高校の同級生が危篤だと友だちからメールが届いた。一昨年ほど前から胃がんで闘病をしていた。半年ほど前に集まった同窓会のメンバーで寄せ書きをし、メールを送って励ましてきた。抗がん剤の治療に専念すると覚悟して彼はそれを続けてきた。
突然の危篤の報に接し、取り急ぎ何人かに連絡を取り、会いに行くことにした。あまりにも急なことであり心の整理はつかない、会って何と声をかけたらいいのか、そもそも死を目前にした彼にまともに目が向けられるのか。不安は皆同じだった。
その日は仕事を早く切り上げさせてもらい、友人3人で彼の自宅に向かった。彼は既に病院から自宅に帰っていた。
彼は母親との二人暮らし。多忙な仕事に追われ、結婚の機会も逸してしまった。自分の家族をもつこともなく、父を失った後は、献身的に母親の暮らしを支えてきた。
彼の誠実さは職場でも重宝されたであろう。いつも朝早くから、夜遅くまで仕事に没頭していたという。時には部下や同僚の分の仕事も進んで買って出ていたという。そんな日は、遅くまで仕事し、深夜まで飲んでタクシーで帰るような日々もあったらしい。
無理が病魔を呼び、胃がんになったが、仕事を理由に健康診断を先延ばしにしたことが、手遅れにつながった。発見が早かったら、打つ手はあったらしい。若いだけにその先延ばしをした分、進行し、気がついたときには手が付けられない状態だったという。
呼び鈴を押すとお母さんが出てきた。普通なら気が動転して、友だちを迎え入れるような気にならないはずなのだが、普段から高校時代の思い出を母親に語っていたらしく、お母さんも快く迎えてくれた。
ベッドで横たわる彼の姿は、全くの別人だった。痩せた黄疸で黄色くなった顔つきにはすでにあの当時の面影はなかった。意識ももうほとんどなく、モルヒネで痛みを癒やしてはいたが、時折、薬の作用で痒くなるのか、血が出るほど首の辺りをかきむしっていた。
声をかけるが、反応はない。時折、薄く目を開けるようなことがあったので、反応しているのかと思って、思わず「がんばれ」と言ってしまった。これ以上、何を彼にがんばれというのか。自分でも混乱していた。
お母さんの話では、あと二日だという。最近では医者の計算で死の時期もわかるという。何とも言いようのない思いを抱いて彼の家を後にした。二日後、友人の携帯のメールが届いた。内容は読まなくてもわかった。
前日の夜来の雷雨が嘘のような晴天の日だった。志半ばで逝ってしまった友。彼の死をどう受け止めて生きるか大きな課題を与えられた。
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