60年代ー
私が小学生のころ、授業で「公的機関」を順番に答える授業がありました。私の順番になる前は粗方答えは出尽くして、私があてられた時に私が答えたのは「銀行」。
当時の私の「銀行」のイメージは「お役所」。「銀行」は母と一緒に行くだけの、ちょっと緊張する空間であり、そこではお金を預かり、そして利息もつけてくれるところ。「利息」がどうやって生み出されるのか知らなかった小学生の私には、「銀行」の利息は国がくれるもの、と思い込んでいました。
先生は「銀行には公的なもの、例えば「日本銀行」というものもあって、これは公的機関だけど、あなたのお母さんたちが行く銀行は「民間」の会社。」とだけ説明。
私はそれを聞いて、自分の思い違いを改めましたが、「銀行」がどうして利息を付けられるかは、わからないままでした。
70年代前半-
中学生になって、英語の授業だったか、社会の授業であったのかは覚えていませんが、雑談で、
「「銀行員」という職業は日本では「良い職業」と思われるけど、欧米ではむしろ低くみられる職業」
と教師が言ったことがありました。(考えてみると、銀行員の親がいる子供もいたはずなので、それだけを考えてもこの発言は問題だったと思います。)
70年代末-
高校生で、「株」を買ったつもりになる授業があって、生徒たちは新聞を見ながら「購入するつもりの株」を選びました。
私がその時選んだの「住友銀行」の株。なぜ「住友銀行」にしたかというと、製造業より金融業の会社をなぜか選びたかったこと、そして「住友」のイメージが良かったからです。
(その当時の株価は1株数百円。就職した80年代はたぶん20倍以上になっていて、「もしあの時私がお金があったなら・・」とふざけて行っていました。バブル崩壊したあとでも、あの70年代末の時点にかっていたのなら、確実に大金をてにしていたんですよね。)
80年代-
その後就職をしましたが、銀行は日銀から民間銀行までかかわるようになりました。
私の職場は高卒+学校の推薦で就職した一般職員も、職場で語学の授業も受けることができたし。それだけでなく、同僚も、上司も、自分の時間を割いて、いろいろ知識の補充をしてくれました。
中堅のころ、新人さんに金融機関、利息の説明をするという課長クラスの男性がいて、一緒にレクチャーを受けさせてもらいました。
詳しい内容は忘れましたが、彼の言葉で印象に残っているのは、
「銀行の利息が付いて「それを喜んではいけない。利息が単に、現金の価値が下がった部分をもらうということなので、とんとん。」
当時は銀行の利率は高く、それはバブルのものだったので、あの時は「とんとん」ではなかったのではないか、と思います。(預けた側葉「得」、借りた側は「損」。)
この80年代から90年段半ば過ぎまで、日本人の私にとっては、「銀行」そして金融機関は「品のある」ものでした。
アジア金融危機、リーマンショック、つづく0金利-そこから中学の頃の、
「「銀行員」という職業は日本では「良い職業」と思われるけど、欧米ではむしろ低くみられる職業」
という言葉がよく浮かんでくるようになりました。