三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

浜井浩一、芹沢一也『犯罪不安社会』(2)

2007年11月03日 | 厳罰化

 2章「凶悪犯罪の語られ方」 芹沢一也
犯罪報道の語られ方は加害者から被害者へと変化している。
以前は、話題になる犯罪が起こると、批評家、学者など多くの人が犯人の生い立ちや社会背景、動機などをもとに教育論、家族論、社会論を論じた。
たとえば、宮崎勤や酒鬼薔薇事件の少年Aについて、言論人たちは解釈ゲームを繰り広げた。

ところが1998年に起きた、中学生が注意した女性教師をナイフで刺殺した事件あたりから変わってくる。
普通の子でもキレたら何をするかわからないと、加害者は理解不能な不気味な存在となった。
そして、「宮崎勤、それは私だ」といった、犯罪者への共感をしなくなった。

社会は少年を理解しようとする意思を捨てたと同時に、メディアは犯罪被害者の活動とともに被害者に共感を寄せるように変わり、加害少年を糾弾する記事が増えていく。
加害者から被害者への共感の移行と、少年の怪物化はパラレルな現象だった。

社会は教育的な関心などかなぐり捨て、怪物と化した少年の厳罰を望むようになった。
犯罪者は理解不能(「理解できない」というより「理解すべきでない」という感じか)な恐怖の対象となり、社会は犯罪者を憎悪するようになった。

たとえば宅間守である。

かつてであれば、その不幸な家庭環境は数奇な生涯と併せて、悲惨な境遇を過ごさねばならなかった宅間への、社会的な同情や共感を掻き立てたかもしれない。だが、メディアは「怪物」「悪魔」として激しく非難、宅間守を「人格障害」として切り捨てた。


「社会から排除すべき異常者」となった犯罪者に対して、社会の責任や教育問題といった解釈ゲームは行われることはなく、ただ抹殺されるだけである。

 3章「地域防犯活動の行き着く先」 芹沢一也
感情移入する対象が加害者から被害者に移り、犯罪者が社会の敵となった時、犯罪は多発してはいないのに、人々は「自分も被害者になるかもしれない」という不安を抱き始めた。
そして、全国各地で無差別に子どもたちが襲われているイメージが一人歩きする。

実際には、子どもが殺される事件は減少している。
 小学生が殺害される事件(殺人未遂も含む)
1976年 100人
1982年 79人
2005年 27人

しかし、不安を感じる人は多い。
日本のどこかで子どもが殺される事件が発生すると、メディアの報道を介してさらなる不安を呼び起こす。
その不安がセキュリティのさらなる強化を求め、コミュニティの再生を合言葉に住民たちを防犯活動へと駆り立てる。

だが、そのような活動は安全や安心をもたらすものではなく、逆に不審者への脅威に敏感になることでかえって不安を高めてしまう。
こうして社会は不安と治安の終わりなきスパイラルに巻き込まれる。

地域で子どもを守ろうという運動が盛んになっている。
地域安全活動を理論的に支えているのが、犯行の背後に個人的な動機や境遇を読み込むことは、犯罪を防ぐために何の意味もないと主張する環境犯罪学である。

たとえば、割れ窓理論。
 建物やビルの窓ガラスが割れているのを放置
  ↓
 割られる窓ガラスが増える
  ↓
 建物やビル全体が荒廃する
  ↓
 地域全体が荒れていく
  ↓
 犯罪が多発する
  ↓
 住民が逃げ出す
  ↓
 街が崩壊する

悪の芽を小さなうちに摘むことが効果的な防犯対策だという考えは、説得力がある。
しかし、環境犯罪学の旗を振っている小宮信夫はこう言っている。

私たちが抱く不安は、必ずしも犯罪それ自体ではありません。駅の周囲に若い人たちがタムロしている。酔っぱらいが大声で歌いながら道を歩いている。あちこちに落書きがある。ゴミが散らかっている。あちこちの窓ガラスが割れている。空き家が放置されっぱなし。でも、それらを放置しておくと、やがて犯罪に繋がるのです。

これは脅し、もしくは妄想である。
防犯上の効果があるかどうか実証されていない。

人々が防犯活動をし、セキュリティが地域社会を覆う中、人々は安全と安心を手にすることができたわけではない。
現実には、地域の連帯ではなく、子どもに声をかけたら不審者扱いされるという「相互不信社会」である。

