都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

季節料理 多奈加

2024-03-30 | 中央区  
季節料理 多奈加
所在地:中央区 新川1-18-10
構造・階数:RC・2
建設年:戦前
解体年:2013(平成25)
Photo 2001.6.17

 日本橋川が隅田川に出る河口近く、湊橋のそばにあった元倉庫。戦前に建てられたようで、もともとは川から荷揚げしていたのではないかと思われる。戦後も1970年代までは倉庫として使われていたようだ。

 1980年代の住宅地図から「たなか」ないしは「多奈加」と記載されていて、2000年代半ばまで料理店多奈加だった。2000年代後半から数年は「さ蔵」という居酒屋だったようだが、2013年に解体され、以降はコインパーキング。

 元が倉庫なのでガラス窓はほとんどない。居酒屋や料理店は窓がなくても良いのかもしれないが、飲食店に改装した際にもガラス窓にはしなかったようだ。
 また、道路側は黒く塗られており、倉庫としては小規模だったが店構えはなんだか重厚な雰囲気だった。

丸玉ビル、料理屋多奈加/新川1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中央区 #商業系 #倉庫・蔵 
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須田町ビル/神田きくかわ

2024-02-06 | 千代田区 
左:須田町ビル/右:神田きくかわ
所在地:千代田区 神田須田町1-24-6/-2
構造・階数:RC・3
建設年:戦前/戦中〜戦後まもなく?
解体年:2005〜07(平成17〜19)
備考 :角地にある「神田きくかわ」のビルは現存
Photo 2000.6.3

 神田の須田町交差点、神田中央通りに面して建つRC造3階建ての2棟の商業ビル。

 左側の須田町ビルは、1935年発行の火保図で既に須田町ビルと記載されているので、戦前に建てられた建物だったらしい。上写真の後、下写真までの5年間に北側1/3は部分的に撤去され、左端の1スパンがなくなった。そしてその後の2005〜07年には全体が解体され、跡地にはACN神田須田町ビルが2008年9月に竣工した。
 装飾はあまりないが窓まわりの壁が少し後退して柱型が見え、2階と3階の窓の間に装飾が少しある様子はやはりクラシックなビルならではだった。


 Photo 2005.5.18


 Photo 2005.5.18

 角地にある「神田きくかわ」のビルは、昭和初期の時点では完成していたかどうか不明。この時点では後に須田町ビルに入居するてんぷらの「天米」が角地に存在していた。
 「神田きくかわ」は、同社のWebsiteによれば終戦直後に現在地で創業したそうだ。戦後の火保図(1950年発行)では角地のビルは「唐沢ビル」と記されているが、その中にはうなぎ屋も既に書かれている。また1973年時点では、現存する季節料理「恵比元」も記載されている。ただ、現在は全館が飲食店のようだが、1970年代頃までは他にも電気会社や法律事務所なども入居していたらしい。
 「神田きくかわ」と「恵比元」が入居している角地のビルは現存。縦長の窓上にアーチ型の装飾が並ぶ様子は近代建築っぽい感じ。現在はえんじ色っぽい外壁になっているが、当初はどんな色だったのだろう。

神田きくかわ
神田きくかわ、須田町ビル/神田須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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呉服町通りの街並み3

2023-11-14 | 静岡県  

 呉服町2-5  Photo 1995.4.15

 静岡市の中心部、呉服町商店街は1990年頃にアーケードが改修され、華やかで明るいものになった。府中の歴史を示す街路灯が置かれ、街路樹も植えられ、電線の地中化もされて賑やか。パーキングチケットによる駐車が認められ便利ではあるが、いつもやや混雑している。


 呉服町2-6、2-7  Photo 1995.4.15

 大半の人はバスで訪れたり、周辺の駐車場に停めてここを訪れる。お金を払っても十分に魅力的なコンテンツ(ここでは品揃えとか食べ物の良さとか)が存在するためにここはあまり衰退せずに済んでいる。ある意味、ブランドストリート化もしており、静岡ではここでしか買えないものも多く、それがまた固定客を生んでいる。そんな呉服町だが最近は県外資本が増加して元気がないという。

