ワブ501、窓ガラスも入れて、カプラーと車輪も組み込んで、一応完成と言う事にしておきます。カプラーは最初MT-7にするつもりだったのですが、組み込んでみるとスタイル的には恰好良かったのは良いが、車体端梁と干渉してほとんど首を振らずダメだったので、結局MT-10に変更しました。
軸箱守がW型の華奢なタイプなので、スポーク車輪が効果的です。KATOの貨車用長軸タイプを使いました。デッキ側の窓ガラスは、裏から貼ると丸見えになるので、填め込みにすべきなんでしょうが、私の腕じゃ汚い仕上がりになりそうなので、安直に裏から貼りました。
牽かせる機関車が無いので、検車区の隅っこに救援車代用として転がしておくのが当面は正しい使い方でしょう。堺東電留線や高野山検車区(橋本駅構内にあった。小原田検車区に業務移転して閉鎖)の端に鎮座していたのを思い出します。特に後者は除籍後もかなり長い間(平成になるくらいまでだったかな?)置いてあったのに、わざわざ見に行かなかったのが悔やまれます。
と言う事で、南海時代の同形式の写真はありませんので、代わりに富士急に譲渡されたのを。今は下吉田で綺麗になっていますが、河口湖の隅でボロボロの頃です。良く見ると、「南海」の文字や、旧番を消した痕跡が透けて見えます。