携帯やスマホが普及した現在では、知る人も少なく
なってきているであろうが、昔は各駅に
伝言板があった。
今でも設置している駅はあるらしいが、昔とは
使われ方が違うようだ。
大体待ち合わせの場所は駅の改札が多かったが、
今のようにすぐに連絡が取れるわけでなく、
待ちぼうけという事もよくあった。
1時間、2時間と待たせたこともあったし、
待たされたこともあった。
伝言板に書いたことはないが、書かれているのを
見るだけで結構面白かった。
「もう帰る」、「2時間待った、バカ」、
「先に行く」、「○○で待つ」等々。
中には、「○○さん好きです」といった、
愛の告白板になっていたものもあったし、
「○○さん、さようなら」などと、別れの
宣告板のようなものもあった。
改札付近で立っている人達は、人待ちであろうと
推察はできるが、誰をどんな思いで待って
いるのかは分からない。
伝言板は、そうしたことを知る板でもあり、
それに同じ立場の者が共感したり、同情したり
できる昔のSNSともいえる存在だった。
今のSNSとの違いは、枠があって書く字数が
限られること。その分、内容を皆吟味した
ことだろう。
そうして書いた伝言も、半日か、一日で消されて
しまう。
何より、伝言に返信ができない。というより、
それは意味がない。
伝言を見た当事者が、返信ではなく、その伝言に
対してどういう行動を取るか。
それによって、結果は悲喜こもごもであったろう。
今の時代、大抵の事は検索で知ることができるし、
連絡も取れないことはない。
それはそれで結構だが、伝言板に関わる様々な
抒情、つまり想像力というものが失われ続けて
いる気がする。
それは、あたかもパソコン・携帯世代が、
漢字を書けなくなってきていることに通じる。
行間を読むという力は、限られた字数にどれほどの
想いを載せようと苦心した者にしか養われない
のである。
なってきているであろうが、昔は各駅に
伝言板があった。
今でも設置している駅はあるらしいが、昔とは
使われ方が違うようだ。
大体待ち合わせの場所は駅の改札が多かったが、
今のようにすぐに連絡が取れるわけでなく、
待ちぼうけという事もよくあった。
1時間、2時間と待たせたこともあったし、
待たされたこともあった。
伝言板に書いたことはないが、書かれているのを
見るだけで結構面白かった。
「もう帰る」、「2時間待った、バカ」、
「先に行く」、「○○で待つ」等々。
中には、「○○さん好きです」といった、
愛の告白板になっていたものもあったし、
「○○さん、さようなら」などと、別れの
宣告板のようなものもあった。
改札付近で立っている人達は、人待ちであろうと
推察はできるが、誰をどんな思いで待って
いるのかは分からない。
伝言板は、そうしたことを知る板でもあり、
それに同じ立場の者が共感したり、同情したり
できる昔のSNSともいえる存在だった。
今のSNSとの違いは、枠があって書く字数が
限られること。その分、内容を皆吟味した
ことだろう。
そうして書いた伝言も、半日か、一日で消されて
しまう。
何より、伝言に返信ができない。というより、
それは意味がない。
伝言を見た当事者が、返信ではなく、その伝言に
対してどういう行動を取るか。
それによって、結果は悲喜こもごもであったろう。
今の時代、大抵の事は検索で知ることができるし、
連絡も取れないことはない。
それはそれで結構だが、伝言板に関わる様々な
抒情、つまり想像力というものが失われ続けて
いる気がする。
それは、あたかもパソコン・携帯世代が、
漢字を書けなくなってきていることに通じる。
行間を読むという力は、限られた字数にどれほどの
想いを載せようと苦心した者にしか養われない
のである。
BBSと同じ
交流の場となっていますね。