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『おおかみこどもの雨と雪』 細田守監督 ☆☆
『時をかける少女』の細田監督のアニメをブルーレイで観た。評判が良さそうだったので購入したのだけれども、正直なところ期待はずれだった。しかし大勢の人々がこのアニメで感動したようだし、特に子供を持つ親の立場の人がこれを観ると感動するだろうということは私にも分かる。そういう方々の気持ちにあまり水をかけたくはないので、今回は簡単に、心覚え程度に書いておこうと思う。
要するに、きれいごと過ぎて物語に面白みがないなあ、というのが私の感想なのである。面白みというのを厚みとか膨らみとかに言い換えてもいい。そしてそれはどうやらこの映画の製作者の志向性に原因がある。たとえばおおかみおとこは登場後すぐ転んだ子供を助け起こす。花はそれを見て彼の優しさを知るのだけれども、これはかなり露骨に紋切り型であり、キッチュではないだろうか。ミラン・クンデラは、キッチュというものを一番よく理解しているのは政治家だと書いた。政治家にカメラを向けてみればいい、彼はただちに一番手近なところにいる子供に駆け寄って抱き上げるだろう。残念なことに、この映画の製作者にも似たような志向性があるように思う。
もう一つの例として、おおかみおとこが花に自分の正体を告白する場面で、彼は異形のものに変身する。しかし花は怖がらないし、また、観客にも恐怖感を与えないように配慮してある。おおかみおとこは善なるものだから、観客に怖いと思わせたくないということなのだろう。しかし自分の恋人がおおかみおとこだったと知った女性は、怖がるのが自然ではないだろうか。たとえ愛情が勝っていたとしても、相当な衝撃があるはずだ。それを避けるのはやっぱり予定調和だし、表現として甘いといわれても仕方ない。少なくとも『千と千尋の神隠し』で千尋の両親が豚に変わる場面の方が、このおおかみおとこの変身場面よりはるかに怖かった。
キッチュが必ずしも悪いとは言わない。エンタメ作品にキッチュはむしろ欠かせないし、どんな映画だってそれを完全に排除するのは不可能だ。しかし、それはやっぱり都合が悪いものから目を背ける態度であり、隠蔽であり、芸術作品に平坦で単調な世界観をもたらす。それは結果的にポエジーの喪失を招いてしまう。どんなに気持ちよく涙を流せたとしても、ただの感傷になってしまうのである。
『時をかける少女』の細田監督のアニメをブルーレイで観た。評判が良さそうだったので購入したのだけれども、正直なところ期待はずれだった。しかし大勢の人々がこのアニメで感動したようだし、特に子供を持つ親の立場の人がこれを観ると感動するだろうということは私にも分かる。そういう方々の気持ちにあまり水をかけたくはないので、今回は簡単に、心覚え程度に書いておこうと思う。
要するに、きれいごと過ぎて物語に面白みがないなあ、というのが私の感想なのである。面白みというのを厚みとか膨らみとかに言い換えてもいい。そしてそれはどうやらこの映画の製作者の志向性に原因がある。たとえばおおかみおとこは登場後すぐ転んだ子供を助け起こす。花はそれを見て彼の優しさを知るのだけれども、これはかなり露骨に紋切り型であり、キッチュではないだろうか。ミラン・クンデラは、キッチュというものを一番よく理解しているのは政治家だと書いた。政治家にカメラを向けてみればいい、彼はただちに一番手近なところにいる子供に駆け寄って抱き上げるだろう。残念なことに、この映画の製作者にも似たような志向性があるように思う。
もう一つの例として、おおかみおとこが花に自分の正体を告白する場面で、彼は異形のものに変身する。しかし花は怖がらないし、また、観客にも恐怖感を与えないように配慮してある。おおかみおとこは善なるものだから、観客に怖いと思わせたくないということなのだろう。しかし自分の恋人がおおかみおとこだったと知った女性は、怖がるのが自然ではないだろうか。たとえ愛情が勝っていたとしても、相当な衝撃があるはずだ。それを避けるのはやっぱり予定調和だし、表現として甘いといわれても仕方ない。少なくとも『千と千尋の神隠し』で千尋の両親が豚に変わる場面の方が、このおおかみおとこの変身場面よりはるかに怖かった。
キッチュが必ずしも悪いとは言わない。エンタメ作品にキッチュはむしろ欠かせないし、どんな映画だってそれを完全に排除するのは不可能だ。しかし、それはやっぱり都合が悪いものから目を背ける態度であり、隠蔽であり、芸術作品に平坦で単調な世界観をもたらす。それは結果的にポエジーの喪失を招いてしまう。どんなに気持ちよく涙を流せたとしても、ただの感傷になってしまうのである。
問題は後半、現実世界に戻った主人公とヒロインその周りの人物の行動の不可解さがとても気になりました。人物造形や人間の行動原理といったものを置き去りにして監督自身の思想やテーマを押し付けた為に見ている人を無視し、かといって芸術性の欠片も無いそんな作品でした。
なによりこれが監督の最大のヒット作になってしまったので、これから『時をかける少女』のような叙情性に富んだ作品を作れなくなったんだなあと悲しくなりました。