結構です。失敗を恐れるのは家族を養う重圧が掛かってからでよろしい。
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大どろぼうホッツェンプロッツ

2013年02月21日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)
 「大どろぼうホッツェンプロッツ」(原題はDer Räuber Hotzenplotzなので、大どろぼうではなく単にどろぼう)シリーズで知られる児童文学者のプロイスラーさんが亡くなられた、と各紙で報道されています。ちょうど極楽息子(小)に読んでやったところでした。ご冥福をお祈りします。

 大どろぼうと呼ばれながら、実はおばあさんのコーヒー挽きを盗んで逮捕され、焼きソーセージとザワークラウトを食い逃げしただけのホッツェンプロッツは、絵柄からもわかるようにちょっと間の抜けた男で、武器もこしょうピストルぐらいしか使いません。これを追いかける警官のディンペルモーザーもおっちょこちょいで、逆に捕まって監禁され、二人の少年に助けてもらいます。少年たちもヒーローと言うよりは素朴で欲のない田舎の子ですが、幸運や妖精の助けを借りて苦境を脱します。

 作者のプロイスラーさんが原書を発表したのは1962年。ヨーロッパではナチスドイツの爪痕も生々しく、軍靴で周辺国を蹂躙したドイツ軍人のステレオタイプ的なイメージも強く残っていたことでしょう。かつてドイツ陸軍兵として東部戦線で戦い、ソ連の捕虜となったプロイスラーさんは、戦後は教育に転じる中で、何とかして平和な時代のドイツ人像を構築したかったのではないでしょうか。伝統を守り、体は大きいがお人よしでぐずな田舎者(古い本などを見ると、ドイツ人よりは、どちらかと言えばスイス人をからかう際にこのような言い方がされるようですが)という登場人物の性格は、作者の平和を希求する気持ちの現れだったのだと思います。








Der Raeuber Hotzenplotz
Thienemann Verlag Gmbh
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False Impression

2012年10月31日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 イギリスの元国会議員にして最も人気のある作家、Jeffrey Archerの割と最近の作品です。邦題は「ゴッホは欺く」。題名からはわかりませんが、2001年9月11日の同時多発テロを背景に仕掛けを組んでいます。また中心となるのが1989年のチャウシェスク失脚前後のルーマニアから海外に逃れた3人。美貌の美術鑑定家アンナ・ペトレスクと、手荒い手段で美術品を巻き上げ、短期間に銀行家としてのし上がったフェンストン、そして子飼いの女殺し屋クランツ。国際的な動乱にプライベートな詐欺とか殺人とかをうまく絡めていく手法は「ゴルゴ13」とかでも馴染みのものですが、さすがにうまく構成してあって楽しめるようになっています。

 フェンストンは移民後の通名であり、本名はニク・ムントーヌ。元はチャウシェスクの下で裏金を扱っていた人物。チャウシェスク下の人脈を熟知しており、ワシントンに潜入していた元同僚の名前を売り渡す二重スパイ行為によりアメリカ国籍を手に入れます。高価な美術品を担保に旧家の当主などに融資して、法律に暗い持ち主をかく乱し、時には殺人まで行って美術品を取り上げることをビジネスにしています。アンナは彼の下で美術鑑定を仕事にしていましたが、あまりに酷いやり口に反発して、ゴッホの持ち主であるビクトリア・ウェントワースに打開策を示したことから首になり、命まで狙われるようになります。

 殺し屋クランツはルーマニアのナショナルチームにいた体操選手でメダル候補だったのに、練習中に脚を痛めてオリンピックに出場できず没落。小柄で警戒されない外観と超人的な運動能力を買われてチャウシェスクのボディーガードになり、その後フェンストンに拾われて殺し屋になります。銃を使わず、現場で調達したありふれたナイフを使って一撃で相手の喉を掻き切る技を得意とし、周りに気付かれずに逃走します。殺した相手の耳を切り取り、証拠としてフェンストンに送り付けるという猟奇的な面もありますが、奇しくも今回のターゲットになるのはゴッホ「耳を切った自画像」。ルーマニアの体操選手といえば今でもコマネチを思い出します。確かにあの風貌で殺人者だとしてもわからないかな。

