三日坊主日記

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末木文美士『親鸞』(2)

2016年07月15日 | 仏教

末木文美士『親鸞』で、ええっと思ったのは、正法、すなわち法然の教えを誹謗する者を徹底的に糾弾するところに、闘う念仏者としての親鸞の本領があるという、末木文美士氏の考えです。

親鸞の思想は、しばしばどんな悪でも阿弥陀仏の慈悲で許されるという無定見な無限抱擁主義であるかのように受け取られるが、これは近代になって形成されたまったくの誤った見方である。親鸞は決して邪説や誹謗正法を許さない。その点、きわめて断固として一貫しており、たとえ相手が施政者であっても、身内であっても変わらない。親鸞は闘う念仏者である。


では、五逆謗法の悪人とは誰のことかというと、親鸞自身のことだと考えられている。
すなわち悪人の自覚ということである。
しかし、阿弥陀仏の正しい教えを伝える親鸞自身の教えこそ正法であり、それに背いたり、謗ったりする者が悪人だと親鸞は考えた、
もっとも、五逆謗法を糾弾すればするほど、その切っ先は鋭く自分を突き刺すことになるから、親鸞自身が悪人の自覚を持っていたということは間違いではない。

親鸞は政治に嘴を挟むことをしなかったとされてきた。
それは、宗教は政治に無関心であるべきだという近代の政教分離原則をもとにしたものだが、中世人親鸞は従順な政教分離主義者ではなかった。
この世界を正しく導き、幸福をもたらすのは仏法であり、政治はそれに従わなければならない。
それが親鸞の仏法・王法観であった。

その例として、親鸞の描く聖徳太子像は決して平和主義者ではなく、仏法のためならば、積極的に逆臣を討ち滅ぼす人物としてとらえていると、末木文美士氏は指摘しています。

聖徳太子関係の和讃では、王法・仏法一体となって、いわば仏教国家の樹立を目指し、そのためには武器を取ることさえ認めている。

物部弓削の守屋の逆臣は ふかく邪心をおこしてぞ
寺塔を焼亡せしめつつ 仏経を滅亡興せしか
このとき仏法滅せしに 悲泣懊悩したまひて
陛下に奏聞せしめつつ 軍兵を発起したまひき
寺塔仏法を滅破して 国家有情を壊失せん
これまた守屋が変化なり 厭却降伏せしむべし

仏法破滅を意図している廃仏派の物部守屋のような逆賊は攻め滅ぼさなければならないというので、聖徳太子は蘇我馬子と計らって物部氏を滅ぼした。

『教行信証』にも見られた五逆・誹謗正法に対する断固たる否定は、晩年一層強くなったようで、そこには寛容ということはあり得ない。
法然から正法を受け継いだという自負を持つ親鸞は、正法を護るために闘った。

親鸞は、法然からの継承の絶対性をもって、今度は自らが他者を断罪する権威あるものとして振る舞うことになるのである。


正統性については親鸞の妻である恵信尼や、曾孫の覚如も意識している。
『御伝鈔』の特徴として、法然―親鸞の継承を重視する点があり、親鸞=阿弥陀仏として絶対化することがある。
それは覚如によって始められたことではなく、恵信尼消息や親鸞自身の思想の中にその原型が認められる。

恵信尼は娘の覚信尼に宛てた手紙によって、核心となる教えの誕生の秘話を、恵信尼だけが知っている秘密として覚信尼に伝え、そこに親鸞―恵信尼―覚信尼という継承の正統性を保証するという意図があったのではないかと考えられると、末木文美士氏は書いています。

あくまでも正しい仏法が指導する国家を目指し、謗法者には仮借のない批判を浴びせかけるのである。原理主義的とも言える闘う念仏者、闘う仏教者であり、その点、日蓮とも共通するところがあると言えよう。

となりますと、真宗教団の戦時中におけるの戦争協力も、正法を守るためだと強弁することができます。

鎌倉幕府は専修念仏を禁止・弾圧していますが、鎌倉幕府の弾圧を報告する弟子からの手紙に対する親鸞の返事を見ますと、「その土地に念仏の教えが広まることも、 すべて仏のはたらきによるのです。その土地での縁が尽きてしまったなら、 どこへでも縁のあるところに移ることをお考えになるのがよいでしょう」とあります。
謗法者とは闘えとは言っていません。
このあたりを末木文美士氏に聞いてみたいです。

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