アブソリュート・エゴ・レビュー

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音楽図鑑完璧盤

2005-07-01 09:19:37 | 音楽
『音楽図鑑完璧盤』 坂本龍一   ☆☆☆☆☆

 私の愛聴盤。坂本龍一のベストワークの一つに数えられる作品である。時期的にはYMO散開後の84年に発表されたもの。

 坂本龍一という人は西洋音楽のアカデミズム=クラシックの素養を持ちながらそれを越えて前衛音楽や民族音楽、ボサノヴァ、ポップ・ロック音楽とあらゆるジャンルに触手を伸ばしてきた人で、しかもその際に非常に理知的に理論的にアプローチしていく。そういう彼の生み出す音楽は色々な意味で実に興味深いのだが、私が彼を信頼する理由の一つに感情表現に対する慎重さがある。
 村上龍、吉本隆明との対談本の中で、坂本龍一が中島みゆきの音楽に触れ、「彼女の場合音楽が感情表現になってしまっている」というような意味の発言をしていた。吉本隆明が「音楽が感情表現になってはいけないという理論的な根拠が何かあるか」と聞くと、「色んな理論はあるがどれもしっくりこない。今のところ単に直観、感覚(好み、だったかな?)」というような回答をする。この本を持っていないので正確ではないが、確かこんなやりとりだったと思う。坂本龍一の音楽は確かに感情表現というより、音のオブジェという方がふさわしい。YMOからソロ活動まで彼の音楽には常にこのようなオブジェ性、音の彫刻のようなピュアな審美性が備わっており、それが私の趣味に非常に良く合うのであった。

 この音楽図鑑完璧盤は、そのような坂本音楽のオブジェ性を非常に分かりやすく、洗練された形で提示した傑作だ。『B2-Unit』も傑作だがかなり実験的で、一般のオーディエンス受けは悪いと思われるが、本作は一般受けしそうなウェルメイドな楽曲でありつつ坂本音楽のエッセンスにも溢れているという、実にゴージャスな一枚になっている。
 まず音の作りこみがハンパじゃない。音の一つ一つが、坂本龍一の研ぎ澄まされた感覚でギリギリまで取捨選択された感じがあり、そしてそれらが緻密に緻密に積み重ねられて曲を構成している。積み重ね方も、坂本龍一が持てるテクニックを総動員した感があり、いくら聞き込んでも飽きるということがない。飽きるどころか、どこまでも音楽の森に迷い込んでいくような感覚にとらわれる。実際このアルバム製作にかけた時間は例外的に長かったらしい。
 それから曲が良い。坂本龍一はアルバムによってポップ寄りになったり実験的になったりするが、このアルバムの曲はそのへんのバランスが良い。坂本龍一らしいオリエンタル感、ポップさ、優美さ、先鋭性、実験性がそれぞれお互いを損なうことなく共存している。

 シンセサイザーの歴史には詳しくないが、このアルバム製作当時は確かデジタルシンセが急激に普及した時期だったような気がする。そういうテクノロジーの変化とも関係しているのだろうが、音の感触が以前のソロともYMOともずいぶん違っている。デジタル的な非常にクリアな音で、輪郭がくっきりした、ひんやりした音である。鉱物的といってもいい。この独特の音の感触が坂本音楽のオブジェ性を引き立てている。シャリシャリしたギターの音も重要なアクセントになっている。
 曲調にも統一感があり、アルバムジャケットのイメージ通りの無国籍な美しさを醸し出している。次作の『未来派野郎』と音の感じは似ているが、『未来派野郎』が激しいデジタルビートとディストーションギターの導入で、躍動感あふれるアルバムとなっているのに対し、こちらはより静的でエレガントだ。

 一曲目の『Tibetan Dance』は細野晴臣と高橋幸弘が参加している。それから『Self Portrait』のギターの音が山下達郎だと知った時は驚いた。
 個人的には1~5曲の流れが特に気に入っている。どれも名曲だ。歌は入っていない。こういっちゃなんだが、坂本龍一のヴォーカルは曲によってはテンションを下げてしまう時がある。ちなみにヴォーカルが入っているのは7、8、12の三曲。
 『きみについて』は長いこと幻の楽曲だったらしく、Amazonのレビューなんかを読むと思い入れの強い人が多いようだ。確かに軽快で明るいキャッチーな曲だが、このアルバム中ではかなりポップ寄りで、他の曲の持つひんやりした緊張感に欠けている。個人的にはそれほど好きではない。『きみについて』と『Tibetan Dance』のリミックスが追加されて『完璧盤』になったわけだが、『マ・メール・ロワ』で終わった方が一枚のアルバムとしての完成度は上だったと思う。『マ・メール・ロワ』は異様な緊張感と重々しいオリエンタリズム、そしてロマンチズムが融合した、まさに坂本龍一にしか作れない楽曲だ。


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