ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

伝言板

2019年01月18日 | ノンジャンル
携帯やスマホが普及した現在では、知る人も少なく
なってきているであろうが、昔は各駅に
伝言板があった。

今でも設置している駅はあるらしいが、昔とは
使われ方が違うようだ。

大体待ち合わせの場所は駅の改札が多かったが、
今のようにすぐに連絡が取れるわけでなく、
待ちぼうけという事もよくあった。

1時間、2時間と待たせたこともあったし、
待たされたこともあった。

伝言板に書いたことはないが、書かれているのを
見るだけで結構面白かった。
「もう帰る」、「2時間待った、バカ」、
「先に行く」、「○○で待つ」等々。


中には、「○○さん好きです」といった、
愛の告白板になっていたものもあったし、
「○○さん、さようなら」などと、別れの
宣告板のようなものもあった。

改札付近で立っている人達は、人待ちであろうと
推察はできるが、誰をどんな思いで待って
いるのかは分からない。

伝言板は、そうしたことを知る板でもあり、
それに同じ立場の者が共感したり、同情したり
できる昔のSNSともいえる存在だった。

今のSNSとの違いは、枠があって書く字数が
限られること。その分、内容を皆吟味した
ことだろう。
そうして書いた伝言も、半日か、一日で消されて
しまう。

何より、伝言に返信ができない。というより、
それは意味がない。

伝言を見た当事者が、返信ではなく、その伝言に
対してどういう行動を取るか。
それによって、結果は悲喜こもごもであったろう。

今の時代、大抵の事は検索で知ることができるし、
連絡も取れないことはない。

それはそれで結構だが、伝言板に関わる様々な
抒情、つまり想像力というものが失われ続けて
いる気がする。

それは、あたかもパソコン・携帯世代が、
漢字を書けなくなってきていることに通じる。

行間を読むという力は、限られた字数にどれほどの
想いを載せようと苦心した者にしか養われない
のである。