アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

陰鬱な美青年

2015-09-08 22:26:41 | 
『陰鬱な美青年』 ジュリアン・グラック   ☆☆☆☆☆

 ジュリアン・グラックは『アルゴールの城にて』『シルトの岸辺』の作者で、その宝石のような完成度の幻想小説を愛する私はなんとか他の作品も読みたいと願い続けているのだが、こういう作家の小説はなかなか手に入らない。非常に残念だ。と思っていたところへこの『陰鬱な美青年』が復刊されたことを知り、すかさず取り寄せた。いやーありがたい。値段も高いが、それはもう仕方がないだろう。こういう本は好きな人が大枚はたいて買い、なんとか後世に残していくしかない。

 さてグラックの初期長編である本書、完成度は後の作品にまったくひけをとらない。これはいうなれば言語で描かれたギュスターヴ・モローの絵画、修辞で建築された大伽藍、言葉だけで織り上げられた壮麗なタペストリーである。文藝とはこういうものか、と目から鱗が落ちる思いだ。今までエンタメ小説しか読んだことがない人が読んだら「これって小説?」と戸惑うのではないか。普通の小説では言葉が状況や風景を再現し説明するために使われるが、この小説では現実を変容させる、いってみれば「壮麗化」するために使われている。つまり、言葉によって現実を現実以上のものにメタモルフォーゼさせる、という意志が常に働いているのである。

 プロットはきわめてシンプルだ。フランス人男女5、6人のグループ(独身者もいれば夫婦もいる)が海辺のホテルで夏を過ごしていると、そこにアランという神秘的な美青年が現われ、その謎めいた存在感と他者への影響力で人間関係にさざ波を起こしていく。人々は彼によって心を乱され、それまで平穏だった人間関係は不穏なものへと変化していく。関心、疑惑、戸惑い、不和、変心、諍い、などが生まれ、育っていく。果たしてアランとは何者なのか。夏が過ぎ、秋になり、海辺がすっかり寂れてしまっても、彼らはアランに魅入られたようにホテルを去ることができない。そしてある晩、アランは一人の女性に自らの秘密を明かすのだった。

 小説を読み始めて最初に気づくのは、曲がりくねったマニエリスティックな文体がもたらす独特の効果である。一種の眩暈といってもいい。テキストは現実を忠実に再現することはなく、時はそれらを曖昧にし、事実と主観の境界線を溶解させ、蜃気楼のようなイメージを揺らしたり重ね合わせたりしながら読者を幻惑する。すべてのセンテンスが入り組んだ隠喩、暗示、仄めかしに満ち、読者の注意力を最大限に要求する。私は最初音楽を聴きながら本書を読んでいたのだが、文章を追うことができなくなったために「ながら読書」を止めた。本書を読むには文章に集中する必要がある。

 グラックの小説とは、煎じ詰めれば隠喩と暗示によって紡がれる魔法といっていいだろう。矢継ぎ早に繰り出されるメタファーが読者の脳裏にさまざまなイメージを喚起し、それらが万華鏡のように渾然一体となることで小説の世界を形作っていく。まさに散文詩的小説である。グラックが繰り出す比喩は多岐にわたるけれども、特に目立つのは神話的な比喩、たとえば宮殿、王侯、王妃、悪魔、などである。これらの比喩によって現実が異化され、現代的な海辺のホテルで過ごす男女のバカンスの物語が、まるで神々が登場するギリシャ神話のような壮麗さを帯びることになる。

 こうした文体の魔法に加えて、グラックはストーリーの中に次々とロマン派風の、またはゴシック風の意匠を投入する。たとえば月夜の廃墟見物、午後の遊戯室におけるチェスの対戦、夢の中の風景、仮面舞踏会、などなどである。それぞれの場面では、何かサスペンスフルな事件が起きるというよりも、人々の会話や感情的対立を通して微妙な心理が分析され、描写される。会話もリアリスティックな会話というよりは形而上学的かつ観念的な会話であって、物語はますます現実離れした様相を呈していくが、その一方で、たとえばカジノにいるアランが平然と莫大な金をすって周囲を慄然とさせたり、ホテルの主人がアランに抱く疑惑など、ストーリーテリング上の技巧も多少は用いられている。

 とはいえ、本書はやはり「この先どうなる?」というようなプロットの転がし方で読者をひきつける小説ではない。先に書いた通り、息の長い音楽的な文体のリズムに身を委ね、隠喩によって紡がれる神秘的なイメージの魔法に酔う。これ以外には何もないと言ってもよく、そういう意味では、小説という芸術形式でしか存在しえない作品だと思う。

 ちなみに、グラックが好む憂鬱で幻想的な意匠の数々は明らかにポーを想起させるが、ポーの名前は登場人物たちの会話の中にも頻繁に出てくる(ポー以外にはランボーの名前もよく出てくる)。また、本篇の主人公アランの名がエドガー・アラン・ポーから採られていることが、訳者のあとがきで指摘されている。

 もう一つ付け加えれば、私は本書を読みながら何度もポーの「赤死病の仮面」を思い浮かべることになった。この作品名が実際に登場人物によって口にされる場面もあるが、私がこのポーの短篇を連想したのはそれよりもかなり前である。舞台設定やストーリーはかなり違うのに不思議だったが、グラックが使う「王妃」「王侯」などのメタファー、密室内の頽廃的な享楽、それと表裏一体となった死の匂い、波紋を広げる謎めいた来訪者、などの要素がそう思わせたのだろう。もちろん、クライマックスの仮面舞踏会も見逃せない類似点の一つである。

 読み終えたあと、この不可思議な物語とポーの短篇の関係に思いを馳せるのも、また一興かも知れない。



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2 コメント

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ジュリアン・グラックの事 (reclam)
2015-09-10 10:04:04
お久しぶりです。この記事で「ジュリアン・グラック」という懐かしい名を聞いてコメントする事にしました。

私はグラックの本を「アルゴールの城にて」と「シルトの岸辺」しか読んでいません。しかし、理解するために何回か再読しました。今では、この著者の描く描写は魅力的かつ独特だと感じています。

しかし、グラックの邦訳も絶版が多いので困りますね。「陰鬱な美青年」が復刊した事は知ってましたが、翻訳がまずいというネットの評判、かつ高額なので買っていませんでした。しかし、ego_danceさんの記事を見ると必読みたいですね。大枚をはたいて購入を考えてみます。

グラックみたいな文体で勝負する作家は貴重だと思います。彼の書いた小説の数は多くないので、復刊して全小説が読めるようにしてほしいものです。

追記:フエンテス「ガラスの国境」の記事において、Amazonでマッハの速度で入手不可になった事を嘆いていましたね。それは去年、出版元である水声社がAmazonのポイントサービスに対して抗議した事が原因だと思います。そのために現在、水声社の本は出版後、Amazonではすぐに購入不可になる状態が続いています。
詳細はネットで色々と調べれば分かると思います。もしかしてego_danceさんは知らないと思って一応伝えます。
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グラック (ego_dance)
2015-09-14 00:50:31
翻訳がまずいという噂は知りませんでしたが、確かに、いささか直訳調なのかなと感じる部分はありました。ただもともとの文章が晦渋なので(どっちにしろスラスラ頭に入ってこない)、私はそれほど気になりませんでした。グラックは『森のバルコニー』や『半島』も是非読んでみたいのですが・・・。

水声社の件は知りませんでした。ありがとうございました。そういうことだったんですね。楽天ブックスで検索してみると、確かに在庫ありになっています。私は本の購入は通販に頼っている状況なので、今後はAmazon以外のサービスもチェックしようと思います。
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