アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

この世界の片隅に

2017-11-22 22:18:41 | アニメ
『この世界の片隅に』 片渕須直監督   ☆☆☆☆☆

 昨年日本で公開され、絶賛されたという噂のアニメ『この世界の片隅に』を、ようやくレンタルDVDで鑑賞することができた。なるほど、これは傑作である。第二次世界大戦の前から終戦後まで、呉市で暮らすある市井の家族の暮らしぶりを描く。ポイントは、これは戦争映画ではなく、戦争を背景としたホームドラマだということである。主人公は戦場で戦う男たちではなく、家庭で日常生活を支える女たち。その中心人物は、広島から呉の一家に嫁入りした「ぼーっとしている」娘、すず。すずの声をやっているのは「のん」という人だが、これは能年玲奈のことだと知ってびっくりした。

 ホームドラマなので、基本的にそれらしいエピソードが一通り出てくる。家族の団欒、お見合い、結婚、嫁入り先での人間関係、買い出しと料理、その他もろもろ。特に前半はすずの子供時代から始まり、大男のバケモノにさらわれそうになった話や座敷わらしの話、同級生の男の子、その後お見合い、結婚、広島から呉に行って新しい家族の一員となるなど、のんびりしたペースでほのぼのしたエピソードが続く。呉に行ってからはお義姉さんにちょっときつく当たられたりするが、このお義姉さんも実はいい人ということが分かり、やはりヌクヌクした雰囲気のまま物語は進んでいく。

 呉市は要するに軍港であり、たくさん軍艦が停泊していたり、船の絵を描いていたすずが憲兵にスパイ容疑をかけられたりするが、やはりこれらもほのぼのした笑い話となる。戦局がだんだん厳しくなって配給が制限され、たとえば砂糖がもらえなくなっても、すずたちは(表面的には)ことさら深刻に受け止めるでもなく、貴重な砂糖をアリに獲られまいとしてかえって水浸しにしてしまうなど、やはり癒し系エピソードとなる。しかしこれは事態の深刻さを分かっていないための呑気さなのではなく、いちいち日常の中で深刻ぶっていられない、そうやって粛々と日々を生きていくしかない、という庶民の覚悟と真実を感じさせる。この映画の「ほのぼの」は甘えの上にあるものではなく、酸いも甘いもかみ分けた庶民の逞しさなのである。戦時中にあっては戦争でさえ日常。そんな当然のことを、この映画は静かに、声を高めることなく教えてくれる。

 とはいっても、戦争はしだいにすずたちの日常を侵食していく。空襲警報が頻繁になり、焼夷弾の雨が降る。私が驚いたのは、敵の爆撃機がばらまいた爆弾が次々と空中で爆発する場面で爆発がカラフルな絵の具で表現され、それを見たすずが「ここに絵の具があれば」とつい思ってしまうところである。紋切り型からは絶対に出て来ない発想だ。そして、「人を殺す爆弾をきれいに描くなど不謹慎だ」などという安直なポリティカル・コレクトネスに明らかに反逆している、つまりキッチュに抗っているという意味で、これはまさしくアーティスティックな態度である。

 映画が後半になるにつれ、緊張感が高まっていく。すずの実家は広島である。観客はこの後何が起きるか、当然知っている。が、空襲で機関銃掃射されながら寝不足のお義父さんが地べたで眠ってしまう(それを見たすずが撃たれたと思ってしまう)などという、もはや絶対に無自覚的ではあり得ない、強い信念がなければ発想すらできないだろう渾身の「ほのぼの」ギャグを連射しながら、それでもついに「ほのぼの」ではすまない悲劇が訪れる。家族の一員、しかももっともか弱く愛すべき一員の死である。すずもまた、片腕を失う。もう絵は描けない。傷心のすずに、周囲の人々は広島に帰るよう薦める。果たして、すずは広島に帰るのだろうか。8月6日が近づいてくる。人間の上に、初めて核爆弾が落とされたあの日が。

 何と言ってもこの映画で素晴らしいのは厳しい抑制である。後半になればなるほど悲劇色が強まっていくが、悲惨をことさらにドラマティックに、大げさに描くことがない。むしろ、抑えに抑える。空襲も、家族の戦死も、配給制限も、玉音放送も、原爆も、原爆後遺症でさえも。すずの妹は原爆の後遺症で床につくが、取返しのつかない彼女の不幸は、ただ手首のちいさなあざで示されるだけである。なにも知らないすずと妹は、「治るよ、きっと」と会話する。あまりの残酷さに言葉を失う。たったこれだけだが、これ以上の描写は不要なのだ。事実をもって語らしめよ。原爆後遺症について、映画製作スタッフが苦労して悲惨に見せる必要がどこにあるだろうか。

 そしてもう一つの大きな美点は、非=紋切り型の表現だ。先に書いた、すずの目に空襲が絵の具に見える描写もその一例だ。安直な定型によりかからない。製作者はつねに最大限の想像力を駆使して、登場人物の内面に入り込んでいく。だからこそ、すずの人生がくっきりと立ち上がってくる。すずという娘が、本当にそこにいるとしか思えなくなるのだ。確かに、あざとい部分もあるだろう。すずや姪の少女のようなキャラでほのぼのエピソードを積み上げ、その後に悲劇を持ってくれば、誰だって泣くに決まっている。が、この映画は決してあざといだけのお涙頂戴ものではない。むしろ非常に強靭な意志によって、根底を支えられた映画だと思う。

 ところでアマゾンのレビューを見ると、この映画にも例によって「加害者意識がない」「戦争責任の所在を考えていない」などとコメントしている人々がいる。『ディア・ハンター』の記事でも書いたが、こういう人々はなぜ常に自分のイデオロギー越しでなければ物事を眺められないのだろうか。筒井康隆が言うところの「肉屋に行って大根がないと怒っている」式の批評なのだが、あるレビュワーはすずにそんなイデオロギーを求めるのはおかしいと指摘され、「すずが思想を持たなくても、目撃する形などで入れることはできたはず」などと反論している。つまり、「がんばれば肉屋に大根だって置けるだろ」と言っているのだ。どうすればここまで独善的になれるのか。そういう問題じゃない。
 
 あえて書くが、これはすずとその家族が戦争を生き抜く姿を通して、生きることの尊厳と真実を描こうとする映画である。戦争責任を云々するような、そんなつまらない映画ではない。



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2 コメント

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はじめまして。 (ダダ415号)
2017-11-23 15:46:09
広い知見と深い考察による、示唆に富んだ記事の数々、ずっと楽しませていただいてます。
広島への原爆投下は8月6日ですよ。
そんな大事な日付も、だんだん曖昧になっていってしまうのでしょうね。
これからも、ご健筆を…。
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Unknown (ego_dance)
2017-11-23 23:45:19
細かいご指摘、ご苦労様です。
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