駒沢大学のHPには駒沢大学電子図書館というのがあり、ネットで論文を読むことができる。
その中に袴谷憲昭「松本史朗博士の批判二篇への返答」という論文がある。
これは『法然と明恵』に対する松本史朗氏の批判に答えたものである。
この論文の付録に、松本史朗氏と袴谷憲昭が袂を分かったことが書かれている。
松本史朗氏は「『唯信鈔』について」という論文に、こんなすごい宣言を書いている。
私は、1999年7月17日をもって、袴谷憲昭氏と絶交をせざるを得なかった。氏の無責任な論説と行為は許されないものと思う。
この絶交宣言を読んだ袴谷憲昭氏の思い。
右の一文を私が目にしたときの驚きは、それから二年半余を経た今でも筆舌に尽くしがたい。一瞬なにが起こったか了解できなほどのショックであったが、次の瞬間には、自分でさえそうなのに、いきなりこれを読んだ他の人はいったいどう思うだろうと考えると、いまだ経験したことのない怒りがこみ上げてきた。
松本史朗氏が絶交宣言をするまでにどういう経緯があったのかは知らないが、論文にこんなことを書くなんて、袴谷憲昭氏が怒るのももっともである。
ところが袴谷憲昭氏は、松本史朗氏の批判をすべて認めているのである。
「悪人正因説」およびこれと関連する諸問題への私の論述はほとんど誤りと認めざるをえない。
『歎異抄』は“造悪無碍”説を招来する「悪人正因」説にしかならないと認めざるをえないゆえに“造悪無碍”説を認めない私は、ここに、『歎異抄』と訣別することを明言しておきたい。
潔いといえば潔い。
しかしまた、媚びているような感じを受ける。
さらには、松本史朗氏の
氏にお尋ねしたいのは、氏は現在でも、善導・法然の浄土教を「仏教の正統説」と考えられているのかどうか、そして、もし、そうであれば、その根拠は一体何かということなのである。
という問いに対して、袴谷憲昭氏は
善導や法然の浄土教を「仏教の正統説」と考えたいと思っているとしか言い様がないであろう。その根拠は、大方は崩れかかっているようにしか見えないかもしれない。
と答えている。
これはいったい何なんだ。
だったら、袴谷憲昭氏は『法然と明恵』を絶版にするか、間違いを訂正した本を出すべきではないか。
袴谷憲昭氏と松本史朗氏の本にはすごく刺激を受け、また多くのことを教えられたが、結末がこれじゃあね、というのが感想です。