三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

悪はなぜ存在するか(1)

2024年07月24日 | キリスト教
神がいるっていうんなら、赤ん坊のエイズ患者の存在を説明させてみろ。(ジョー・R・ランズデール『テキサスの懲りない面々』)

児童虐待のニュースを見るたびに胸が痛みます。
ドストエフスキー『カラマゾフの兄弟』の中で、イヴァンが弟の修道僧アリョーシャに神の存在を問う場面があります。

虐待され殺される子供がいる、神が存在するなら子供への虐待をどうして許しているのか。
イヴァンは子供たちの苦しみを許す「神の創った世界を承認しない」と言います。
なぜ子どもたちは苦しまなくっちゃならなかったのか。なんのために子どもたちが苦しみ、調和をあがなう必要などあるのか、まるきりわかんないじゃないか。いったいなんのために子どもたちは、だれかの未来の調和のための人柱となり、自分をその肥やしにしてきたのか。(略)
もしも、子どもたちの苦しみがだ、真理をあがなうのに不可欠な苦しみの総額の補充にあてられるんだったら、おれは前もって言っておく、たとえどんな真理だろうが、そんな犠牲に値しないとな。
https://michimasa1937.hatenablog.jp/entry/20120229/p1

ケイシー・レモンズ『ハリエット』は、ハリエット・タブマン(1820年または1821年~1913年)の伝記映画です。

黒人奴隷だったハリエットは25歳の時に北部に逃れました。
多くの奴隷を北部に逃がしましたが、一度も捕まっていません。
南北戦争にも参戦して活躍しています。
ハリエットには神の導きがあったことが描かれています。
https://www.christiantoday.co.jp/articles/28142/20200611/movie-harriet-review.htm

17世紀から19世紀にかけて、アフリカから約1200万人の黒人が奴隷としてアメリカ大陸に売られました。
黒人奴隷はアフリカでキリスト教を信仰していたわけではありません。
キリスト教の信仰を押しつけられたのです。

『ハリエット』では、黒人牧師が「苦しくても、真面目に働いていたら天国に生まれることができる」みたいな説教をしていました。
今は苦しくても我慢していれば、死んでから天国に行けるというわけです。

そもそも奴隷制度という悪がなければ、奴隷が苦しむことはありませんでした。
ハリエットが神の心を体現したとして、なぜ今も人種差別があるのでしょうか。

トランプ前大統領が狙撃されたことは神と関係があると考える人がいます。
共和党支持者の66%がトランプ氏が暗殺未遂事件から生き延びたのは「神の摂理または神の意志」と答えた。民主党支持者では11%だった。(毎日新聞2024年7月19日)
https://mainichi.jp/articles/20240719/k00/00m/030/338000c
犯人や銃撃に巻き込まれて死亡した人は神の摂理・意志を実現するための道具だということでしょうか。

キリスト教の神は全知全能であり、完全な善だから、神の創造した世界や人間は完全であり、善であるはずです。
しかし、世界は完璧だとは思えません。

なぜ悪が存在するのか。
この問いを18世紀の哲学者デイヴィッド・ヒュームはこういうふうに言っています。
神は悪を阻止しようとする意思は持っているが、できないのだろうか。それならば、神は能力に欠けることになる。それとも、神は悪を阻止することができるが、そうしようとしないのだろうか。それならば、神は悪意があることになる。悪を阻止する能力もあり、その意思もあるのだろうか。でも、それならはなぜ悪が存在するのだ。

イブを誘惑した蛇がなぜ存在するのか。
災害で多くの人が死傷し、財産を失うのはなぜか。
なぜ一般人が戦争に巻き込まれて難民になるのか。
飢饉に襲われて餓死する人がなぜいるのか。
神が人間のために作った世界に、なぜ有毒植物や人間危害を加える動物がいるのか。

全知全能の神がこの世界を創造したが、その後は神は介入していないという理神論の立場なら、悪がなぜ存在するかは問題にならないでしょう。

インテリジェント・デザインは創造説が否定されたことに対する対抗策として唱えられました。
人類や生命は偶然に生じたものではなく、知性ある何かが宇宙のシステムを設計した。
設計者は設計後も介入をくり返している。

だったら、ミスは速やかに修正して、悪を未然に防いでいるはずです。
ところが、現実には様々な悪が存在します。

リン・バーバー『博物学の黄金時代』に、ヨーロッパの科学は自然を観察、研究することで神の世界創造の証拠を探ろうとし、結果的に神の存在を否定することになったとあります。

チャールズ・ダーウィンはこう書いているそうです。
生物の変異性にも、自然淘汰の作用にも、何の構想もない。(フランシス・ダーウィン『チャールズ・ダーウィンの生涯と手紙』)

進化論とは、一切は偶然だということであり、神が介在する余地はありません。
イヴァンは神を否定できたら悩むことはなかったでしょう。
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