「今日は時間がないので、
手紙が長くなってしまいます事、ご容赦下さい。」
海外との取引がメインの仕事であることから、
いわゆるコレポンは簡潔明瞭にという癖がついている。
従って、結局何が言いたいのか、焦点がぼやけた
長文あるいは長い話は、殊の外苦手である。
その傾向は、韓国、中国において顕著であるが、
国内は最たるものである。
電話や会議、商談において、長々と繰り返される話を
辛抱強く聞かねばならないことはよくある。
心の中ではいつも問いかけている。
「で、何が言いたいのか?」と。
主題の話は、昔読んだことのあるコラムである。
時間がないから、手紙が長くなるというのは一見、
矛盾しているが、伝えたい内容をしっかり絞って
文章を推敲し、簡潔化するのに必要な時間がなく、
よって文章が長くなってしまうという事である。
そうしてみれば、私の記事も長文のきらいが
あるので、他人の事はとやかく言えないが、
要するに時間が無いのである。
記録、伝達、交信と、目的は違っていても、
文章化するというのは、それが第三者を
想定しての事であれば、主眼は相手に
十分伝わるかどうかという事である。
そこにどれだけの時間と考察を費やしたかで、
文章や、会談の長短は決まる。
なにせ、自身も他の人達も、読む、聞く、見る
という事における集中力は、驚くほど短い時間しか
継続維持できないのである。
手紙が長くなってしまいます事、ご容赦下さい。」
海外との取引がメインの仕事であることから、
いわゆるコレポンは簡潔明瞭にという癖がついている。
従って、結局何が言いたいのか、焦点がぼやけた
長文あるいは長い話は、殊の外苦手である。
その傾向は、韓国、中国において顕著であるが、
国内は最たるものである。
電話や会議、商談において、長々と繰り返される話を
辛抱強く聞かねばならないことはよくある。
心の中ではいつも問いかけている。
「で、何が言いたいのか?」と。
主題の話は、昔読んだことのあるコラムである。
時間がないから、手紙が長くなるというのは一見、
矛盾しているが、伝えたい内容をしっかり絞って
文章を推敲し、簡潔化するのに必要な時間がなく、
よって文章が長くなってしまうという事である。
そうしてみれば、私の記事も長文のきらいが
あるので、他人の事はとやかく言えないが、
要するに時間が無いのである。
記録、伝達、交信と、目的は違っていても、
文章化するというのは、それが第三者を
想定しての事であれば、主眼は相手に
十分伝わるかどうかという事である。
そこにどれだけの時間と考察を費やしたかで、
文章や、会談の長短は決まる。
なにせ、自身も他の人達も、読む、聞く、見る
という事における集中力は、驚くほど短い時間しか
継続維持できないのである。