では、不審者とは誰のことかというと、自分たちとは違う異質な人である。
失業者、ホームレス、障害者、自閉症、外国人など社会的弱者、少数者が不審者なのである。

医者から「自閉傾向がある」と診断された川崎市の男性Bさん(28)の家族は悩んでいる。
Bさんは子どもが好きで、道で見かけるとほほえんで見つめる。にこにこしながら独り言を言ったり、ぴょんぴょんはねたりすることもある。(略)
昨年12月の夜、近所の住人という男性4人が訪ねてきた。「見つめられた子どもたちが怖がっている。何とかできないか」(「朝日新聞」2006年1月25日)。

近所で不審者騒ぎが頻発し、「みんなが怖がっている。辞めてほしい」と告げられたBさんは長年、通っていた水泳教室を辞めさせられた。

子どもの安全をスローガンにして相互不信社会が生まれつつあり、それが社会的な弱者を不審者として排除することにつながっている。

このように推進される防犯活動は、これで充分だという限界がない。
なぜなら、体感治安悪化から生じた不安だから、ないものをなくすことはできない。
地域社会が相互不信状況に陥っているため、不安はますます肥大化する。

脅して不安にさせて、商品を買わせるのは悪徳商法の手口である。
誰がもうけるのか。

まずはセキュリティ産業。
文部科学省26億円、警察庁4億7000万円、法務省3億5000万円など、2006年度予算では、子どもの安全に関する各省庁分の事業のみが大幅増となった。

学校に警備会社から警備員が配置され、塾や習い事の行き帰りの送迎ビジネス、GPS付き携帯電話など、安全ビジネスに文房具会社、情報システム会社、ランドセル販売会社が参入している。

犯罪不安を煽り立てる小宮信夫が旗振り役の地域安全マップは何ら効果がないどころか、かえってマイナスにしかならない。
ところが、この地域安全マップは全国の小学校で児童が作らされている。

犯罪不安に陥ってヒステリックになることは、国民の管理を強化したい国の思惑にはまることである。
イジメによる自殺、学力低下などで脅し、不安にさせ、そして「教育基本法」を改正したのと同じパターンである。
北朝鮮やテロの脅威を強調し、戦争できる国へと憲法を改正しようという動きとも関連していると思う。

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20 コメント

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共感しました。 (ゆうこ)
2007-11-03 16:15:11
 示唆に富んだ良いご本を紹介くださってありがとうございます。被害者のほうへ視点が移ってゆく経緯、同感です。8年前の光市の事件以降、そういう動きが顕著になったかと思います。2005年、木曽川長良川事件控訴審で、事件当時少年だった被告を含む3人に死刑判決が下りました。円さんのお陰で知った「年報死刑廃止2006」に、そのあたり(厳罰化)の様子が安田さんたちの話として載っていました。裁判官が悩むことをしなくなりましたね。永山判決は「どの裁判所においても死刑を選択するであろう事案に限り、やむを得ず死刑の選択が許される」というものですが、それが逆転しました。無期を選択するにはそれ相応の理由がなければだめである、と。光市の最高裁判決も木曽川長良川の高裁判決も、その逆転の流れに沿っています。犯罪が起こった元は何であったのか、事実をしっかりと解明しなければ、同じような事件が繰り返されるのではないでしょうか。量刑だけでなく、事件の拠ってくるところを見極めるのが司法の役割だと思いますが、裁判員制度になると、どうなのでしょう・・・。
返信する
講演会のご案内 (higashiyamato_747)
2007-11-03 17:27:32
NHKプロジェクトXに紹介された医師をお迎えしての講演会のお知らせです。
病に苦しむ人々を救いたいという強い信念の下、自らの危険を顧みず5年半にも及ぶ医療活動に従事した医師の講演会です。

