ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

一万の私

2019年04月02日 | ノンジャンル
新元号案の6案が明らかにされた。

採用されなかったものが、
「英弘」「久化」「広至」「万和」「万保」
だったらしい。

元号が変わる時の、「因みに」程度に、
記事にしておく。

が、この案の中に、私の名前が含まれている。
しかも万の私である。

これに決まらなくて良かったと、胸を撫で下ろす
思いでニュースを見ていた。

一万の私。冗談ではない。とんでもない世の中に
なってしまいそうである。

月初の慌ただしさと、新元号発表の騒然とした
昨日が終わり、少し落ち着いて新しい元号を
見つめ直してみた。

形、響き、共に従来にはなかった新鮮さがある。
一画目が、左袈裟に切ったような形は斬新だ。

だが字体、読みとしては少しきつい気がした。
これを踏まえれば、「吟和」でも良かった
気がする。

出典は万葉集とのことだが、和歌より採った
ものではなく、その序文より採っている。
その序文は遡ればやはり中国の文選よりの
引用が目立つ。

さて、「令」の字である。
この字には、私の姓の一字が含まれる。
だがそんなことはどうでもよい。

字源で見れば人がひざまずく形である。
つまり、多くの人が整然と集まりひざまずく
秩序の美である。

要するに、秩序をもって和を為すという事と
見える。

穿ってみるならば、現政権の理想とする国の
姿かもしれない。

いずれにせよ、元号とは時代の名前である。
名前だけが立派でも仕方のない事であるし、
その時代を生きるものが名よりも実を
どう創っていくかなのである。





最新の画像もっと見る

post a comment