 ゴッホが収蔵されていたのはロンドン近郊にある架空のウェントワース・ホール。屋敷の設計はハワード城と同じ人物と設定されています。NHKで見たことがありますが、このハワード城は凄い。これならゴッホの1つや2つは収蔵しているでしょう。舞台設定が楽しめるのも、この本の魅力だと思います。
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No Time for Goodbye

2012年10月04日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 ミステリー小説、推理小説は久しぶりなのですが、これは面白い。両親に反発して男友達と飲み歩いていた少女が、父親に連れ戻されて目覚めてみると家の中には人の気配がなく、両親と兄が手掛かりもなく失踪している。その後25年間に渡ってこの事件は迷宮入りとなり、彼女も自分の家族を持って平凡に毎日を送っていた。しかし今になって昔の失踪と関係のありそうな不可解な事件が起こり始める。果たして真相は明らかになるのか。また正体不明の敵から家族は逃れられるのか。彼女の夫である高校教師、テリーの苦闘が始まる。

 物語前半の、姿のわからない敵からの圧力は、25年前の事件でただ一人残ったシンシアにしかわからないものであり、彼女の必死の訴えは周囲には神経症的なものにも見えた。妻を疑う心情と戦いつつも、妻を信じて行動範囲を広げていくテリーの周囲で、ついに見えない敵からの本格的な攻撃が開始される。掴み所のない事件に、時には明快な推理で、時には体当たりで向かって行くテリーの活躍は見ものです。

 話題性だけを取り上げるテレビ局のスタッフ、25年前の事件解決の鍵を秘める周囲の人々、不安に苛まれるシンシアと、その不安を察知する娘のグレース、一儲けを当て込むいんちき超能力者など、登場人物の描写も見事。後半の息もつけない目まぐるしい展開まで巧みに繋いでおり、退屈させません。物語が大きく動き出してからは、表紙にあるように「ページが飛んでいくように読める。読み終えるまで席を離れられない。」という感じです。さすがに500ページ近い長編なので、一気に読むのは苦しいですが。

 邦訳は「失踪家族」ですね。訳本は読んでいないのでわかりませんが、私は原著で大いに楽しめましたので、原著をお薦めしておきます。















No Time for Goodbye
Bantam



失踪家族 (ヴィレッジブックス)
リンウッド ・バークレイ
ヴィレッジブックス

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「夜光怪獣」「いじわるばあさん」

2012年05月25日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 これも実家の発掘本。ホームズ、ルパン、少年探偵団シリーズはほとんど持っていましたので。「バスカヴィル家の犬」として有名な長編を子供用に改題したようですね。当時は怪獣ブームだったのでいい題だと思ったのでしょうが、原題からあまり外れるのは感心しません。

 昔は欧米の映画でも日本での公開時には独自の邦題を付けることが多くて、"Waterloo Bridge"が「哀愁」とか、"The Longest Day"が「史上最大の作戦」、"Bonnie and Clyde"が「俺たちに明日はない」など、原題を留めないものが少なくありませんでした。この本もそんな風潮に影響されたのでしょうかね。

 男の子として「サザエさん」とか「いじわるばあさん」がたいして好みだったわけではなく、「小説や伝記を買ったら漫画も1冊買ってよい」という約束になっていたので、近所の小さな本屋で気に入った漫画がないときに、「これでもいいか」と買ったものだと思います。確かに子供向きとは言えないでしょうが、こればかりは歳を取ってもあまり面白さがわかりません。今にしてみれば無駄な出費でした。
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「おそ松くん」「メチャクチャNO.1」

2012年05月18日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 これも実家で発掘しました。ギャグ漫画の王様、赤塚不二夫の代表作です。子供の頃に読んでいたものなので、カバーはないし書き込みはしてあるし、状態は相当悪いですが、単行本なので紙質はいいらしく変色はほとんどありません。

