「死刑になりたい」無差別犯罪なぜ
「死刑になりたい」。こんな動機で、見知らぬ人を襲う容疑者が相次いでいる。茨城県で3月に男が駅周辺で8人を殺傷した事件、鹿児島県で4月に自衛官がタクシー運転手を殺した事件……。犯罪を抑える狙いの死刑制度が、逆に凶行を誘発していることになるが、それはなぜか。識者の見方も割れる。(朝日新聞5月10日)
カミュが死刑廃止論者とは知らなかった。
『ギロチン』という本で死刑は犯罪抑止力になる主張する人を徹底して批判しているそうだ。
「死刑がはたして殺人を決意した犯人の一人でも、たじろがせたかどうかは証明されていない」(カミュ『ギロチン』)
実際のところ、いざ人を殺す時に、もしも殺したら死刑になるかもしれないとは思いもしないだろう。
たとえば、坂出市で祖母と孫二人を殺すという事件があった。
祖母を殺そうと思っていて家に孫が二人いたわけで、だったら孫も殺したら死刑になるかもしれないと考えて、祖母を殺すのを延期してもいいはずである。
だけども、おそらく加害者は人を殺そうと興奮した状態だったために、死刑なんてことは頭に思い浮かばなかったのだと思う。
で、思い出したのが、いささか古いのだが、産経新聞の「産経抄」にこんなことが書いてあった。
本日のテーマは、内閣改造で決まりのはずだったが、書かずにはいられない。名古屋市の住宅街で、男3人が見ず知らずの31歳の女性を拉致し、金を奪って殺害、岐阜県の山林に遺体を捨てた事件のことだ。
▼女性が自宅を間近にして、ミニバンに引きずりこまれたのは24日の午後10時ごろ。夜遊びしていたわけではない。普段は午後7時半ごろ帰宅しているが、この日はたまたま午後からの仕事でおそくなっていた。幼いころ父親と死別し、母親との2人暮らしだった。
▼囲碁が趣味で、読書や料理も好きだった。「母のために家を建てたい」と将来の夢を語り、結婚話が進んでいた、と報じる新聞もあった。殺される何のいわれもない。それどころか、周囲の人たちが幸せを願わずにはいられない、親孝行に励む知的でまじめな娘さんの姿が目に浮かぶ。
▼だから余計に「金を奪うなら力のない女の方が狙いやすい」とうそぶいて、その通り実行した男たちに怒りがこみ上げてくる。か弱い女性の両手首に手錠をかけ、顔に粘着テープを巻いて身動きできないようにして、ハンマーでめった打ちにするなんて。
▼一人では何もできない人間に限って、群れると残酷なことをしでかすものだ。見知らぬ人の善意や知恵を結びつけるインターネットは、同時に悪人の連携を促し、犯行をエスカレートさせることもある。恐ろしい世の中になった。
▼事件発覚のきっかけは、男の1人が、愛知県警にかけた電話だった。罪の重さに耐えかねたというより、「死刑が怖かった」かららしい。身勝手きわまる言い分だが、その後も繰り返されたかもしれない凶行を、「死刑」が抑止したともいえる。死刑廃止論者たちはこの言葉をどう聞くだろうか。(産経新聞2007年8月28日)
この事件が死刑に犯罪の抑止効果があることを証明しているのだったら、事件を起こす前にやめるなり、計画の段階で警察に知らせるなりしてるはずだ。
村瀬学同志社女子大教授は
「確かに、「死刑」が怖いから極悪非道なことをしないのではなく、極悪非道なことをしてしまった後で、捕まって「死刑」になるのが怖くなり、犯行の隠蔽工作にやっきになるのであろう」(『少年犯罪厳罰化 私はこう考える』)
と言っている。
名古屋市の事件の場合は隠蔽工作ではなく、情状酌量にやっきになって自首したわけだが。
死刑が犯罪抑止力にならない例として、死刑になりたいからと殺人を犯す人が少なくないことがある。
宅間守の弁護人だった戸谷茂樹弁護士の話だと、
「母親と祖母と妹の三人が殺害されるという事件がありました。犯人の清水英和は最初から『死刑にしてもらいたい』と言っていた。覚悟のうえの犯行です。しかしこのときは心神耗弱が認められて死刑にならなかった。弁護を担当した私は本人から非難されました。死刑になりたかったのに自分の意向に反した弁護活動をしたと、最後は解任されました」(森達也『死刑』)
ということがあったそうだ。
死刑になりたいからというので人を殺す事件はアメリカではいくつも報告されているそうで、朝日新聞の記事にあるように日本でも増えている。
4月22日、「死刑になりたかった」というので19歳の自衛官がタクシー運転手を殺した事件があったが、光市事件の判決ばかりが騒がれてあまり報道されなかった。