 写真中、銀座ワシントンは既にない。イケダヤは伊勢丹そばの札の辻クロスに移転。呉服町の様子も次第に変わっているようだ。


 西武百貨店静岡店など 紺屋町6  Photo 1992.11.21

 駅に近い部分には地下街がある。1980年のガス爆発後に地下街は改修がされた。地上出口を余裕を持って確保するために車道は蛇行することになり、結果的に地上部はコミュニティ道路的な形態になっている。駅の近くには金融系の店舗やオフィスが多い。

 写真奥には長崎屋がわずかに見えているが、その一角は再開発されて葵タワーが完成している。この葵タワーには戸田書店が大型店を開設していたが、2020年に撤退。写真右には西武静岡店が写っているがこれも2006年に閉店。現在は静岡パルコになっている。


 札の辻交差点 呉服町2-1  Photo 2000.11.1

 札の辻交差点は東南方向から来た東海道が、駿府城の大手門前にあたる南西側で90度向きを変えて南西へ向かう場所。昔は御触書などの高札が掲げられた場所だったといわれ、そこから札の辻と呼ばれている。現在は呉服町通りと七間町通りが交差する場所で、戦後しばらくの間は市内で最も賑やかな場所だったようだ。JRの駅からは離れているため、一時は人通りが減ってしまっていたが、七間町の街並みがきれいになり、服飾系の店舗が増加した。90年代には一角にあった建物が建て替えられ、コンビニなどになっている。

Rewritten in 2022.3
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静岡の建築  静岡の街並み
#街並み 静岡県  #商業系  #旧東海道 
#アーケード  #デパート・百貨店  #共同建物 
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ジュビロード

2023-11-12 | 静岡県  
ジュビロード商店街の共同建物
所在地:磐田市中泉375・381
構造・階数:RC・3F
備考 :再開発により2005〜06に解体
Photo 2000.1.1

 磐田市内、JR磐田駅の北側には、かつては断続的に水色のアーケードが道の両側に設置されていた。地元のJリーグチーム、ジュビロ磐田にちなんだジュビロードという商店街。安直な名のようだが、一度聞いたら忘れない呼び名だから案外良いのかもしれない。
 このときはアーケードの天井から、ユニホームを模した水色のお店の看板が沢山ぶら下がっていた。でもなんだかアーケードに水色のTシャツを干しているみたいで、またアーケードの老朽化とも相俟って今ひとつ冴えない感じだった。他の地方都市の商店街同様に衰退してしまった印象を受けてしまう。

 写真の建物は商店街の中でも駅寄りにあったもので、3階建ての共同建物。戦後の昭和30年代頃に防火建築帯として建てられたものだったのかもしれない。通り沿いに壁面が続くようすじたいはモダンで悪くなかったので、アーケード庇を造り替えるか撤去して、電柱・電線も地中化すればきれいな感じになるのにと思うのだった。

 その後、この一角は「磐田駅前地区第一種市街地再開発事業」によって再開発され、16階建ての住宅棟(ブライトタウン磐田駅前)と4階建ての駐車場棟が2007年に完成した(リベーラ磐田)。1階道路沿いは店舗。再開発に際してジュビロードの通りは拡幅されたようで歩道も広くなっている。
 また、道の反対側(東側)でも市街地再開発が行われ、14階建ての住宅棟と公共施設などが入居する4階建てのビルが2003年に完成している。更に、その後方の広い範囲では土地区画整理も行われており、駅周辺のようすは20年ほど前とは様変わりしているようだ。

 Googleストリートビューで現在の同所を見ると、車道も歩道も広々していてそこに背の高いマンションがいくつか建っている状況。個人的にはこのスケール感のエリアは駅前のあたりだけで十分。そこから少し離れると、建物も小規模になるし、歩く人も少なくなるので、道幅がオーバーサイズになってしまいスカスカな印象になってしまう。駅周辺でも自動車の交通量はさほどないので、道幅、車線数はあまり要らない。むしろ歩道を少し拡げる方が良い感じになるのではないかと思う。