 この頃の赤塚ギャグは子供が対象だったので、後年のものに比べると捻った感じがなくて、ごく気軽に連発している印象があります。後の「毒のある」ギャグが好きな人もいるでしょうが、私はこの時代の赤塚作品で育ったので、この方が疲れなくていいですね。

 こちらは「メチャクチャNO.1」。これも何だか書き込んでいます。

 主役の「ボケ夫」以外のハタ坊、馬鹿息子などはキャラクターの使い回しです。ボケ夫も後のバカボンに近いとされていますが、お人よしで無能なバカボンに比べると、ボケ夫の方が多芸です。と言っても力が強くて口の形を変えられるだけですが。
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「日本の戦闘機」「拳銃画報」

2012年05月17日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 昔読んでいた本を、極楽息子(大)が実家で発掘してきました。こういう図鑑や戦記物は好きでしたから、たくさんあります。小学校でも男の子はこの手の本をよく読んでいて、話題が豊富でした。

 昭和40年代の、いわゆる「戦後教育」は平和ボケの原因だとか批判されることが多いですが、漫画雑誌の特集にも戦争物はよく出てきていましたし、戦争や軍隊、自衛隊についても平均的には今の子供よりずっと知っていました。勉強は学校だけで教わるものではないし、教師のスタイルはそれぞれであって、日教組の意向だけで決まるものでもありません。まして学校を一歩出れば、日教組の影響力なんて皆無だったんですよ。日教組が問題でないとは言いませんが、それにしても「戦後教育」を一律に批判する人たちは、日教組の影響を過大評価していないでしょうか。

 零戦の各型の見分け方なんて、何の実用性もない知識ですけど、当時の男の子はこんなことを競ったものです。

 こちらも当時の日教組や教育委員会からは歓迎されなかったであろう「拳銃画報」。アメリカ製の西部劇や刑事ドラマがまだ人気のある時代でしたから、銃への興味は強かったです。銀玉鉄砲やカンシャク玉の鉄砲で遊んだ最後の世代でしょうね。

 拳銃の最高峰と言えばいろいろな基準があるでしょうが、単純に威力で考えれば「ダーティー・ハリー」でキャラハン刑事が軽々と使いこなしていたマグナム44です。重たいし銃身も長いので持ち運びは不便でしょうね。本当の刑事がこんなでかい拳銃を常用しているわけではないでしょうが、少なくとも当時の子供にはアピール抜群でした。
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Capitalism and Freedom

2012年04月06日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 電車の中ではちょっと読みにくいですが、経済学の古典として有名な"Capitalism and Freedom"に挑戦することにしました。アメリカで共和党の大統領候補選を戦っているRon Paulさんは、小さな政府を目指すリバタリアニズムの提唱者として名高く、多数派ではありませんが現状の政治に不満を持つ層から根強い支持を受けています。その理論的な先駆になったのがこのMilton Freedmanと聞いています。

 初版が出たのは1962年ですからもう半世紀前。その基本理念が今でも通用するどころか、今こそ求められているのですから、その先進性には驚愕します。民間ができることを国家がやっても、高くて悪いものができるだけ。国家の役割は自由を守るだけであり、必要以上の国家への権力集中は民間の自由な競争への介入に繋がり望ましくない。町でできることを州がやらない。州ができることを国がやらない。実に明快です。

 アメリカでもリバタリアニズムの思想は、「強いアメリカ」「国民を守る政府」という家父長主義的な先入観に押されて、必ずしも主流にはなっていませんが、自民党から民主党に受け継がれて拡大したバラマキ型支出が目を覆うばかりになり、肥大した政府機構が行き詰まった日本でこそ、Freedmanの思想が検討されるべきである、というリバタリアンの主張には説得力があると思います。専門外の本なので正しく理解できているのか少々不安ですが、興味深く読み進められそうです。








Capitalism and Freedom
Univ of Chicago Pr (Tx)


資本主義と自由 (日経BPクラシックス)
ミルトン・フリードマン
日経BP社


もし小泉進次郎がフリードマンの『資本主義と自由』を読んだら
日経BP社

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大岡越前

2012年04月04日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 写真がボケちゃいましたね。名奉行として知られる大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみ・ただすけ)の半生記です。在任時代より理想の政治家として庶民的な人気があり、そのため「大岡政談」として数多くの創作がなされたため、有名な割に実像はよくわかっていない人物です。

