80年代の初の海外旅行については何度か書いていますが、ほとんどフランスのことばかりでした。
私が初めて訪れた国はフランスではなくイギリス。
この旅行ではロンドンしか滞在せずに、勤め先のロンドン駐在員事務所(当時できたばかり)にも寄らせてもらいました。
その事務所は「Bank駅」から近いところにありましたが、Googleマップもない時代、頼りは住所のみ。
駅を出てから、お肉屋さん(お肉だけ売っていたのかはわかりませんが、、肉がショーウィンドーに並んでいたと思います。)を発見。お店に入り、住所を書いた紙を見せて聞くと、店主が一生懸命教えてくれようとするも、話している言葉がまったくわからず。しかし方向はわかったので、お礼を言って、外に出ました。
「あの人(店主)が話していたのは、いわゆるコックニー訛りだったのだろうか?親切な人だったけど、私の英語レベルでは聴き取れなくて申し訳なかったわ。それにしても、こんなオフィスが多いところで、昔から営業していたのかな。」
と旅の相棒だった従姉に話しながらも、彼が示した方向に進みなんとか事務所に到着することはできました。
(「コックニー訛り」とは、ロンドンの下町労働者の言葉。私は、オードリー・ヘップバーンの『マイ・フィア・レディ』を観たから、「コックニー訛り方」があるというのは知っていましたが、そもそも「コックニー訛り」がどんなものであるかも知らなかった(今もわからない)ので、あれが「コックニー訛り」であったかはわかりませんでした。)
このお店のことを書いたのは、下記の記事を見つけたからです。
第203回 ユダヤ人とシティの金融商人(前編) - 英国ニュース、求人、イベント、コラム、レストラン、ロンドン・イギリス情報誌 - 英国ニュースダイジェスト (news-digest.co.uk)
抜粋:
シティのギルド・ホール近くにオールド・ジューリーという通りがあります。古くはジューリー・ストリートと呼ばれ、13世紀の終わりまでユダヤ人の居住区でした。ユダヤ人の居住区というと当時の欧州大陸にあった高い塀に覆われた強制居住地区を思い起こしますが、ここは全く違います。英国王家に金融業を任せられ、居住の自由やシナゴーグ(ユダヤ教会堂)での礼拝も許され、この近辺に集まって生活していました。
「Bank駅」近くには、ユダヤ人居住区はあるとのこと。
おそらく私たちが道を尋ねにいったのは、「オールド・ジュ―リー」にあったユダヤ人用の食材店だったのでしょう。
あの時の言葉がコックニー訛りであったか、イディッシュ語であったか、出身国の言葉であったのかはわかりません。しかし、ロンドンで東洋人が道を尋ねに来た時、英語以外で自信満々に道の案内をする人は少なさそうなそうなので、やはり彼は「コックニー訛りの英語」をしゃべっていたのではないかと思うのです。
「金融商人のユダヤ人たち」にとって、ユダヤ教徒用の食材や料理は必要。
東京の兜町、丸の内や大手町に「お肉屋さん」が現れるくらいの当時の違和感は、約40年目に解消しました。
上の記事の(中編)と(後編)です。
第204回 ユダヤ人とシティの金融商人(中編) - 英国ニュース、求人、イベント、コラム、レストラン、ロンドン・イギリス情報誌 - 英国ニュースダイジェスト (news-digest.co.uk)
第205回 ユダヤ人とシティの金融商人(後編) - 英国ニュース、求人、イベント、コラム、レストラン、ロンドン・イギリス情報誌 - 英国ニュースダイジェスト (news-digest.co.uk)