アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

どろろ

2005-07-02 14:43:58 | アニメ
『どろろ』 手塚治虫原作   ☆☆☆★

 手塚治虫のアニメである。子供の頃テレビでやっていたのを見た記憶があり、その妖しい雰囲気にひかれてマンガも買った。マンガでは主人公の百鬼丸がアニメより子供っぽく、可愛い感じに描かれていたので違和感を持った覚えがある。しばらく前にDVDのBOX SETを買った。

 まず、モノクロである。総監督の辻井ギサブローによると、赤い血がバーッと出るのが気持ち悪いとスポンサーに言われ、じゃモノクロならいいんだろということでモノクロにしたらしい。DVD特典のパイロット版はちゃんとカラーになっている。しかし『どろろ』の雰囲気にはモノクロの方が合っている。それから何とも重厚なオープニング。当時の子供向けアニメ番組とは到底思えない重厚さだ。富田勲の音楽がえらくカッコイイ。
 舞台は室町時代。第一話の冒頭は、『どろろ』全篇の伝奇性を象徴する有名なシーンだ。雷鳴とどろく中、天下を取る野望に狂った醍醐景光が四十八体の魔神を相手に、生まれてくる赤ん坊を提供すると約束する。体の好きな部分を取って分けろというのだ。そして生まれてきた赤ん坊は、体の四十八箇所を失ったイモムシのような姿。川に捨てろと言い放つ景光、母は盥に赤ん坊を入れ、川に流す。ここまでがプロローグだ。恐るべき物語である。とても今こういう話は放映できないだろう。
 本編が始まると、その話の内容の暗さというか、シリアスさにまた驚く。道端にうずくまって飢死寸前の老人、そのまわりにごろごろ転がる餓死死体、その体にまとわりつく蝿、その羽音。こういう描写がいきなり出てくる。どろろの明るく動き回るキャラクターはアニメらしいが、画面全体を覆うシリアスさを払拭することはできない。演出もアニメらしからぬスローテンポ。まるで黒澤映画のような間の取り方だ。
 そして百鬼丸。川に流された赤ん坊の成長した姿である。この百鬼丸というキャラクターのカッコよさは筆舌に尽くしがたい。ルックスはマンガよりずいぶん大人っぽい。声が野沢那智、アラン・ドロン声である。これも演出なのか、かなりゆっくりと物憂い喋り方だ。そして両腕にはめ込まれた剣。肘から先が取れて剣が現れ、それで妖怪どもや悪人を斬る。

 とにかく、子供向けだからという妥協が微塵も感じられない暗さ、シリアスさだ。BGMの重厚さ、悲愴感もハンパじゃない。こんなんでいいのかと人ごとながら心配になる。しかも、シリーズ前半はすべて前後編に別れた二話構成、時には三話構成という長編志向だ。あのウルトラセブンでさえ一話完結だというのに。この志の高さには恐れ入るしかない。しかし、これでやっていこうという当初の計画にそもそも無理があった。後半は視聴率が振るわないこと、あまりに話が暗すぎるという手塚治虫本人の意向もあって、路線変更が図られることになる。よりどろろ主体のストーリーになり、百鬼丸が背負ったハードな宿命の描写は控え目になる。オープニングやタイトルバックも子供向けらしい可愛いものになる。

 当然、今大人が観て面白いのは路線変更前の前半ということになる。しかしその前半も、さすがに妖怪との戦闘シーンは子供向けアニメという感じがする。当時の技術なので、今のアクションほど見せ方やアングルに凝っているわけでもない。人物の動きもぎこちない。これは仕方のないところだろう。従って、最も見ごたえがあるのは妖怪退治がメインではない、百鬼丸の過去篇、そしてどろろの過去篇、この二つだ。

 まず百鬼丸の過去篇。サブタイルは「百鬼丸の巻・その二」。
 川に流された赤ん坊は医者に拾われる。医者は赤ん坊を憐れみ、自分が育てることを決意。持てる技術のすべてを駆使し、義手、義足、その他もろもろを作製して百鬼丸に取り付ける。百鬼丸は成長し、自分の体が父親の野望のため妖怪に奪われたことを知る。百鬼丸は妖怪退治の旅に出る。彼は不思議な琵琶法師と出会い、孤児達が暮らす荒れ寺にたどり着く。そこで孤児たちの面倒を見る、みおという娘にほのかな気持ちを抱く。剣の修行をする百鬼丸、それを見守るみお。初めて味わう幸せ。しかしそこで、悲劇は起こる…。
 この展開はまさに手塚治虫ワールド。物語の設定からいうとここで妖怪が襲ってくるのが正解だろうが、人間ドラマと化したこのエピソード、悲劇をもたらすのは人間の侍どもである。焼け落ちる寺、みおの死。呆然と立ち尽くす百鬼丸に、「立ちのかんから殺した」とうそぶく侍達。「鬼ども…」白刃を抜き放ち、慟哭の叫びとともに百鬼丸は侍達を皆殺しにする。富田勲の荘重なBGMもあいまって、涙がこぼれそうになるほど悲痛で感動的なシーンである。私は子供の時にこの話をテレビで見て、ものすごい衝撃を受けたことを覚えている。

 そしてどろろの過去篇、サブタイトルは「無残帖の巻」。くぅー、たまらん。
 どろろの父、火袋と母、お自夜は大勢の部下を従えた野盗の首領だったが、部下の裏切りにあい、火袋は両足をやられて自由に動けない身になる。お自夜一人では盗みもうまくいかない。二人は赤ん坊のどろろを連れて乞食に身を落とす。火袋はやがて侍に殺される。お自夜は吹雪の中、どろろを抱いて暖めながら死んでいく。
 とにかくこの話、タイトル通り無残な話である。驚くのは最後まで救いがない。どろろの両親がひたすらかわいそうな状況の中で死んでいくだけの話なのだ。裏切った部下のイタチが罰されるカタルシスすらない。
 このエピソード中もっとも胸を打つのは、お自夜がどろろに粥を食べさせるシーンである。僧侶が貧乏人達に粥を恵んでいる。貧乏人達は器を持って列に並ぶ。お自夜の番になるが、彼女は器を持っていない。器がなくてはやれん、という僧侶に、この手に下さいと掌を差し出すお自夜。熱い粥を受け、お自夜の手は焼けただれる。その手でどろろに粥を運び、さあお食べ、おいしいお粥だよ、と差し出す。母の手から粥を食べるどろろを見つめるお自夜の顔は、微笑みを浮かべている。

 後半こそ路線変更で子供向けアニメになってしまったものの、前半は重厚な伝奇物語としての骨子を持った異形のアニメといえるだろう。今のアニメと比べると技術の古さが目についてしまうのは仕方がないが、それを補って余りある力のある物語だ。一見の価値はある。

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