異国の大地で、国境を越えた地球市民としての勇気ある行動が、多くの参加者に『生きる力を』を感じていただきたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
NHKプロジェクトX 『チェルノブイリの傷:奇跡のメス』に紹介された医師による講演会のご案内!!
※詳細は下記のサイトにてご確認ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/higashiyamato_747/5994780.html
※空席がございます。是非ともご参加ください。
返信する
これからどうなる ()
2007-11-03 19:16:15
>ゆうこさん
コメントありがとうございます。
前に書きましたが、名古屋で、拉致されて殺された磯谷利恵さんの事件の加害者3人の死刑を求める署名が、11月1日現在で181,088名になったそうです。
http://www2.odn.ne.jp/rie_isogai/
事件から2ヵ月ちょっとでこの数です。
裁判員制度が仮に中止になっても、検察の意向、そして世論の圧力で厳罰にせざるを得なくなるのではないでしょうか。
ある意味、私には犯罪そのものよりも、こっちのほうが怖いです。
返信する
アメリカの陰謀!爬虫類人の恐怖!! (フリーライター)
2007-11-03 23:42:10
旧5000円札。
まず、皇室を意味する菊の御紋がまっ二つに分けられている。
そしてその真ん中に彼らの象徴である「万物を見通す目」。
これは皇室が彼らのコントロ-ルを受けていることを示している。
また日本がはじっこにある不思議な地図。
これは太平洋を彼らが支配していることを示している。
そしてこの人物、新戸部稲造は初代国連の事務次長として彼らに尽くした人物である。
裏側に富士山が印刷されているが、その手前にある湖面には「彼ら」の象徴であるシナイ山が描き込まれているのである。
http://rerundata.hypermart.net/aum7/2/oz2/oz205.html

今まさに、天使と悪魔の戦いです。
1ドル紙幣を見ればわかるように、アメリカも最初からそれに組み込まれている。
http://www.eonet.ne.jp/~maxim/contents/column/column_AC026.html

いろいろ嫌なものが、全部あの中に入っている。
旧5000円札は菊の御紋を割ってみたり、造幣局の中にも「闇の権力」が忍び込んでいる。

最初に紙幣を作った人はマイヤー・アムシェルです。
国債とか、外債とか、LC(信用状)とか、みんなユダヤ人が作りました。
結局彼らは職業としてお金しかいじれなかった。

彼らには強烈な選民意識があります。
自分たちこそ神に選ばれた。それは非常に間違った信念、歪曲されたものです。

ユダヤ民族が抱いている、自分たちだけが選ばれているという選民意識から、統一のためには手段も選ばず、力の道でも何でも使いこなしていく。

一つの民族の生き方にも光と闇があります。
その闇の部分が、彼ら自身にはわかっていない。自分たちが選ばれたのだから、手段も選ばずいろんな形で力の道で、あるときは軍産複合体を使って、いうことを聞かなければ爆撃してでもいうことを聞かせる。あるいは、金融メーソンというか、金融の力で有無を言わせず世界を統一していく。それは力の道ですから、神の目から見たら反したものです。
歪曲した信念はすごく怖いと感じます。

そういうことではないのです。

爆撃していうことを聞かせるといっても、平和になるどころか、もっと難民をつくって、もっと国をぐしゃぐしゃにしてどうなるのという感じです。

彼らはほとんど魔の世界からの導きでやっていますから、歪曲した信念をそのまま力の道で押し通そうおというのでしょう。それは違うよということを、私たちは信念を持って、人間がより人間らしく生きていく世界にするためにはどうしようかということを、肉体を持った人間として、知恵と勇気と洞察力を持ってやっていく。そういう力を恐れずに対抗してやっていく。

真実を伝えていかなければなりません。今の国民のこのザマを見てください。郵政民営化という真っ赤なウソで、アメリカに牛耳られている。奴隷以下の国家に成り下がっています。

マスコミが全部封じていますから、そのようなことを国民が知らないのです。

ですから一人でも多くの人に知らせていくことが大切です。

日本の民族は、民度がすごく高いと思います。
知らないからこんな結果になってしまって、これから1~2年の間、この反動は大きいと思います。

命がけでこの国を立ち上がらせなければ、こんなすばらしい国家なのに、とんでもないことです。
返信する
「凶悪」とは何か (ゆうこ)
2007-11-04 15:39:08
>犯罪そのものよりも、こっちのほうが怖いです

