雪うさぎのJunk Yard

へタレ地方私鉄モデラーの独り言と撮り鉄日記

孝子峠

2015-09-15 20:29:36 | 撮り鉄日記

 南海線と言えばここ、と言う位鉄板な撮影地だった孝子駅の前後ですが、最近余り紹介されなくなったような、と思いつつ降り立ったのですが…

    

南海線随一の秘境駅、とか形容される、海辺の印象が強い南海線にあって珍しい山間の小駅です。駅前には廃校後資料館に転用された木造校舎とかあって、どこかで見た様なシチュエーションだな、と思い出してみると、神鉄粟生線の藍那に近い感じですね。

しかし、残念ながら駅周辺至る所で第二阪和国道の建設工事中で、山は削られ、巨大な橋脚が林立し、静かな山間の景観がぶち壊しになっていました…どこが「美しい日本」だ!と叫びたくなる位、最近余り紹介されなくなったのに納得です。

 

余りに残念な状況にがっかりしましたが、気を取り直して撮影出来そうなポイントを探すことに、切り取り方如何ではこの区間もまだまだイケそうです。結局駅直ぐ、みさき公園方の踏切からカーブを往く列車を200mm相当でアップで狙うことに落ち着きました。

 

カーブの向こうから車体を傾けながら迫ってくる南海ホークスラッピング、もといリバイバルカラーの10000系。やっぱりこっちの色の方がカッコいい、と思ってしまいます。

上りはカーブの反対側から狙ってみることに。こちらは逆光になってしまいますが、峠越えする電車のムードが高まります。今まで気付かなかったのですが、8000系ってサボ掛けが左側に付いているんですね。と言うことは、LED表示器が故障したら丸看板を付けて走るのかな? でも何で他車と反対側の左側?

この区間は架線柱も古風なトラス構造の鋼柱なのも老舗電鉄らしくて好みです。周囲の雰囲気は紀見峠越えの高野線旧線みたいなのに電車は南海線…

(2015年9月5日 南海本線 孝子―みさき公園)


これを見に行った訳ですが

2015-09-12 22:27:34 | 撮り鉄日記

 やっぱり見に行きました。月替わりの一瞬だけ7000のHM無しが見られたそうですが、やっぱりすぐにさよならHMに切り替わりました。どうせなら一週間位そのままで良かったのにな…それか「特急」丸看板でも…まあ10000系の不恰好な大型の奴が外れただけ良いか。

取り敢えず朝一番は超有名撮影地、箱作―淡輪の「箱の浦Sカーブ」に行ってみました。先客が10人程、場所は一見広そうですが、架線柱やフェンスの位置関係が微妙で、ポジションはかなり限定される感じです。ここでこの電車は場違いですし、1C4Mで全長18m級、幅2700mm級というスペックなら欲しがる地方私鉄は多そうなのですが、南海はケチなので多分しつこく使うのでしょう。8300系を南海線に追加投入して高野線に戻す、とか支線転用で2200系淘汰はあり得るかも知れませんが。

で、しばし待つこと、今回の標的がS字カーブに身を捩じらせながらやってきました。

135フルサイズ換算75mm相当でショット、あれ、後の10000系がちょっとしか見えないじゃん。あと手前のフェンスとかがちょっと目障りだし。やっぱりここは200-300mm相当で正面勝ちにロングショットの方が向いていますね。

 

次は海の見えるところが良いかな、と思って箱作駅を挟んで鳥取ノ荘側に移動します。良く紹介されていると思わしきポイントは、近年信号機器の箱が設置されてしまい、目障りなのでパス、線路の山側に広がる広大な工場跡地あたりがベストポジションぽいのですが、フェンスで隙間なく封鎖されておりダメです。工場跡地への侵入は法的に褒められた行為ではないことは勿論ですが、足元には何が埋まっているか分からないので(崩落寸前の構造物による物理的なブービートラップとか、有害、危険な物質とか。この辺りって昔、アスベスト産業が盛んだった所だし…)他を当たった方が賢明です。で、ロードサイドのファミレスの裏手が割と好みの絵になりそうなので。後ろの団地の屋上に上ることが出来たらな…と恨めしそうに眺めながら。

