で、本題に入る前に寄り道。
この辺は何度も訪れていますが、武甲支線の廃線跡の方は行ったこと無かったな、と歩いてみることに。三峰口の日窒鉱業ホッパー同様、90年代初頭までそのままだったのに、残念ながらその頃には行っていません。
武甲支線と三輪側線が本線から分岐する付近の踏切脇には、こんな小屋があったのですね。
本線(左)と、三輪側線(右)に挟まれた草叢の下に、武甲支線の線路が途切れつつ埋まっています。ビームは欠失していますが、木製架線柱も残っています。
本線から離れると、線路も途切れ、間もなく遊歩道として整備された区間に入ります。
立ち並ぶ架線柱は、ビームこそ無くなっていますが、秩父本線でもお馴染みの古レールを利用したものです。
100mそこそこで遊歩道は途切れますが、その先も廃線跡は続きます。
レールや枕木の残骸が積んであります。
その線路敷きも、すぐに毒々しい色の池と、石灰石の山に阻まれます。この先が旧武甲駅構内の模様です。当時のホッパービンらしき構造物もありますが、石灰の山に半分埋まっています。
こんな感じの古びた建屋の雰囲気が良いですね…
廃線跡から県道に上がったところに鉱業所の事務所があります。秩父鉱業の社章って、旧浅野系を表す扇の中に鉱山の象徴ツルハシなんですね。
公式には武甲支線の廃止は1984年ですが、80年代初頭にはほとんど列車が走ることは無かった模様で、1981年撮影の写真だと、構内の線路はほとんど石灰に埋まっていた様子が伺えます。この頃だと、高麗川の日本セメント埼玉工場向け赤ホキ列車は武州原谷発のみになっていたのでしょうか。
(2020年1月19日)