ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

出来る子

2007年09月15日 | ノンジャンル
出来の悪い子ほど可愛いというが、それは裏を返せば、常に
気にかかる、心配な存在だという事だ。
そして、常に親に心配を掛けている事で、親に張りを持たせている
その子は、孝行者かもしれない。
そんな子に、かすかな灯火のように親が抱いている期待が、突然
満足させられるときがあるものだ。
そのときは、やはり思ったとおり、いい子だと、嬉しさも最高の
ものとなるであろう。

似たような心理として、10のうち9までも悪い事をしている人が、
1つ良い事をしたとき、その1つは、あとの悪い9を打ち消して
しまうほどの評価を受ける。
これとは反対に、10のうち9までも良い事をしている人が、
1つ悪い事をしてしまうと、そのたった1つのことで、9の良い
行いが全て無視され、裏切られたような心理が働いて、
その人の評価が、全体的に悪となってしまうことがある。

何のことはない、人を見る人の心理的作用で、こうした不思議な
状態となるのだが、客観的に見れば、一方はたった一つ、良い事を
しただけであり、もう一方は、たった一つ、悪い事をしてしまった
だけである。
一方は他方の何倍も悪い事をし、他方は一方の何倍も良い事を
している。
現実的に見てどちらがより良い評価をされるべきかは
明白なのである。

これとは別の見方をすれば、泥の中に咲いた蓮の花は全てを
純潔にするが、澄み切った清水の中に、たとえ欠片であろうと、
糞を落としたならば、もうその水を飲む気にはなれない。

結局、清水は清水のままであり続けなければならないし、泥に
まみれていても、たまに蓮の花を咲かせることで、全てを帳消しに
出来る事に対しては、あまりにも分が悪いといわざるを得ない。

話は変るが、巨人ファンは、強いから巨人ファンなのであって、
阪神ファンは、弱いから阪神ファンなのであった。
少なくとも昔はそうであった。
阪神ファンが本当に淡い期待を抱きつつ、またあかん、
またあかんと、期待を裏切られ続ける様は、出来の悪い子を持った
親のようなものである。
これとは反対に、勝って当然の巨人ファンは、巨人が負けると、
かなり手厳しい評価、見方をする。

その出来の悪い阪神が、優勝でもしたなら、狂ったような騒ぎと
なってしまうのも、心理的にはよく理解できる。
ところが、この何年かは、出来の悪い子が、出来る子に変ってきた。
少なくとも、シーズン終盤まで、優勝争いの出来る子になって
きたのである。
ファンとしては、この上なく嬉しく、喜ばしい事なのだが、
実はさほど喜んでいるようにも思えない節がある。
出来る子になって、心配が少なくなってくると、かえって淋しい
ものらしい。
今も首位に立って、今期の優勝も可能性が出てきているが、どうも
ファンの熱というか、盛り上がりが今ひとつのように思えるのも、
その辺に帰因しているようである。

さて、今度は、我々、断酒を継続しているものの話である。
飲んで悪い事ばかりしてきた、迷惑を掛けてばかりきた我々が、
断酒を始めて、一滴もお酒を飲まなくなったことを、限りない
喜びとして評価してくれる人は、必ずいるはずである。

だが、だからといって、断酒によってそれまでの悪行の数々が、
すべて帳消しになるはずもない。
にもかかわらず、現在断酒している事で、全て清算出来ていると
勘違いしている人も居るには居る。

上の話に照らせば、断酒の日々を積み重ねていく事は、清水の
ままであり続けることであり、勝ち続ける事であり、スリップ
する事は、その少しずつ貯めてきた清水に、泥や糞を投げ込むのと
同じ事である。 
ましてや、周りに再び心配をさせ、迷惑を掛けることなど、
微塵も必要性がない。
たった1つの悪が、全てを無に帰さしめ、積み上げたものを
台無しにしてしまう事を思うべきである。

出来ない子が出来る子になることは、自立を意味する。
断酒継続をしていく我々に求められているのは、まさにこの
自立ということであり、そこから初めて責任というものが
認識されるのである。


最新の画像もっと見る

2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (二郎)
2007-09-15 07:32:20
初めてコメントさせて頂きます。二郎です。

私の中では、断酒継続と清水ではイメージがかけ離れすぎております。

断酒してからの様々な葛藤。そして障害。それらは、清水のイメージからかけ離れ、澄んだ水の中に、点々と赤い血が浮かんでおり、時には血の塊が沈んでいたりすることすらあります。

しかし、考えてみるに、飲酒当時も同じような血の跡があった筈なのですが、あまりに水が濁っていたため、その血の跡も見えなくなっておりました。断酒継続は、その血の跡が見えるようにしてくれ、人の痛みも理解できるようにしてくれたと考えております。

折角取り戻した、人の感覚です。それを失わないように、今日も一日断酒をご一緒させて下さい。
返信する
Unknown (jetlinks)
2007-09-15 19:42:08
二郎様

いつも掲示板ではお世話になっています。
今回、ご丁寧なコメントを頂きまして、
ありがとうございます。

仰るとおり、飲んでいた頃は麻痺した感覚で、
まるで何も見えない泥水のようだったと
思います。
感覚が戻ると共に、徐々に水も澄んできて、
見えてきた事も多いのでしょうね。

わざわざ、また汚して、見えなくしてしまう
事はしたくないものです。

これからも宜しくお願いしますね。

返信する

post a comment