 この吉川英治「大岡越前」では若い頃の忠相を意志の弱い不良青年として描き、女性関係の失敗で大きな原罪を背負った人物と設定しました。普通なら、堕ちるところまで堕ちた忠相が武士として再生し、それどころか八代将軍吉宗の目に留まって大出世をするなんてことは考えられません。時代は前例にやかましい江戸時代なのですから。この辺の設定は普通に考えれば無理筋もいいところです。

 更に強引なのはラストの吉宗との対決です。犯罪者を生んだ、いや無辜の民を犯罪者に追い遣ったのは五代将軍綱吉時代の悪政であり、それは紛れもなく将軍家の罪である、と吉宗に諫言します。民主化以前の社会では、古代中国の書に「刑不上大夫」(刑は大夫に上らず)とあるように権力者が法律に超越しているのが当然で、一度定められれば時の将軍とて法に従わねばならない、町奉行は法の執行者である、という吉川さんの論理は江戸時代には通用しなかったはずですね。

 このような「大岡政談」としても仰天のストーリーになった背景は、この本が終戦後の1950年に出版されていることから明らかです。以前「梅里先生行状記」を読んだ時に感じたように、国民作家と言われた吉川さんは、時代小説の第一人者でありながら世相を敏感に反映する人でした。戦時中など、そうでなければ身の安全が保障されないのですからこれは仕方がないでしょう。

 この「大岡越前」の強引なストーリーも、その下に流れているものは戦後の民主化と、復興に向けての興奮です。人間はどこまで堕ちようが必ず這い上がることができる。みんなで決めた法律はどんな権力者にも優越する。そんな新しい時代の息吹を、吉川さんは昔からの大岡政談に込めたのでしょう。今にしてみれば少々はしゃぎ過ぎにも見えますが、当時の読者が溜飲を下げたであろう事は想像に難くありません。
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陽だまりの樹

2012年04月02日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 「陽だまりの樹」を極楽息子(大)と楽しんでいます。漫画は漫画ですが、間違いなく大人の鑑賞に堪えるもので、息子にもありきたりな小説を読ませるよりずっといいと思います。

 読み切り、毎回解決型の展開が多い手塚作品では異例な長編であり、朽ちるに任された「陽だまりの樹」である徳川幕府の最後の支えとして激動の時代を駆け抜け、役目を終えて去って行った武士と医師を主人公に擁し、そして時代の波に飲み込まれた人、あるいは乗り越えた人たちを劇的に描いています。

 主人公の手塚良庵(後に良仙を継ぐ)や緒方洪庵、山岡鉄舟、西郷隆盛といった実在の人物に加えて、伊武谷万二郎などの想像上の人物が大きな役割を果たしていますが、これは例えば吉川英治さんが言われるところの、「小説家としてのアプローチにより、単なる歴史学以上の真実に迫る」手法と同様のものと思われ、資料として残っていないだけで万二郎のような幕臣は間違いなくいたものと信じさせるだけのリアリティがあります。

 もちろん漫画として読んで面白いことが前提ですから、海音寺潮五郎さんのような厳密な事実描写ではありえませんが、歴史小説の王道に沿った創作であり、手塚治虫さん自身のルーツを解き明かす意欲も感じられて、興味深く読ませて頂きました。
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毎日おいしい野菜のおかず

2012年01月27日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 タイトルと、Amazon.co.jpでの評判を見て買ってみました。出版社が東京地図出版。だからなのか、地図帳を思わせる横長の変形本です。どこからでも開いて気軽に作ってほしい、という作者の意図を反映したものでもあるでしょう。

 2stepレシピなる書き方にどれだけ意味があるのかはわかりません。初心者用、あるいは急いであと一品、というクイック料理なので、元々のレシピが単純なものが多く、わざわざ二段階に分ける必要があるのかな、というものもあります。まだ実際に作っていないので、本当の使い勝手まではわかりませんが。