磐田駅前地区第一種市街地再開発事業【リベーラ磐田】|一般財団法人民間都市開発推進機構
-にぎわいのある街へ- 磐田駅前地区市街地再開発 - わが街ウオッチング けんせつ静岡 No.223

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清水銀座

2023-10-24 | 静岡県  
旧東海道 清水銀座 (東向き)
所在地:清水区銀座14
Photo 1995.5.7

 清水はサッカーの「清水エスパルスの街」として全国的に有名だが、旧東海道の清水銀座商店街は鉄道駅から離れていることもあり、往時のようには人が歩いていない。買い物客は地元の人に限られているようだ。

 清水銀座の建物は沼津の美観地区同様、歩道上に張り出している。というより、歩道が沿道店舗の敷地内に造られており、店舗の1階がその分奥に引っ込んだ形で造られている。この仕様は横浜の元町商店街と同様だ。またやや老朽化しているが、その一部は共同建物になっている。
 上写真の建物の様子は現在もほぼ変わっていないが、ビニール庇などは外され、現在の方がシンプルな感じになっている。また、写真左端の杉山洋品店は外装がリフォームされきれいになっている。


旧東海道 清水銀座 (東向き)
所在地:清水区銀座13
Photo 1995.5.7

 現在、電柱・電線は地中化され、車道や歩道はインターロッキングブロック舗装がされ、街灯も新しくなるなど、商店街はきれいになっている。Google Street Viewでの確認では、これらは2012年より前に既に行われていたようだ。

 ただこちら側の建物は、多くが撤去されたり建て替えられたりしている。2枚目の写真中で現在も残っているのは、電柱そばの壁が茶色の3階建てとその左の建物のみ。手前の、あおい、むさし屋などの看板がある3棟はいずれも解体されており、その一部にはPAL CITYという4階建てビルが建てられている。ただこの建物は昔のように歩道上空に張り出した建物ではない。また道路南側は駐車場が多く、やや歯が抜けたようで、街並みは不連続になっている。

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西鉄カリテンビル/旧NHK福岡放送会館

2023-10-09 | 福岡県  
西鉄カリテンビル/旧NHK福岡放送会館
所在地:福岡市中央区 天神2-6
構造・階数:RC・4+B2
建設年:1959(昭和34)
解体年:2000〜01(平成12〜13)頃
備考 :1959〜92(昭和34〜平成4)はNHK福岡放送会館
    1996〜99(平成8〜11)は西鉄カリテンビル
Photo 1998.9.12

 1998年に学会で福岡へ行った際に、天神の街を歩いていて見掛けた建物。当時、天神界隈は大規模な建物が既に多く建ち並んでいたので、4階建てでやや地味なこの建物は逆に目立つ存在になっていた。

 当時はなんという建物なのか調べもせずにいたが、最近になってGoogle Mapやストリートビューで調べてみたところ、かなり前に無くなっていたことが判明。そこでこれも国会図書館で当時の住宅地図をあたってみたところ「西鉄カリテンビル」とされていた。「カリヨン」なら鐘楼とか鐘塔の鐘で、施設名などでときどき見掛けるので知っていたが、「カリテン」というのは馴染みがなく、なんだろうな?という感じ。ネットで検索すると、天神の中心部なのにあまりヒットしない。逆に福岡放送会館が一緒に出てくる。そこでもういちどもっと古い住宅地図をあたってみたところ、この建物には1992年まではNHK福岡局があって、福岡放送会館という名だったことが分かった。

 NHK福岡局は、1930(昭和5)年に開局。この福岡放送会館は1959(昭和34)に完成。その後、1992(平成4)年にNHK福岡局は天神から現在地の六本松一丁目に移転したという。昔の写真を見ると、放送会館の西側にかつては送信用の鉄塔も建っていたようだ。

