アブソリュート・エゴ・レビュー

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イリュージョニスト

2015-04-25 21:12:08 | アニメ
『イリュージョニスト』 シルヴァン・ショメ監督   ☆☆☆☆☆

 傑作『ベルヴィル・ランデブー』のシルヴァン・ショメ監督の新作アニメーション。ジャック・タチが遺した脚本がベースになっているそうだが、私はタチ監督の映画を観たことがないので、それについてはなんともコメントできない。本作の主人公である老いたイリュージョニストは、仕草や立ち振る舞いなどタチ監督が作中で演じるキャラクターを意識しているらしい。タチ監督の映画のワンシーンもちょっとだけ出てくる。

 本作のトーンは、オフビートながらも賑やかでユーモラスだった『ベルヴィル・ランデブー』とは打って変わり、きわめて静謐かつ淡白。ストーリーは非常にシンプルで、セリフはほとんどなく、淡々と進行し、淡々と終わっていく。部分的にはユーモラスなところもないではないが、一貫して画面を支配するのは染み入るような哀愁である。

 これは一篇の寓話だ、と言っていいだろう。年老い、時代に取り残された手品師タチシェフはもう観客に見向きもされない。劇場に雇われてもすぐクビになる毎日。それでも彼はスーツケースに身の回りのものを詰め込んで、巡業生活を続ける。ある時仕事でひなびた島に行った彼は、酒場で働く少女アリスと出会う。タチシェフは少女に靴をプレゼントする。アリスはその手品を本物の魔法だと思い込み、彼のあとをついてエジンバラまでやってくる。タチシェフとアリスのささやかながら幸福な日々。タチシェフはアリスを喜ばせるためにドレスを買い、そのドレスに合う新しい靴を買う。手品の巡業だけではお金が足りなくなり、寝る時間を削って自動車工場でアルバイトをする。やがて田舎娘だったアリスは、美しく華やかな都会の娘に変身する。そして彼女が一人の若者に恋した時、タチシェフは自分の役目が終わったことを悟るのだった…。

 この映画の哀しみの主要部分が手品師タチシェフの運命から生じていることは言うまでもない。彼は少女と出会い、彼女に尽くし、やがて役目を終えてひっそりと消えていく。その時、少女は見違えるほど美しくなっている。

 アリスはタチシェフが魔法使いだと思い込んでいるので、彼に平気でものをねだるし、また彼の苦労にも思いをいたすこともない。そんな彼女を残酷だと思うオーディエンスもいるだろうが、アリスは決して悪い娘ではない。プレゼントをもらえば感謝するし、タチシェフや他の芸人たちに対しても親切だ。アリスの残酷は彼女個人の性格による残酷ではなく、いうなれば若さというものが本質的に持つ残酷なのである。年寄りは若者のために働き人生をすり減らすが、若者はそんな年寄りの苦労に関心はない。彼らはただ、輝く未来を夢見ている。

 と同時に、これは滅び行く種族へのレクイエムでもある。それがこの映画をヴェールのように包む、もう一つの哀しみである。消えていくのは手品師タチシェフだけでなく、道化師、腹話術師など他の芸人たちも同じだ。腹話術師は人形を使ってアリスを楽しませるが、やがてその人形が質屋のウィンドウに売り物として陳列されるのをタチシェフは見る。映画の最後では、買い手がつかないため、人形はもう無料になっている。

 彼らは、滅び行く種族なのである。時代の流れはもはや押しとどめようもなく、彼らは消えていくさだめにある。この映画は静かに、声を高めることなく、しかしはっきりと愛情を込めて、古い時代の芸人たちへの鎮魂歌を奏でている。私たちはやがて、耐え難いほどのノスタルジーとともに彼らを思い出すことになるだろう。だんだんと灯りが消えていくラストシーンが、作者の思いを表している。

 この映画は非常に淡々と終わっていくので、いささか物足りなさを覚える向きもあるかと思う。エンタメ作品としては盛り上がりに欠けるという言い方も出来る。哀しい物語ではあるが、クライマックスに特段泣かせる場面があるわけでもない。しかし、そういうあざといお涙頂戴ではないからこそ、この透明な哀しみが後でボディブローのように効いてくる。私はこれをきわめて上質なアニメーションだと思う。

 『ベルヴィル・ランデヴー』に続き、繊細な手書きの描線は絶美だ。海に浮かぶ島の風景、エジンバラの賑やかな風景、どれも言葉を失うほどに美しい。



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