三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

ダナンジャイ・キール『アンベードカルの生涯』

2008年05月20日 | 仏教

インドの初代法相であり、インド憲法の父と言われているアンベードカルの伝記を読む。
不可触民の出身であるアンベードカルは不可触民のために戦い、そしてインド仏教を再興した人である。

アンベードカルはガンジーと親しいのかと思っていたら、かなり強烈にガンジーを批判し、「ガンディーそのものを信用していない」とまで言い切っている。
どうしてかというと、ガンジーはカースト制を肯定しているからだ。
ガンジーはこう言っている。
「私は生まれながらにしてヒンズーであるばかりでなく、自ら選び、自らの信条によってヒンズーである。私の考えるヒンズーイズムには上下の差別はない。しかるにアンベードカル博士は、四姓制と闘うと言っている。その限りでは私は彼に組するわけにはゆかぬ」
そして、州政府閣僚にハリジャンが入閣することにガンディーは反対している。
だからアンベードカルは、「ガンディーは労働者階級や貧しいものの利益を擁護する男ではない」と断言している。
ガンジーにはちょっとがっかり。

「不幸なことに、インド国民は伝統的に余りに信心深く、理知に乏しいきらいがある。他所の国では気狂い扱いにされるような並外れた、エキセントリックなことをする人間が、この国ではマハトマ(偉大な人)とか、ヨーギとかいった評価を受けてしまう。そして民衆は羊飼いに従う羊のようにその後についてゆく」
というアンベードカルの言葉はガンジーを皮肉っているわけではないが、次の言葉と合わせるとガンジーを念頭に置いていたことがわかる。
「ガンディー時代になると、指導者たちは半分裸の格好を得意がり、インドを古代的遺物の標本にしようとしている。(略)ガンディー時代はインドの暗黒時代である」
もっともインドではサイババやオショーみたいな人間がゴロゴロしているのだが。

そして、アンベードカルはある集会で自分に向けられた演説に対し、
「この演説は、余りに私の仕事や私のことを誉めすぎている。諸君は、諸君と変わらない普通の人間を神のように崇めようとしている。英雄崇拝思想は、その芽の内につみ取らなければ自滅をもたらすだろう。個人の神聖化によって、諸君は自分の安全や救済を一個人に委ねることになり、依頼心と自らの義務への無関心さを招く結果になる。個人崇拝に陥るなら、諸君の運命は人生の大海に浮かぶ流木となんら変わることがなくなる」
と言っているが、これもガンジーを連想させる。
英雄崇拝(カリスマ信仰)批判は普遍的真理である。

『アンベードカルの生涯』のあとがきによると、アンベードカルは今では黙殺されており、アンベードカルの著作は手に入りにくいそうだ。
アンベードカルが生きていたころのインドの人口は3億人、不可触民は6000万人、5人に1人だと、『アンベードカルの生涯』には書いてあり、ウィキペディアでは、カースト以下の人は1億人とある。
実際にはどれくらいの人口なのかはわからないが、インドの仏教徒は約800万人というから、不可触民の人数に比べるとあまりに少数である。
B・R・アンベードカル『ブッダとそのダンマ』の解説によると、一部の地方を除き、マハール=カースト(アンベードカルが属するカースト)以外からの改宗者の数はまだ限られている」そうだ。
不可触民といっても、その中にまたいろんなカーストに分かれていて、それぞれ考えが違うということらしい。

ネットで検索したら、アンベードカルの肖像画を売っていた。
まだまだ人気があるように思うが、「アンベードカルを菩薩として崇拝することによって団結を維持しているのが現状である」ということである。
いささか寂しい。

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