雪うさぎのJunk Yard

へタレ地方私鉄モデラーの独り言と撮り鉄日記

折角なので

2019-04-28 10:43:01 | 撮り鉄日記

 この日も午後便のみの運行、中途半端に時間が空いたので(想定内ですが)、事前にサーチしておいた、空き時間にちょっと見に行けそうな場所の中から、旧雄別鉄道8722の保存機を見に行くことに。

とりあえず釧路駅前に戻ります。この様などこでも見られたような民衆駅のビルも、立体交差化事業などの進展で、気付くと随分少なくなってしまいました。北陸方面は福井、金沢、高岡、富山と全滅、新潟も間もなく姿を消すんだったかな?

 

昔に来た頃は、くしろバスは黄色だったのに、何時の間にか真っ白になっていました。しかもここでもエルガだらけ、この辺りが最古参でしょうか?

 

そして駅前からバスに揺られること暫し、旧雄別鉄道新釧路駅跡に近い住宅地の真ん中にある工場に。それは駐車場の真ん中に鎮座していました。それでは受付に挨拶をしてから。

   

冬季恒例の電飾が少し邪魔ですが...8620,9600等近代機以前のテンダー機としては、旧北海道炭礦鉄道ポーターと英国系4-4-0以外には残存例が他にほぼ無いので、極めて貴重な個体です。

ドーム位置が原形に直されているのに、空制機器が晩年のままな中途半端な復原状態なのが気にならない訳ではありませんが…末期のデフ付きで一見8620ライクだけど何かが違う、という姿で良かったのに、と言うのは我儘でしょうか。それでも利益に直接寄与しない機関車を、一番目立つ、門前の作業の邪魔になりそうな位置で、火を入れればすぐに走れそうな大変良い状態で保存されているのには感心しました。鉄道会社は保存車をあっさり潰しちゃうので、企業の保存車では鉄道会社以外の企業の方が大事にされていることが多いような気がします。

    

原設計は英国ですが、8620以降の近代機にスタイル上でも大きな影響を与えたことが判ります。しかし8700では洒落たキャブの窓は8620では平凡な形態になってしまいました。

 

テンダーの炭庫も晩年は嵩上げされていましたけど、これも復原されています。

キャブ内も覗き込んで…

8722号機の来歴、雄別鉄道での活躍は決して長かったとは言えませんが、その雄別鉄道をルーツに持つ企業にシンボルとして大事にされています。それと比べると、外様と言え、高度成長期の佳き時代を支えた、会社のシンボル的存在だった某西日本私鉄の某米国電機に対する仕打ちの残念さが際立ちます。

最後に、事務所では8722号機に関するグッズも販売しており、その売り上げは8722号機の維持に活用されているので、訪問の際は是非ご協力の程を。

(2019年3月23日 (株)釧路製作所 本社工場)