ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

母の日

2009年05月10日 | ノンジャンル
連休中に、お墓参りに行って来た。

そのときは別段何も考えていなかったのだが、後になって
ちょうど自分が、母親が倒れた年を越えたことに気がついた。

1990年、私が結婚する前年に、母親は、くも膜下出血で
倒れた。15-6時間にも及ぶ手術の後、約半年以上の
入院を経て、何とか身の回りのことを自分でできる程度まで
回復した。倒れて半年ほどは、ほとんど記憶がなかった。

声を掛ける私の手を、無意識に強く握り締めていたことが
思い出される。脳を損傷する、手術するということの
恐ろしさを目の当たりにした。
同時に、驚異的な人間の回復力というものも実見した。

ただ、退院後の彼女はそれまでとは一変して、非常に温厚で
仏様のような穏やかな人となった。
スナックのママとして、店を切り盛りし、家計を支え、
一人家族を守っていたのが嘘のようであった。

そして、その穏やかさで孫たちを温かく見守りながら、
2000年の4月に旅立った。 享年55歳である。
倒れてから、丁度10年の後であった。

今、私は、彼女が倒れた年を越えた。考えれば、そのときの
私は27歳である。今の私の年で、27歳の子供がいると
考えれば、実感しづらい。

さて、これから10年を生きれば、娘は27歳となる。
息子も25歳である。
ともかくもこの10年、頑張らねば。

その後は、生きられるだけ、許されるだけということに
なろうか。
そんな不思議な思いでいると、カミサンが一言。

「結婚の時の約束覚えてる?」

2歳のときにカミサンは母親を亡くしている。
結婚の時、カミサンより先には死なないと約束した。

「お前は、俺が見送ってやる。」と約束した。

7つ年下。平均寿命の長い女性。ますます元気なカミサン。

見送られる可能性の方がかなり高いが、約束を守る
意志だけは持ち続けて、日々を生きていこう。

夫婦の心には白いカーネーションを飾り、我が家の
リビングには、赤いカーネーションを子供達が飾るだろう。




最新の画像もっと見る

6 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (heart)
2009-05-10 01:51:33
お母さま、お若くして倒れたんですね。
45歳はまだまだ倒れるには、早いです。
でもクモ膜下出血は、こわいですね。
ポンとお亡くなりになる人が多いみたいだから。それから10年もなんてすごいですね。
でも、やはり55歳は、早すぎますね。
jetさまも、ご無理なさらず、ご自愛下さい。
返信する
Unknown (haru4444)
2009-05-10 09:47:28
カミサンとの約束は、意地でも達成して下さい。^^)

お母様の分まで、お子さんを慈しむのが、
ジェット兄ぃの使命!かも知れませんよ?(笑)
返信する
Unknown (HAL)
2009-05-10 22:25:32
Mother and me go hand in hnd.

母性の力に勝る力はこの地球上にどこにもない。母は永遠であり、不出来な子らが目指すパラダイスである。

たとえよし、あらゆる友人から嫌われ、社会的に疎外され、行き場を失っても・・・母の存在、あるいは位牌さえあれば、人間は生けていける、このことについては、私は誰がなんと言おうと断言する。

おろかで、所在無い母であった。しかしあの戦争中、あたら若い命を、軍需工場の勤労動員に捧げた。

政治の問題ならいくらでもいうことはできる。しかし母の子を思う気持ちを忖度するとき、政治なんて関係ない。

「ひたすらわが子をいとおしむ」母にはこれしかできない。

それに応えられないまま、私はいまだ逡巡している。
返信する
Unknown (jetlinks)
2009-05-10 23:29:33
自分がその年になってみても実感がありません。

もともと、中脳に近い部位の環状血管のひとつに
奇形があったようで、何事もなく天寿を全う
できる場合もあれば、何かの拍子にそこが破裂するという
爆弾を抱えていたようです。

それでも、若い分、回復の後に10年も
永らえたのでしょうね。
返信する
Unknown (jetlinks)
2009-05-10 23:37:07
約束は守りたいとは思いますが、こればっかりは
わかりません。

でも、また赤ちゃんや幼い子供が身近にいることの
幸せを夢見ることはあります。

子供たちが一人前になる。孫の顔を見る。
とりあえずそこまでは、楽しみとして、励みとして
いきたいと思います。
返信する
Unknown (jetlinks)
2009-05-10 23:42:38
誰もが故郷は「女の腹」ですから、母親の無償の
愛情を認識できれば、皆、何とか生きて
いけるのではないかと思います。

そういう愛情の存在、そしてそれが自分に
確かに向けられていたことを理解し、自覚すれば、
自身の存在がかけがえのないものであることを
実感し、同時にかけがえのないものの存在を
認めることができるのでしょう。
返信する

post a comment