ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

平成の終わり

2019年01月09日 | ノンジャンル
今年、改元により平成時代の終焉となる。

生まれ育った昭和という時代は、自身にとっては
「育成」の時代であった。
成長という最も活発な生命活動の時代である。

それを終えたのが、26歳の時だった。
いや、正確には、誕生日前だったので25歳だった。

成長の時代というのは、何もかもが鮮明で、
記憶自体も、かなりはっきりしている。

昭和が終わるという事に、何とも言えない淋しさと、
時代というものの認識が高まった覚えがある。

平成という時代は、いわゆる青年期であった。
結婚をし、子供をもうけ、公私ともに充実していた。
もちろん、大きな変化の連続でもあり、その中で
ひたむきに生きた時代でもあった。

その半分近くを飲んで過ごし、残りの半分を
飲まずに生き延びてきた。

人生の履歴として見れば波乱万丈の時代では
あったが、今、その時代が終わろうという時に、
不思議と昭和の終わりの時のような感慨はない。

新しい時代は、いわば熟成の時でもあろう。
それはそのまま、自身の総決算へ向けた
時代でもある。

熟成の時代に、自身の人生をあたら腐らせて
しまうのか、芳醇なものとしていくのか。

時代がどうであれ、自身に問い続け、導いて
いく生き方、それこそが自身の時代を
つくっていく。

今年、パスポートを更新すれば、自身の10年の計と
重なり合う事になる。

それが人生最後のパスポートとなるかもしれない。
もしまた更新することができるなら、それは
今までと全く異なるパスポートとなるだろう。

その遠い日に思いを馳せる時、私にとっての
新たな時代は、「陽明」とでも名付けたいのである。