余談、鳥取ノ荘駅舎の南海電鉄のフォントがCI導入前の懐かしい奴でした。

(2015年9月5日)


近道

2015-09-09 23:53:31 | 撮り鉄日記

 南海本線の撮影名所、紀ノ川橋梁、和歌山市駅から徒歩で難波方の河岸まで行きたい時は、駅の裏手に廻って、「河西橋」と言う紀ノ川を渡る人道橋を通るルートが歩きやすくておすすめです(対岸の堤防上を歩いて、北島橋か紀ノ国大橋を渡るルートだと、堤防上の道路が狭いのに非常に交通量が多くて歩きにくいです)。で、本題はその「河西橋」ですが、

    

ええと…どう見ても元鉄道橋臭いです…

そう、廃線マニアにはお馴染みの物件ですが、この人道橋の正体は旧加太軽便鉄道の橋梁で、昭和28年までは和歌山市から北島を経由して東松江に至る南海加太線の本線として電車が走っていました。ただ規格的に重量貨物を通すにはやや心許なく、戦時中に住友製鋼所への貨物輸送のため、東松江から本線の紀ノ川駅に接続する現ルートが開業してこちらがメインルートとなりました。取り残された北島経由の路線は、この紀ノ川橋梁が水害で損壊したのを契機に和歌山市―北島間が昭和30年に廃止、北島支線と呼ばれるようになった残る北島―東松江間も昭和41年に廃止されました。そして、この紀ノ川橋梁は和歌山市に譲渡され、補修の上で人道橋として再生しました。

 

橋脚が1本傾いています。これは昭和25年のジェーン台風の仕業だそうで、傾いた状態で仮復旧され、その上をタマゴ型木造電車が走る写真をどこかで見た記憶があります。今では考えられませんが、一応当時なりに4個モータの電車からモータを2個外して少し軽量化した電車を区間専用車として充てたり、速度制限したり気は使ったみたいですが。

橋の中央は鉄道廃止後造り直された部分で、オリジナルの橋脚は石積みですが、改築部分はコンクリートで、そのスパンもかなり長いです。

   

茶色い大きなビルが和歌山市駅です。

橋の和歌山市方の廃線敷きは検車区の敷地に飲み込まれてしまいました。

 

北島方にはもう一つ小さなガーダー橋が残っていました。

橋脚や橋台には後天的な補強の痕跡が至る所に。

釣りは禁止です。元鉄道橋故、道幅は狭いのでこんなところで長時間釣り糸を垂れていれば通行の邪魔ですね。

新しい橋を架けるため測量中でした。数年後には河西橋は新しく生まれ変わる予定ですので、興味ある方は是非お早めにどうぞ。築百年を経たオリジナル部分は上記の通り、度重なる補修で満身創痍な状態ですが、この橋の最終的な寿命を決したのは恐らく後年改築した部分なんでしょうね。改築部分も半世紀位は経っている筈ですし、世界遺産で話題の「軍艦島」の崩壊っぷりを見ても判るように、コンクリート構造物は決して半永久的なものではないのは言うまでも無く。某所で明治期の石積み橋脚のJR本線と昭和初期のRC橋脚の地方私鉄の橋梁が並行しているのを観察した時、前者が重量級の列車が頻繁に通過する筈なのに外見上は未だしっかりしていたのに、後者は既にボロボロで鉄筋も露出し、近い将来大規模な補修が必要になるであろうことが目に見えて感じ取れたのを思い出しました。そう考えると石積みのオリジナル部分は補修で延命を繰り返し、改築部分が寿命に達した所で全体の架け替えを考えるというのはきっと妥当な処置なんでしょう。一つの構成の中に経年の違うものが混在している場合、旧い部分だけを新しく取り換えるか、それとも最旧部分が耐用年数に達した時点で、比較的新しい部分も含め総取り換えするか、担当者にとっては悩ましい所なんでしょうね。電車でもある形式は、初期車は設計上想定した耐用年数を超えても更新修繕で凌いでいるのに、同形式内でも最終グループは更新修繕の時期が訪れる頃には、次世代車への置き換え計画が具現化したため、未更新のまま廃車になる、一見不条理な現象が起きたりしますし。


これどこだ?

