三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

『アーミッシュの赦し』4

2012年11月16日 | 厳罰化

そもそも、赦しとは何か?
どうすることが赦しなのか?
「あなたを赦します」と言えば赦したことになるのか?
怒りを〈捨てた〉状態を言うのか?
怒りを忘れようと〈努める〉だけでいいのか?

『アーミッシュの赦し』にはそこらについて論じられているので、一部ご紹介します。

・赦しとは?

1,復讐しない
2,怒らない
3,恨まない
4,憤らない

被害者が怒ってはいけないというわけではありません。
「害を受けたときの怒り、その他の否定的感情を抜きにして赦しを語ることには、ほとんど意味がない」

復讐・怒り・恨み・憤りは似ているようですが、ちょっと違うそうです。
アーミッシュは「怒るのはよくないですが、避けられるものでもない。大切なのは、恨みを抱えないことですよ」と言っています。
また、害を受けたときの最初の反応である〈怒り〉と、最初の怒りを感じ続ける〈憤り〉は区別されるそうです。
「もし、赦しとは復讐する権利を放棄することである、という定義をとるなら、彼ら(アーミッシュ)は明らかにロバーツ(加害者)を即座に赦したといえる。もし、赦しとは憤りを克服し、愛に置き換えることだとするなら、答えは定まらない。先ほど見たように、恨みが完全に解消されてはいないからだ」

・「決意された赦し」と「心からの赦し」
「決意された赦し」とは、否定的感情が残っていても、否定的行動はコントロールするという誓約。
「心からの赦し」とは、否定的感情―憤り、恨み、あるいは憎悪―が、肯定的感情に置き換えられている。
「要は、赦しには短期的な行為と長期的なプロセスの両方がある」
まずは赦すことを決意し、それが心からの赦しに変わっていくということでしょうか。

・赦しの条件として加害者の悔悛は必要か?
加害者が深く悔いている姿を見れば、怒りは次第にほどけてくることもありますが、平然としていたら、とてもじゃないけど赦す気にはなれません。
ところが、「赦しの研究者のなかには、赦しは無条件に与えられるべきで、加害者の悔悛の念には左右されないと考える人々もいる。彼らの見解では、赦しは完全に被害者の選択だ」とあります。
赦しとは自分のための行為ということかもしれません。
「怒りは誰のためにもならず、怒りを抱え続ける者を一層みじめな気持ちにするだけだ」

・赦しの効用
「赦しを研究する心理学者によれば、一般に、赦す人は赦さない人よりも幸福で健康な生活を送れるという」
心理学者のロバート・D・エンライト、エヴェレット・L・ワージントン・ジュニアによると、「赦しは与える側の「怒り、抑鬱、不安、恐怖」を軽減し、「心血管系と免疫系に好ましい影響」を与える」そうです。

・赦しと区別すべきこと
赦しと似ているようでも違っていることがあります。

赦しと和解の違い

「赦しと和解の間には明瞭な一線が引かれる。和解は、犠牲者と加害者、双方からの誠実な努力を必要とするものだからである」

赦しと赦免の違い

「赦しが与えられたからといって、加害者が自らの行為が招く懲罰(法的な処罰その他)を免れることにはならない」

次のことも赦しとは違います。
1,悪行がなされなかったかのように振る舞うこと
2,出来事を忘れること
「赦しとは、赦して忘れることではなく、むしろ赦したことがいかに癒しをもたらしたかを記憶にとどめておくことなのだ。記憶するとは、悲劇と不正に寸断された生のかけらを拾い集め、何かしら完全なものに再び組み入れることである」
3,容認や弁護
犯人のロバーツが女の子たちと教室に閉じこもると、教師はすぐさま警察に電話しています。
4,無関心
「赦しとは、そのような不当な行為は間違っていると認め、再び繰り返すべきでないとすること」

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