 すごい数になっているのですね。被害者遺族の痛みは察して余りあるものですが、第三者の、謂わば「私刑」(リンチ)には、強い危惧を抱かざるを得ません。恐くなりました。
 「体感治安」のほうのエントリへTBさせて戴きましたが、政策的なやり方も要因にあると思いますね。


http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/ec53345b4704b07cb18d67d8d710d89d
光市の最高裁判決のように、「冷酷」「残虐」「非人間的」と最大限の非難の言葉を並べて、もっぱら人を処罰するばかりですから、マスコミも市民も、司法に厳罰を求めるんですね。「殺せ」、「吊るせ」とガーッと騒げば司法は簡単に動くものだと、実際動いてしまうんですけどね、そういう、全体としての同化現象というか軟弱現象が起こっているという気がします。
返信する
もっと修復的司法を ()
2007-11-05 19:08:23
「週刊文春」を立ち読みしてたら、犯罪被害者と加害者とが対話する会についての記事がありました。
修復的司法の説明もあり、いい内容だと思います。
ただ、「なぜ被害者が加害者の更正に協力しなくてはいけないのか」という文章や、息子さんが殺された武ゆり子さんの「被害者の立場から見ると、修復的司法は加害者のためだと思います。殺人の場合は、修復的司法は難しいのではないでしょうか。子どもを殺された親はどんなことをされても、加害者を許すことはできないからです」というようなコメントもあり、修復的司法を誤解する人がいるかもしれません。
修復的司法は加害者だけではなく、被害者にとっても救いにつながると思います。
また、お子さんを殺された方の中で加害者と会っている方はおられますし、被害者のすべてが厳罰を求めているわけではありません。
マスコミは厳罰を求めていない被害者、加害者と交流のある被害者の紹介もしてほしいものです。
返信する
被害者ファーストの会 (ゴーストバスターズ)
2020-04-05 01:18:25
 >息子さんが殺された武ゆり子さんの「被害者の立場から見ると、修復的司法は加害者のためだと思います。殺人の場合は、修復的司法は難しいのではないでしょうか。子どもを殺された親はどんなことをされても、加害者を許すことはできないからです」というようなコメントもあり、修復的司法を誤解する人がいるかもしれません。

 こういった発言を読むと、やはり管理人さんは、被害者や被害者家族よりも、加害者のことを優先的に考えていると思われても仕方ないなあと思います。
 厳罰を求める被害者(家族)を無理強いして考えを改めてもらうことはないと思います。修復的司法が、被害者にとって救いとなるかどうかはわからないでしょう。

 これが書かれた時からすでに12年ほど経っているのですが、諸外国でこの「修復的司法」はどの程度、成果をあげてきたんでしょうね。ググってもこの頃とは違ってあまり、書籍や論文がヒットしない。けれど、TEDでこんな発言をしている人がいますね。

 https://digitalcast.jp/v/19890/

 いわく。無期刑囚との出会いがあった。彼らは精神病者と診断されていた。そして彼らの脳神経を調べた。他人に感情移入できないといわれる彼らの扁桃体は小さかった。従来、成人の脳で新しい細胞は増えないといわれていた。ところが90年代に哺乳類の神経細胞の新生が成体でも起こることがわかった。マウスで実験すると、新しい経験を積ませると新しい脳細胞が生まれ、新しいことを学習できるようになった。
 ここから無期刑囚にも応用できるのではないか。「修復的司法プログラム」という新しい経験によって、彼らのリハビリ、新生につながるのではないか、、、、

 私は、性犯罪被害者の治療としてEMDR(眼球運動による脱感作と再処理療法)を紹介しましたが、他の有力な治療は、PE(持続エクスポージャー療法)かなとも思います。
 https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0011/topic001.html

 フラッシュバックという嫌な記憶が蘇ることからどうやって逃れられるのか。街には男性があふれていて、それがトリガー(引鉄)となるかも知れない。しかしそれでは社会生活を営むことができない。そこで、この曝露療法というのは、恐怖の対象に少しづつ慣れていくというもの。ネットで調べると、VR(ヴァーチャル・リアリティ)を使って行うということも開発されているよう。

 わざわざ、望んでもいない被害者(家族)が加害者につきあわされることはないと思うので、加害者がリハビリするのにVRの技術を使って、擬似修復的司法研究が進めばいいのではないかとも思う。
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科学の進歩 ()
2020-04-06 17:42:04
おっしゃるとおりなんでしょうね。

修復的司法は科学的に証明されてはいないということでしょうか。
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構成概念って空? (ゴーストバスターズ)
2020-04-06 23:00:59
 そもそも、この修復的司法のパイオニアともいえるハワード・ゼアさんって誰?と検索をかけると、英語のウィキペディアが出てきました。
 それを読むと、「中西部のメノナイト教会の指導者の息子」とあり、「イースタン・メノナイト大学の正義と平和構築センターの教授」とあります。きわめて宗教的な人物ですね。
 メノナイトといえば、この教団からアーミッシュが分かれていったんですよね。管理人さんはアーミッシュの赦しという記事を書かれていました。
 宗教というのはそれを信じない人にとっては理解しがたいものかも知れません。