2015-09-07 21:27:54 | 撮り鉄日記

 バックにいるのは常磐線の103系? でもホームベンチの広告は???

少し写り込んでいる駅名票を見なければ混乱しそうです。和歌山地域色の青、もっとスカイブルーみたいな色かと思ったら、青22号と青緑1号の中間みたいな色なのね。光源の色温度によっては青緑1号みたいに見えますね。それにしても、常磐緩行線の103-1000系を追放した203系が、その追い出した103系を改造した105系より先に姿を消したのも何とも… 更にその105系に押し出された奈良、和歌山のキハ35の方が辛うじて203系より生き永らえているのもまた凄いですが。203系もキハ35も廃車後輸出されているので、輸出先での両形式と、和歌山の105系、どれが最後まで残るのかも興味深いところです。

駅ビルに入居していたT百貨店も撤退してしまい、和歌山市の玄関口としての座をJR和歌山駅に奪われてしまった感のある「市駅」、無用の長物と化した巨大な駅ビルが余計侘しさを感じさせます。インバウンド客の増加でこの辺りも宿泊施設が不足気味なのだから、ホテルにでも改装してしまえば?とも思ったのですが、もう築40年以上を経ているし、面倒だから今のビル寿命に達し改築するときにでも考えるわ、カネも無いしなー、なんでしょうね。

 


前から思っているのですが…

2015-09-06 21:49:15 | Weblog

 南海の駅名票の隣に設置されている謎の緑の看板、

CI導入で南海から緑の電車が消えつつある傍ら、この看板が出現したと記憶していますが、別に何かを宣伝する、と言う訳でもなく、

 Green Scope 息づく緑の「南」

と言う意味深なコピーがあるのみ。 南海電車から緑が抹殺されゆく中での、「緑の南海」を支持する派閥のせめてもの抵抗、だったりして? 地方に散った元南海車でリバイバルを企画すると、やるんだったら純正塗料要るか?と持ちかけられるらしいし、毎年定例行事化した南海ホークス復刻ユニフォームも、SoftBankだけでなく南海電鉄側にも中にこれをやりたくて仕方ない人がいるんじゃない?と勘繰ってしまいますが。

あとは7000系と10000系に続き、7100系と三岐ED301を緑に染めてくれれば…


緑の電車を撮りに行くはずが

2015-09-02 00:14:08 | 撮り鉄日記

 直前になって天気が最悪そうなので延期決定したところで声が掛かって、美濃の赤い電車を見に行くことに… 黒野に貸出し中のモ512が戻ってくるまでの期間限定でモ601の前が空くので、今なら形式写真が撮れます。そう言えば隣の揖斐、谷汲線は何回も通ったのに、美濃町線は最後まで縁がありませんでしたね…

黒野もやっぱり電車が無いと寂しい、と美濃市から借りたけど、1年で返さなければならない、何で廃線当時に動かなかったのかと疑問を感じますが…福井に行ったのも真っ先に淘汰されそうなのは黒野と縁も所縁も無い800だろうし、いっそ岡崎に嫁いだモ401を返して貰えないかどうか…


え~っと…

2015-09-01 23:56:58 | 国鉄型

 突然思い立って、確かマイクロエースのマヤ34をストックしてあった筈だと、物置部屋 自室に探しに…あったあった、と手に取ったら…あれ?

こんなに中身がほとんど見えない程不透明だったっけ?

マイクロエースや一時期の中国製トミックス製品に見られた包装フィルム、これが登場した当時から、行きつけの模型店の店員が、餃子の皮だの、いやワンタンか?と揶揄していた透明度の低くて腰の無いプラスチックフィルムでしたが、幾らなんでもここまで不透明じゃ無かったぞ! 10年以上放置され、紫外線や空気に晒されているうちに劣化した様です。

中身への悪影響が心配されましたが、今のところ問題は無さそうです。ただこのまま触れ続けたら絶対良くなさそうなので、フィルムは取り敢えず除去しておきました。