死刑が犯罪を抑止するどころか、逆に殺人事件を増やしているわけで、「死刑になりたかった」という言葉を産経抄はどう聞くのだろうか。
硫化水素による自殺が続いている。
他人を巻き添えにしてしまうこともある。
表に張り紙をして自殺する人もいるということは、自分が自殺することで他の人が死ぬこともあり得るとわきまえてはいるのだろう。
わかっていても硫化水素による死を選ぶのは、自分の命が大切ではないから、人の命のことなどどうでもいいのかもしれない。
その意味で、硫化水素による自殺は死刑になるために人を殺すのと似た心理だと思う。
死刑という命を粗末にする制度は、自分の命を大切に思えない人を新たに生み出すのではないかと思う。
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年間の自殺者が3万人越えというのが10年以上続いているようですから、30万人の人がこの10年で自殺していまして。これは、かなりの人が自分の知り合いに自殺者がいることになるのではないでしょうか。
死刑になっている人ってある時点で切ると100人前後で。自分の身内もしくは知人が被害者、加害者という人はなかなかいないのではないかと思うのですが。しかし、殺人や死刑の問題ってものすごい注目を集めてますね。何故だろう。
殺人って、通り魔犯罪が話題になるけど、家族とか知人によってひきおこされることが多いんですよね。これはやっぱり、怨恨という理由なんですかね。家族や知人は大切だけど、いざとなったらやっかいな存在。
私自身も、通り魔的な殺人を今からする可能性は、少ないだろうけど。たとえば、仕事上、介護やケアに疲れることはあるでしょう。
仮に事件を起こすことになったときは、もうどうにでもなれという投げやりな気持ちが臨界点に達したときだろうと。逃げるに逃げれない状況の中で、フラストレーションがたまってやけのやんぱちに。
で、その後って自分の精神状態って立て直せるのかなあと思う。追い詰められて追い詰められてしかし、死ぬこともできず相手を殺したのだったら、うーん。タイヘン。
バラバラ殺人で、妹さんを殺した被告と、夫を殺した被告。刑期が違うようですが。男が女を殺し、女が男を殺す。うーん。どっちも精神的に袋小路に入ったのか。
http://jp.youtube.com/watch?v=3bEbpzHyqUY
成人の19%が本気で自殺を考え、そのうち20%がこの1年間で自殺を考えたという調査がありました。
つまり、成人1億人のうち、約3.8%、380万人がこの1年間に自殺を考え、そのうち1%が実際に自殺したということになります。
昨年の殺人認知件数は1199件、殺人未遂を含みますから、殺人事件は約600件。
自殺者の50分の1です。
殺人の約半数は家族が加害者、9割が顔見知りです。
平成8年版犯罪白書に殺害の動機の表があります。
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/37/nfm/n_37_2_3_4_5_2.html
報復・怨恨が15.1%、痴情・性的動機13.2%、憤懣・激情13.2%などとありますが、一家心中はどこに含まれるのでしょうか。
死にたいからというので人を殺した、あるいはどうでもよくなって人を殺した、というケースもどれくらいあるかわかりません。
自殺を考える人が380万人もいるんですから、たとえばその中の0.001%(10万人に1人)、38人が自殺する代わりに人を殺してしまう可能性(殺人件数の3%)は大いにあると思います。
平成19年版犯罪白書によると、
「1犯目に殺人事犯を犯した者の場合,その後の再犯に及ぶ者の比率は16.7%であり,うち同一事犯である殺人事犯の再犯を有する比率は0.9%」
「数値の上で見ると,殺人事犯は,他の罪名に比して,同種再犯の可能性が,極めて少ない犯罪であるということがいえる」
http://www.jcps.or.jp/body/051_1904.html
ということですから、死にたくて事件を起こした人であっても、立ち直る可能性は高いんだろうと思います。
>妹さんを殺した被告と、夫を殺した被告。刑期が違うようですが。
どちらも心神喪失が認められたと思いますが、刑の違いは遺族感情の違いということでしょうか。