 一方、この近くの西鉄福岡駅北側にあった西鉄旧駅舎には「福岡西鉄名店街」というのがあったそうだが、ビルの建て替えに伴い1996(平成8)年2月末にそこでの営業を終了し、旧福岡放送会館に移転して仮店舗「にしてつカリテン」として1996年3月から営業を始めたそうだ。カタカナで「カリテン」とあったので外国語から採ったのかと思ったが、なんのことはない「仮店」だったのでした。

 私が訪れた頃は、不二家など20軒ほどの店が1階に入居し、2階は天神エフエム、NHK九州メディスが入居。3階は空きで、4階は新名店街準備室となっていた。カリテンの名の通り、仮店舗ビルとして使われていたのは3年ほどで、たまたまそいう時期に私は訪れたのだった。

 住宅地図によれば、その後、2000年にはこの建物は使用されなくなっていて、2002年には既に新しいビルの建設が始まっていた。現在、ここは岩田屋デパートの新館(2004年完成)になっている。

NHK福岡放送局 - Wikipedia
福岡市 教えて!どんなところ?第8回 NHK福岡放送局
アンティーク絵葉書に観る、懐かしの福岡・天神町/岩田屋・松屋/昭和20~40年代の写真絵葉書

日本国内の建物や街並み
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ふしみやビル

2023-07-09 | 静岡県  
ふしみやビル
所在地:静岡市葵区 呉服町
建設年:1970(昭和45)
構造 :SRC
階数 :9+R
Photo 2016.8.18

 「ふしみや」は徳川家康と主従関係にあった初代小山善藏が京都伏見より来静し、1607年に伏見屋を創業したのが始まりなのだそうだ。
 静岡で生まれ育ち高校生まで住んでいたが、当時は中心部の老舗の来歴などにはほとんど興味がなく、ふしみやがそんなに古くからある店だったことは今まで知らなかった。

 「ふしみや」が江戸時代初期に創業したことに触れたサイトや記事は結構あるが、今のビルがいつ頃に建てられたものなのかという情報は案外少ない。Home'sのサイトに建設年が書かれていたので、ここではその情報を転記したが、階数が誤っていたりもするので建設年も確証はない。

 中心部にある松坂屋、伊勢丹などにはエスカレーターがありたいがいは2人幅のものだが、ふしみやのそれは1人幅の狭いものだった(現在の状況は未把握)。

【ホームズ】ふしみやビル(静岡市葵区)の賃貸情報
呉服町老舗探訪記:ふしみや 呉服町本店

静岡の建築・土木構築物
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パレット玩具店

2023-05-06 | 宮城県・福島県
パレット玩具店
所在地:宮城県柴田町 西船迫2-2-2
構造・階数:S・1
設計 :石山修武+ダムダン空間工作室
建設年:1988(昭和63)
解体年:2021(令和3)
Photo 1991.9.14

 宮城県南部の柴田町、国道4号線バイパス沿いにあったおもちゃ店。早大の教授だった石山修武先生が設計したもの。学生時代に石山先生の講義も受けていたので、学会の帰りに研究室のメンバーと訪れた。

 入口の前にドーナツ型の庇があり、その中を貫いて鉄骨製の斜めな塔が建っているのが目を引く。
 塔やドーナツ型の庇は、おもちゃを売ることにはほぼ関係がなく、幹線道路沿いで目立つための広告塔的なもの。ただ、それを普通の広告塔にはしなかったところがミソで、通り掛かる人々にあれはなんだ?と思わせる仕掛け。子供だけでなく大人もなんだろう?と思ってしまい、おもちゃ店として記憶に残るものになっていた。

 塔を思いきり斜めにしたことで、見る向きによってかなり印象が変わるあたりもおもしろい。

 内部は一転して簡素で倉庫のようなつくりだが、天窓があって明るい。天井が高いので開放感があり、空中に吊り物を出すこともできるようになっていた。
 通路もゆったりして気持ちよい空間。ただ、大量のおもちゃが所狭しと並んでいてどれにしようか迷うという、おもちゃ店にありがちな迷宮的な感じではなかった。妙に見通しがよいので、少し歩き回ると全体像が把握できてしまう。それが良いことだったのかどうかは、ちょっと微妙な感じではあった。

