ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

現実逃避

2018年05月25日 | ノンジャンル
先の記事で、楽しいお酒は明日への活力となるが、
充電にはならないと述べた。

それは、楽しい時間を過ごすことは、気分転換には
なるが、休息とはならないからである。

さて、その楽しいお酒も、ストレスの多い仕事の
憂さ晴らしとなってくると、まるで様相が
変わってくる。

様々な問題で悩み続けている時、解決するまでは
四六時中自身の中で悶えがある。
自分の努力で何とかなることならともかく、
それだけではどうにもならない問題を抱えた時、
寝ても醒めてもその苦悩は絶えることはない。

食欲は落ち、夜も眠れず、憔悴していく。
これでは心身ともにもたない。

お酒による憂さ晴らしは、簡単に言えば
現実逃避である。
しかし、現実の問題がそれによって何ら好転する
事がないことも分かっているのである。

ただ、その現実に向き合い続けるのに、
必要な緩和のひと時を、お酒によって得ている
だけである。

本当の現実逃避とは、その問題そのものより
逃避することを意味する。

さて、自身もこの履歴を持つものであるが、
断酒を始めてから、次々に問題が生じた。

しかも、その問題の大きさは、飲んでいた頃より
遥かに大きいものばかりだった。

特に、これまでで最大の問題に直面した時、正直、
また飲んで何もかも忘れるひと時を持ちたいと
思ったことは何度もある。

四六時中の苦悩の中で、特に心がけたのは、
食べることと寝ることである。
無理してでも食べ、眠れなくとも、悩んだところで
何にもならないと開き直って寝る。
そしてまた次の日に悩むという事を繰り返した。

そして、ついに解決の日を見た時に、お酒に頼らず、
その問題を乗り越えたことが大きな自信となった。

現実逃避は、それが現実に向き合い続けるための
休憩だとすれば、必要不可欠な事である。
それはお酒であってもいいが、それが繰り返されると、
お酒そのものに呑まれ、まさに現実からの逃避となる。

50歩100歩という言葉があるが、形勢を見て
50歩下がり、再び攻める機を見るのと、
100歩下がる敵前逃亡とではまるで意味が異なる。

休憩と、逃避もまたしかりなのである。





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2 Comments

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Unknown (てつ)
2018-05-25 17:16:03
差しつ差されつだったのが、いつの頃からか手酌に。。
(=^~^)o∀ウィー

私はお酒で現実逃避し、アルになりました。・_・ ;

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Unknown (jetlinks)
2018-05-25 17:48:00
休憩のレベルだったら良かったのですが、
呑まれて逃避になってしまいましたね。 ^^;
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