 先日、「ル・クルーゼで料理」の方で鋳物鍋による蒸しゆでのマジックを体験した直後なので、少なくとも実際の料理よりも、どちらかと言えば「料理本の読書」が目的である私には響きませんでした。男性によくあるように私も道具好き、機械好きなので、鋳物鍋やら圧力鍋、バーベキューグリルみたいな道具から入る料理の方が取っ付き易いです。
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ル・クルーゼで料理

2012年01月25日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 いかにもフランスらしいお洒落で頑丈なイメージが日本の道具好きに受けたものか、人気のあるル・クルーゼの鍋。極楽家も何年か前に買ってみたのですが、カレーやシチューの煮込み料理ばかりで、正直言って普通の鍋とどこが違うのかなあ、という印象を受けていました。圧力鍋みたいな圧倒的な早さや、逆にシャトルシェフみたいな省エネルギーと安全性というわかりやすいアピールがないので、極楽家では単に重くてカラフルな鍋として使われていたに過ぎません。

 そこでこの本です。何しろ15分でつくるとありますので、簡単でいいじゃないですか。普通の見出しなら買わなかったと思います。レシピ通りではないですが、白菜と豚ばら肉の蒸しゆでを試してみました。ちょうど頂き物の白菜がたくさんあったのです。材料はほとんどこれだけ。庭にあったネギと、水を半カップ足したぐらいです。

 中火にかけて、何もせずに待つと、10分後にはその「蒸しゆで」らしいものができていました。白菜と豚肉の水炊きはありふれた鍋料理ですが、その蒸しゆで版です。土鍋の水炊きと違うのは、手軽さと白菜の風味の濃厚さ。水炊きと違って、外から加える水が少量なので、味付けをしなくても素材のだしがたっぷり出ています。これはいい。ぽん酢醤油で水炊きと同じように食べてみましたが、明らかに水炊きより旨いです。こりゃ土鍋はお役御免だな。

 密封性のある蓋で鍋を封じ込めて水分が逃げるのを制限して料理する、いわゆる無水料理はビタクラフトに代表される多層構造の鍋を支持する人たちが広めたものだと思いますが、ル・クルーゼやストウブなどの重たい鋳物鍋でも同じように鍋の底面と側面の広い範囲が均一に加熱される特徴があり、密封性のある重い蓋の効果もあって、同様の調理ができると言われています。

 ガスやIHで加えた熱のかなりの部分は水を気化させることに使われています。せっかくの湯気や蒸気が逃げてしまうと熱効率が悪くなり、しかも乾きやすくなる、つまり焦げやすくなるため余計に水を加えないといけなくなります。この連鎖を断ち切って、効率のいい均一な加熱と、風味や栄養分が水に逃げないようにするのがこの無水料理でしょう。実際には少量の水を加えるので、著者は無水料理という言葉を嫌って「蒸しゆで」と記載していると思われます。

 この蒸しゆでを試してみれば、薄いアルミ鍋とル・クルーゼの違いは歴然としています。煮物のイメージが強いル・クルーゼですが、この本でまず短時間料理を強調されたのは実に適切であり、ル・クルーゼで料理してみようという初心者には絶好の入門書だと思います。最初がうまくいけば、他の料理だって作ってみたくなりますからね。







ル・クルーゼで料理(1) 15分でつくる編 (天然生活ブックス)
平野 由希子
地球丸

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ブルーベリー・ソースの季節

2011年09月30日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)
 本来は極楽息子(大)用に置いてある児童書です。ただし息子が読んだ形跡はありません。題名がいかにも思春期の少女の甘酸っぱい成長物語という感じなので、さして興味が湧きませんでしたが、一応目を通しておこうと読んでみました。結論は、「子供に読ませないのはもったいない!」全米図書賞受賞は伊達ではありません。

