アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

不思議の国のアリス

2014-11-04 21:29:40 | アニメ
『不思議の国のアリス』 クライド・ジェロニミ/ハミルトン・ラスク/ウィルフレッド・ジャクソン監督   ☆☆☆☆☆

 ディズニーの傑作アニメ『不思議の国のアリス』をブルーレイで再見した。

 前にも書いたが、私はディズニーのアニメではこの『不思議の国のアリス』が一番好きで、次が『美女と野獣』である。ディズニーアニメは基本的に子供向けなので、傑作と言われるものでも大人が鑑賞するには物足りなさを感じる場合が多いけれども、この『アリス』だけは芸術品としても一級だと思う。それに加えて、実のところ私は幼少期に小学校の体育館で上映されたこのアニメーション映画を観て、めくるめく映画の陶酔を初めて味わったという非常に個人的な思い入れもあるのだ。

 映画の冒頭で、歴史の勉強をさせられているアリスが呟く。「なんて退屈なのかしら。『意味』なんてつまらない。私が世界を作るとしたら、『意味』なんて何ひとつないナンセンスな世界にするわ」そしてアリスは時計を持って「遅刻する!」と叫ぶウサギを追って穴に入り、比類なきワンダーランドへと迷い込む。

 そこはアリスが呟いた通りの、『意味』なんて何一つ通じない、ナンセンスが華やかに咲き乱れる世界である。ナンセンスといってもただのメチャクチャではなく、原作者ルイス・キャロルの数学者としての教養と学識に裏打ちされた、高度に知的な、美しきナンセンスの数々である。例を挙げよう。たとえばアリスが穴を落下していく途中でちらっと鏡が映るが、その鏡では左右でなく、上下が逆になっている。もちろん、これはナンセンスである。誰でも知っているように、鏡に映ったものは左右が逆になるけれども上下は逆にならない。しかし、それはなぜか。なぜ鏡像は左右が逆になるのに、上下は逆にならないのか。あなたは説明できますか?

 実は、これはかなり高度なパラドックスの一つである。こうした数学的な、あるいは言語学的なパラドックスの数々が、このアニメーションの中には宝石のようにちりばめられている。ただ漫然と観ていると気づきもしないようなディテールの中にそれらはあって、分かる人にだけ分かる、という贅沢かつエレガントな姿勢で個々の場面を彩っている。しかも、それらのすべてが「絵」として視覚化されている! これは驚異的なことではないだろうか。ルイス・キャロルの名作の映像化に取り組んだ当時のスタッフの苦労は並大抵ではなかっただろう。言語によるナンセンスをここまで視覚化したというところに、この『不思議の国のアリス』の凄さがある。

 地下に落下してアリスが出会うのは万華鏡の如きナンセンスの精華たちであり、幾何学的幻想が生み出したクリーチャーの数々である。パイプをくゆらしアルファベットの煙を吐き出しつつ喋るキャタピラ、「笑い」だけ残して非存在化するチェシャ猫、三月ウサギと気違い帽子屋のお茶会、そしてトランプの兵士たちと残酷なハートの女王、などなど。この中のいくつかは、文学や芸術の世界ですでに象徴的イコンと化していることはご存知の通り。

 そしてもちろん、連発される言葉とビジュアルの両方でハーモニーを奏でるところが、このアニメーションの愉しさだ。たとえば私が大好きなあのキャタピラは徹底してナンセンスな会話のやりとりでアリスを戸惑わせるが、その間中、カラフルな煙がセリフと呼応してアルファベットを形作り、またキャタピラはアルファベットを意識したセリフを喋る。それだけでなく、キャタピラの身振り手振りではたくさんの手足が連携した動きが表現され、またその連携が失敗するなど細かいギャグも、会話と並行して挿入される。

 言うまでもなく、言語とビジュアルにおけるナンセンス遊戯の極致ともいうべき場面が三月ウサギと気違い帽子屋のお茶会である。それは「非誕生日」のお祝いであり、お茶を飲もう、あるいは会話を交わそうというアリスの努力は彼らのナンセンスな受け答えによってことごとく水泡に帰してしまう。と同時に、視覚的には、彼らの「お茶を注ぐ」「お茶を飲む」という動作がありとあらゆるナンセンスなギャグのショーケースとなっている。「お茶半分」といわれるとお茶がいっぱいに入ったカップをナイフで縦割りにする、注ぎ口がないヤカンを卵のように割ってお茶を注ぐ、カップとソーサーをお茶に浸して食べる、などなどである。そしてあらゆる機会にお茶を勧められながら、アリスは結局お茶を一口も飲むことができない。

 終盤にフィーチャーされるのはハートの女王だが、彼女は白いバラを蛇蝎のごとく嫌い、またごく些細なことで兵士の首を刎ねる癖を持っている。トランプの兵士たちの行進はディズニー映画らしい華麗さで、また女王とアリスがポロの試合をする場面のおかしさとスリルは見どころの一つだ。そして女王を怒らせた罪でアリスは裁判にかけられ、首切りを宣告され、ついにこのナンセンスの王国から逃げ出すことになる。

 この映画の結末は要するに夢オチであるが、ちゃんとテーマに沿った夢オチであり、これほど確固たる必然性を持った夢オチは類を見ないと思う。アリスは開かない扉の向こうに眠っている自分を見て、はやく目を覚ますようにと自分に向かって叫ぶ。そしてその叫びにこたえるように、アリスは目を覚ます。アリスが見た「眠っているアリス」は夢の外にいたのだろうか、中にいたのだろうか。夢と現実の境界はどこにあったのか。

 不思議と夢の感覚を凝縮した、ナンセンスとシュールレアリスムの冒険譚。これを完璧に視覚化したディズニーの傑作『不思議の国のアリス』は、製作から60年たった現在でもまったくその輝きを失っていない。

 ところで、ブルーレイの映像は非常にくっきりした画質にリストアされていて見やすかったが、個人的にはもう少しアナログ感を残した、昔のアニメ風の画質の方が良かった。特典のメイキングの中に出てくる本編シーンはちょっとくすんだ感じの画質だが、こっちの方が好みだ。自然だし、昔ディズニー映画で味わったあのマジカルな感触がある。リストアされた本篇の画質はクリア過ぎて、絵のアラまで見えてしまう。60年前の作品なので、さすがに最近のアニメと比べられるときついのである。最近の子供にも違和感がないようにという配慮かも知れないが、こういったアニメーションを発表当時以上にクリアな画質にするのは要注意だと思う。

 ところで、メイキングに出てくるあのくすんだ画質のバージョンを入手することはできないものだろうか。あれはDVDの画質なのだろうか。あの画質の『不思議の国のアリス』を是非観てみたいのだけれども、誰か知っていたら教えて下さい。
 


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2 コメント

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不思議の国のアリスを観たくなりました (ある女の存在証明)
2014-11-10 17:27:55
私は子供の頃、ディズニーの「砂漠は生きている」が大好きでした。

ディズニーといえば、ここ日本ではすっかりギャルとマイルドヤンキー御用達キャラクターになってしまったのですが(ウォルト・ディズニーが携帯ゲームの「つむつむ」を見たら、何と思うだろう?)、初期作品のレベルの高さには、やはり目を見張るものがあると思います。

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砂漠は生きている (ego_dance)
2014-11-13 12:01:06
「砂漠は生きている」というのは知りませんでしたが、ドキュメンタリーなんですね。オスカーを獲っているとか。私は昔ディズニーのアニメーションを初めて見た時、動きの美しさに驚嘆した記憶があります。最近のCGアニメとはまったく違うなめらかさなんですが、ああいうアニメはもう作られないんでしょうか。
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