 その後、ここを訪れたことはない。最近になってネットで調べたところ、2002時点ではカラオケ店になっていたという。Googleストリートビューでも、2019年6月時点でカラオケ店だったことが確認できるが、ドーナツ型の庇や斜めの塔はなくなっており、その外観はかなり替えられていた(もう一つの塔は残っていた)。この内部空間をどうやってカラオケボックス化していたのかも気になるところではあったが。。

 更にその後、2021年4月のストリートビュー画像では解体中で、2022年3月時点では更地になっていた。いわゆるポストモダン建築と称されるタイプの建物は短命なものが残念ながら多いが、この建物も築30年あまりで失われてしまったのだった。

PALETTE TOYSHOP
新建築1989年1月号
パレット玩具店-石山修武
パレット玩具店 宮城県柴田郡柴田町 | 文献情報 | J-GLOBAL 科学技術総合リンクセンター

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青森駅近くの倉庫

2023-03-03 | 青森県  
船水冷蔵庫/ニッポンレンタカー青森駅前営業所
所在地:青森市 安方1-6
構造 :石造
解体年代:1998〜2011(平成10〜23)
Photo 1998.8.24

 1993年の住宅地図ではこの石造の蔵は「船水冷蔵庫」で、北側にレンタカーの事務所と駐車場があったことになっている。ただ撮影時にこの建物がまだ冷蔵庫として使われていたかどうかは不明。ちょっと不思議なのは、この建物の屋上や壁面にレンタカー会社の看板が取り付けられていたこと。

 2011年8月時点のGoogle ストリートビューの画像では、石蔵は既に消失していてその跡地もレンタカーの駐車場になっている。そしてこの営業所は2022年9月時点でも同所で存続している。

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石森ビル(中野センター・中野ヘルスクラブ)

2023-01-12 | 中野区  
石森ビル(中野センター・中野ヘルスクラブ)
所在地:中野区 中央4-61
構造・階数:RC・5
建設年:1961(昭和36)頃
解体年:2009(平成21).12
Photo 1997.3.30

 中野光座があった中野センター食品街の建物の東隣にあったビル。中野光座と同時期、少し後に建てられたもので、1961年発行の「東京都全住宅案内図帳」では建設中と記されている。また1968年発行の「東京都全住宅案内地図帳」では「三越商事KK・中野センター」となっている。また、1976年発行のゼンリンの住宅地図では「石森ビル・三越商事」と記され、その後の住宅地図では「ファミリーショッピング中野センター」などとも記されている。

 南側は5階建て、北側は2階建て。北側が2階建てなのは、大久保通りが将来拡幅される予定なのが当時既に明らかだったためかもしれない。1階にはファミリー中野センターというスーパーマーケットが入居していた。また、主に2階には中野ヘルスクラブというジムがあった。

 ジムとかボディビルとかの方面には全く疎いのでよく知らないのだが、中野ヘルスクラブは古くからのジムで、草分け的な存在だったらしい。とにかく、外国人と思しきマッチョな男女が外壁に描かれているのがすごく印象的だった。最近のジムにはこのような絵は描かれていない。90年代でも異色な存在だった。またその看板が古びて色褪せたりもしていて妙な迫力を醸しだしていたのだった。いちど入ったら出てこられない雰囲気・・・。

 ファミリー中野センターの方は、西側の中野センター同様、戦後このあたりにできていた小規模店舗をまとめたものが元になっていたのだろう。

 建設当初は、大久保通りの拡幅工事が始まるなら5階建ての側は残して北側を取り壊そうと考えていたかもしれない。しかし用地買収がされる頃には建物も老朽化していて、より高層の建物に建て替える方が良くなったということだったのだろうか。

ついに終焉。中野の闇市ゾーン [中野光座] : 日本ボロ宿紀行

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