 そもそも、「心理学研究」という科目をとったら、心理学は実証を重んじる科学であるけれど、心理学が研究対象としているものは、「(心理学的)構成概念」であり、物質を扱う科学とは違って直接重さを測ったり長さを測ったりできるものではないとありました。下記は、統計用語集というサイトですが。
 https://bellcurve.jp/statistics/glossary/7388.html

 「リーダーシップ」「思いやり」「社交性」、、、これらはみな、研究者がその存在を仮定して検証するものですよね。たとえば、あらゆる国民は、他人から侵害されない人権を持つといっても、それは「社会的構成概念」ですよね。

 死刑の抑止力って、二酸化炭素なりフロンガスなりと違って、物質じゃないよねと思いますし、修復的司法を受けて「癒し」とか「救い」を得たということは、それを感じた人にはあるんでしょうけどね。
 まあ、だからこころの働きに脳が関与しているというなら、脳の活動を電気的にとらえるとかで数値化されれば、より納得するひとは出てくるかなとも思いますが。 
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犯罪者にモンスターはいない (ゴーストバスターズ)
2020-04-08 01:35:07
 ↑の書き込みは、管理人さんの別の記事「犯罪被害の経験を超えて」のとこに書くべきでした。さて、たくさんの書き込みとリンクすいません。
まあ、管理人さんと「対話」したいのですが、そもそも管理人さんの「関心」とは根本的にズレているのかも知れませんね。私は自分の考え方の補強をするために知識を得ようとは思ってなくて、自分の考えもおよばないものに出遇いたいと思ってあれこれ調べてます。巻き込んですみません。
 
 さて。修復的司法のもう一人の立役者は、ノルウェーのニルス・クリスティー氏です。NHKで放送された映像があります。インタビュアーはおなじみ映画監督の森達也氏。
https://www.youtube.com/watch?v=SwJFMAYvUe0

 ニルスさんが何故、犯罪学を専攻するようになったかが語られています。いわく、歴史を調べていたらこんなことがあった。ナチス・ドイツがノルウェーに侵攻して捕虜収容所を作った。そこにはユーゴスラビアからの捕虜がいた。そこの管理はノルウェー人に任された。中には捕虜を虐殺した人たちがいて、また捕虜と親しくなって虐殺に加担しなかった人もいた。
 ここでニルスさんは、ひとはある状況のもとに置かれれば残虐なことをする、と。しかし、彼らもふだんは普通の人間だ。各地の刑務所で凶悪犯と言われる人たちに会ったが怪物はいなかった、と。

 ニルスさんもある意味、「悪の凡庸さ」にぶち当たりしかし、そこで私のように人間に懐疑的にならず、人間の善意を信じようと決断したのでしょうね。
 だから、罪を犯したひとたちも私たちと同じ人間。彼らの生活環境を整えれば、ふつうの人間にもどることができるのだ、と。

 私の関心は、例えばナチスドイツに迫害を受けて心に傷を負った人たちの方に向きます。彼らはどうやってその後、生きてきたのか。

 フランスでユダヤ人として迫害を受け生き延びて精神科医になった人が『憎むのでもなく、許すのでもなく ユダヤ人一斉検挙の夜』という本を書いています。悲惨な記憶を抱き続けることは「過去の囚人」となってしまう。だから、希望の持てる物語を紡ぐことが大切だというのが雑駁な趣旨です。管理人さんがまとめておられるハワード・ゼアの考えに似ているなとも思います。まあ、いまでいうところの「ナラティブ・セラピー」ですかね。

 でも私は、その物語を紡ぐのに被害者が加害者に会う必要ってあるのかなと思う。例えばユダヤ人がナチスの将校たちに会って話をする必要があるのか。
 5年前にあったパリの同時多発テロで妻を失ったひとの言葉が話題になったことがありました。
 「君たちを憎むつもりはない。君たちが誰かも知らないし、知りたくもない。君たちは死んだ魂だ。」
 https://www.asahi.com/articles/ASHCM5V6YHCMUHBI029.html
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