三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

大山寛人『僕の父は母を殺した』

2015年10月12日 | 死刑

少年の再非行防止活動をしている知人から、読まないかと渡されたのが大山寛人『僕の父は母を殺した』です。

大山寛人さんの父親は、1998年に自分の養父を殺し、2000年に母親(自分の妻)を殺害したことによって死刑になった。

母を失った僕は、近い将来、たった一人の父親を死刑で失うことになります。父の死刑は、僕に新たな悲しみを与えるものでしかありません。被害者遺族が望まない加害者の死刑がある――そのことを知ってもらいたくて、この本を書き始めました。

被害者遺族のことを考えると死刑は当然だとか、被害者は厳罰を求めていると主張する人が多いですが、殺人事件の4割は家族が加害者、すなわち被害者遺族=加害者家族なのです。

母親が殺害されたとき、大山寛人さんは12歳、小学6年生。
中学2年のときに父親の殺人が発覚する。
父親が逮捕されて母親の姉に引き取られたが、悪さをするようになった。

この事実を受け止めることができず、非行に走って荒れた生活を送りました。周囲からは「人殺しの息子」と白い目で見られ、心も身体も行くあてがなく、公園のベンチや公衆トイレで眠る日々でした。僕から全てを奪った父を「この手で殺してやりたい」と思うほど憎み、恨み、爆発しそうな感情を抱えながら、精神安定剤を乱用し、自殺未遂を繰り返し、心も身体もボロボロになっていました。


中学を卒業すると児童養護施設に入るが、施設を出て荒れた生活をし、何度も補導されては鑑別所、自立支援施設に入るなどする。
公園のベンチやトイレで眠るという生活が続き、自殺未遂をしては病院に運ばれることを繰り返す。
父親のことなどを隠さずに正直に話せる恋人ができたが、親の反対で別れることになる。
広島を出て、名古屋に住むが、仕事の面接を受けて合格しても、父親のことを知られ、勤務する前にクビになる。

被害者感情を声高に言う人がいますが、現実は援助の手をさしのべる人はあまりいません。
大山寛人さんは自分の名前や写真を公にしていることで、さまざまないやがらせがあるだろうと思います。
しかし、非行をし、自殺未遂をする大山寛人さんを家に泊めてくれる友達がいたそうです。
手をさしのべる人がいるということにホッとします。

父親の死刑判決(一審)をきっかけに、3年半ぶりに父親と面会したことで、何かが変わり始めた。
何度も面会し、手紙のやり取りを重ねる中で、父親を責める気持ちが薄れた。
そして、父親に生きて罪を償ってほしいと考えるようになった。

父さんが死刑になっても母さんは戻ってはこない。今まで僕は父さんを恨み、憎み続けてきた。でもその感情は僕の心を押し潰しただけだ。父さんを恨んでいる限り、僕は救われない。
許すことはできない。
でも、恨みや憎しみを心に秘めることはできる。


大山寛人さん自身は、死刑制度に反対しているわけではないそうです。

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