 日本で「ブルーベリー」と言われれば、ジャムの消費量はイチゴやリンゴなどのずっと下。どの家にもあるというものではなく、好きな人が買うんだろうという位置付けになるでしょう。しかもジャムじゃなくてブルーベリーソース。こんなハイカラ(死語ですね)な言い方をされた日にゃ、大人にはわからない少女だけの世界が少女だけの言葉で描かれるんだろう、ああ読む気にならないな、と思った私はもちろん何もわかっていなかったのです。この邦題は大いにミスリーディングですよ。原題は"The Canning Season"つまり「缶詰作りの季節」であって邦題のような感傷的な色付けはありません。

 物語の始めからしてシビアな状況が克明に描かれます。娘を産ませっ放しで出て行った父親、上流階級の生活スタイルだけを真似したがる低収入で無責任な母親、ネグレクトされた娘。13歳の娘ラチェットは清く正しい小公女のセーラでもシンデレラでもなく、ともすれば悪い環境に押し潰されそうになりながらもその日その日を無目的に生きています。

 ラチェットが預けられた双子の老女、ティリーとペンペンにしても聖人君子ではありえません。70年以上も前の母親の自殺を生涯に渡って引きずるティリー、農作業に自分の役目を見出し、中途半端な仏教の教えを支えに生きるペンペンの2人は、半世紀前から変わらぬ日々を自分なりに生きているだけで、決して少女の模範になろうとか、人生の進路を指し示そうとかいう意思はありません。しかも死の影が常に付いて回ります。

 決して人好きではない2人ですが、ラチェットの持つ影の部分に同情したのか、3人の生活が始まります。ラチェットもまた2人の母親の死という大きな影に共感したらしく、互いに美辞麗句を並べるわけではありませんが、実質的な家族としての関係を深めていきます。そこに次のネグレクト少女が登場。このハーパーもスタイルこそ違えども、苛酷な環境により捻じ曲がりかけた人生が、ここで自分の役目を見出すことで救いを得るのです。

 物語は家族の崩壊した現代社会の暗黒面を仮借なしに描きますが、だからこそ光明を模索する2人の少女の成長ぶりにはほっとさせられます。長年、社会との関わりの多くを絶ってきたティリーとペンペンは、その人生の最後に少女の成長の糧となって去って行きます。これは羨ましい人生の終わり方と言えないでしょうか。日本版の表紙はこれまた内容と合っていない絵本調ですが、もし原版の表紙を見て興味を持たれたなら、年齢を問わずご一読をお奨めします。

 



ブルーベリー・ソースの季節 (ハリネズミの本箱)
ポリー・ホーヴァート
早川書房
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梅安影法師

2011年09月14日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 池波正太郎のいわゆる三大連作、「鬼平」「剣客」「仕掛人」の一つ、テレビドラマでも好評を博した「仕掛人」の晩年の作品です。何年か前に入手したのですが、当時は他の本を読んでいたため積んでありました。

 私は「仕掛人」のドラマをほとんど見ていないため特に思い入れはありません。読んでいて疲れないし、まあ面白い本ですよ。娯楽小説としては上出来なので通勤電車向き。すぐに読めるので国際線の飛行機では役不足。

 こんな気楽な読書もたまにはいいのですが、業務の繁忙や医療政策、日本経済の行方などを考えると、どうも専門書や教養書、英文などを読んでおかないとまずいかな、という強迫観念に捕らわれて、平日に娯楽の読書をする心の余裕がありません。電車の中とは言え、どうせ読むならもう少し骨のある本を読もうと努めています。
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くれよんのくろくん

2011年05月31日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 どこかで見たような絵柄だと思ったら、「そらまめくんのベッド」のなかやみわさんでした。「そらまめくん」も「くれよんのくろくん」もシリーズが出ているようです。

 ハイライトの花火のページ。「そらまめくん」と同じくストーリーと言うよりは絵のインパクトで見せるタイプなので、図書館用の大型本が似合う作家です。

 早速影響されて黒を塗っています。

 これもシンプルな絵がお馴染みのかこさとしさん。この人が不思議なのは、理科系出身(工学博士)なのに作風には全然反映されてないこと。生物としての蟻の生態もへったくれもない展開を見ると、もう自然科学なんかどうだっていいと思っているのが伝わってきます。この人に科学絵本の仕事を依頼した出版社はいかにもずれていると思わざるを得ません。
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