昨年7月に書いた、
イタリアテロ事件とグラディオ作戦・主犯容疑者に日本国籍を与え匿った日本政府
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/429cd85503fa73320327e78720e661eb
に本日「ななしさん」から、
「イタリアと日本には犯人引き渡し協定を結んでおらず。イタリア側から充分な証拠提供があれば日本国籍の容疑者は日本で裁かれたはず。元外国人でも日本国籍者を国は守る義務が有ります。むしろ人権だ差別だと言ってる人達が引き渡せと主張した事が異様に感じました。」
とコメントをいただき、
「ご意見、ありがとうございました。
ゾルジ氏が日本国籍を取得したのが1989年12月18日ですが、イタリア政府は80年代に日本に引き渡しを要求しています。
イタリア政府の請求が、この帰化前だった可能性の方が高そうですが、調べてみます。
(彼が帰化できたのは、日本人女性との結婚のよってでしょうが、「テロの外国籍容疑者」に日本が国籍を与えたことに問題があると思います。)
いずれにしても、70、80年代のイタリアのテロ事件では日本人も巻き添えになりました。
イタリアのテロ事件はもう一度ブログで取り上げたいと思っています。」
と返事をしました。 (※追記:沖縄出身の日本女性との結婚は1985年らしいです(入籍したかどうかは不明)。また、「ゾルジ氏は日本とイタリアの二重国籍を有していた」という説もあるようです。)
ブログに取り上げるのはいつになるかわからないので、コメントの返事に書いた「日本人もまきぞえになりました」についての事件のリンクだけ、忘れないように張り付けておきます。
Italicus Express bombing 1974
https://en.wikipedia.org/wiki/Italicus_Express_bombing_1974
(被害者:Tsugufumi Fukadaさん、1947年生まれ)
Bologna massacre
https://en.wikipedia.org/wiki/Bologna_massacre
(被害者:Iwao Sekiguchiさん、20歳)
上記の事件は共にゾルジ氏は直接かかわってはいないでしょうが、グラディオ作戦という点では共通するでしょう。(前者は「おそらく」)
1974年のテロ被害者のフクダさん(埼玉出身のイタリア在住中の方(美術関係?)だったと思います。)も、関口巌さん(早稲田の学生)も、日本で大きく報道されたのでしょうか?
私は1974年の事件は記憶にないですが、1980年の事件は新聞記事で読んで知っていました。しかし、日本人被害者がいたのを知ったのは、ほんの数年前です。
ついでに、イタリアテロの一覧も:
List of massacres in Italy
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_massacres_in_Italy
追記:
2017年1月9日の記事
1974年イタリアでの列車爆破テロ事件-3
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/f3cad2d3af819be4de18ea6ddc6f2fd9
2019年8月1日の記事
1980年ボローニャ駅爆破事件で亡くなった早稲田の関口巌さん追悼動画
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/231c74abe647b16f060a58912c8691e9
インドの日本人学校に赴任経験があり、少なくとも英語での日常会話に不自由はありませんでした。
同年 7月に産まれた子供、産後間もない妻を残しての死去で、当時スイス留学中の兄、
福田 多禾男 氏(医学者、のちの東北大教授)が尽力され、同年中に遺体(遺骨として)が日本の遺族への返還が実現しました。
日本政府はイタリアに対しての賠償請求を断念するよう遺族に迫り、同国よりの外交文書も日本語訳も行われず、届く状態でした。
多禾男氏並び兄弟のご両親が鬼籍となられた為、記させていただきます。
尚、当時の状況は上毛新聞に詳しいですが、個人の氏名等、誤植も多い事を付記させていただきます。
そうすると、被害者の福田丞書さんの奥様とお子さんは、何も賠償もされることがなかったということでしょうか?
賠償問題を置いておいても、やりきれない事件です。
(落ち着いたら、もう一度この事件について追ってみようと思います。)