S氏とパリの住人達 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
で書いた話は1983年の2月の話です。
この中で、夜に一人で行くことになり、黒人の男性、白人の高齢夫人、そしていきなり電話を掛けに車から降りた日本人女性に助けてもらったのは、レ・サブロン駅。
Les Sablons(レ・サブロン駅)| パリの地下鉄(メトロ)Metro a Paris (metro2003.com)
41年前に私が観たのは夜の風景でしたが、Googleマップ等で画像を観ても、ほとんど変化がないようには思います。
(私は駅のことは「ヌイイ駅」という名前だとずっと思っていたので、駅は次の「ポン・ド・ヌイイ駅」だったかとずっと思っていました。
でも、昨日、日本人女性が私の持っていた地図と周りを観て、「あそこにPTT(電話・郵便公社)があるわ。だからこっちを行けばよいのよ」と教えてくれたのを思い出し、付近に大きい郵便局があるのが「レ・サブロン駅」であることに気が付きました。)
駅から眺めるパリ市内に伸びるシャルル・ドゴール通りの先にはエトワール凱旋門。
走っている車のデザインや人々のファッションは違えどおそらく41年前の1983年の冬と変わらぬ光景。
今、反対側を眺めれば、ラ・デファンスの新凱旋門(グランダルシュ)が見えます。
ラ・デファンス - Wikipedia
フランス:パリにある欧州最大のビジネス街の未来は? - YouTube
これは、41年前には想像もしなかった光景。
まさに、観る方向によって、タイムマシンに乗った気分を味わえる空間です。(私はこのことを好意的にとれませんが・・。)
私が急に1983年に降りた駅のことを思い出し、調べたのは、フランスのショートアニメーション『新凱旋門』を観たからです。
新凱旋門 - 映画情報・感想・評価(ネタバレなし) | Filmarks映画
La Grande Arche – trailer | IFFR 2023 (youtube.com)
このアニメの最後に、これをデザインした建築家の言葉が続きます。
1983年
”現代の凱旋門、希望の象徴だ
将来人々は自由に出会うだろう
人類の勝利の門の下で”
新凱旋門の建築家、スプレッケルセン
"la Grande Arche"を「現代の凱旋門、希望の象徴」が着工されたのは1985年、1986年スプレッケルセンは職を辞し、1987年に亡くなりました(死因は遺族の意向により未発表)。
グランダルシュ(新凱旋門)は1989年に竣工しました。
ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセン - Wikipedia
以前、下記の記事の中で、「1983年のルーブル美術館前のピラミッド建設から何か変わったよう。」と書きましたが、確かにそうなのかもしれません。
映画『メトロポリス』が作られてから100年-8(霞が関ビル、サンシャインシティ、トゥール・モンパルナス、ルーブル・ピラミッド)) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
オマケ:
「タイムマシン」と書いたのは、これが頭にあったからでした。