三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

渡邊博史『生ける屍の結末』

2019年08月05日 | 厳罰化

渡邊博史『生ける屍の結末』は「黒子のバスケ」脅迫事件の加害者の手記です。
1977年生まれで、逮捕時は36歳。
2012年11月から脅迫状を何度か出し、2013年12月に逮捕される。

最初のほうに「自分は最低限の生活費を稼ぐため以外に働くことはしませんでした。自分は生来救い難い愚鈍で、何をやっても人並みに務まりません。ですからどこで働いても必ず上司や同僚や後輩たちから見下され、いじめられました。自分にとって労働とはすなわち苦痛でした。働く時間を減らせるように、とにかく切り詰めた生活をしていました」と書かれてあります。

高校卒業→浪人→専門学校を卒業→引きこもり→再び専門学校→中退→アルバイトを転々
正社員になったことがない。
同性愛者で童貞、バスケのユニフォーム姿の男性に強い性的興奮を覚える。

小学校1年からいじめられ、両親や担任から暴力・暴言を受ける。
以来、自殺念慮が消えたことがない。
時折、幻聴が聞こえる。
事件の時は、風呂なしエアコンなしトイレ共同のアパート住まい。
自虐ぶりにびっくりします。

2012年9月に事件の準備を始める。
これだけのお金と手間暇をかける努力・熱意があれば、仕事に就いて普通の生活ができたのではないかと思いました。
手記はちゃんとした文章だし、細かく具体的に書かれている一方で、ふざけた筆致やオタクっぽいとこを織り交ぜています。
最初のイメージと違ってかなり頭がいいんだろう、いったいどういう人間なのか、本音はどこにあるのかとも感じました。

Q&Aで生い立ちを書いています。
小1から中学までいじめられる。
小1・2の担任は暴力教師で、些細なことですぐにビンタをする。
小5から通った塾でもいじめを受け、講師から殴られる。
両親の暴言、暴力、理不尽な対応。
アレルギー性鼻炎で鼻水が出て、それでいじめられるのに、父親は医者に行かせない。
マンガや将棋などの好きなことは禁止される。
親から「顔が汚い」「お前ほどのバカはいない」と言われる。
いつもビクビクしていた。
高1の終業式の日、両親を殺そうと計画をしたが、父親が急に倒れて死ぬ。
その後、被虐うつを発症し、21歳までつづく。
20歳過ぎで自殺未遂。
何をしてもダメなんだと思う。
でも、妹はまともに育っているそうです。

拘置所で差し入れてもらった児童虐待についての本を読んで納得した。
「虐待」という言葉は「乱用」を意味するabuseの訳語。
child abuseは「児童乱用」と訳されるべき言葉。
虐待の本質とは「両親が子供を利用して、自身の欲求を満たそうとすること」。
両親のしつけは「子供に非合理的で理不尽なガマンを強いることこそしつけの基本であり親の務め」というのが考え方の根本にあった。
このあたり、私自身が同じことをしてたなと恥ずかしく思いました。

最終意見陳述に、渡邊博史氏独自の言葉で説明しています。
「社会的存在」社会と接続でき、自分の存在を疑うことなく確信できる人間。
人間に自分の存在を常に確信させているのは他者とのつながりであり、乳幼児期に両親もしくは養育者に適切に世話をされれば、子供は安心を持つことができる。
「感情を共有しているから規範を共有でき、規範に従った対価として『安心』を得る」というサイクルの積み重ねがしつけ。
このしつけを経て、子供の心の中に「社会的存在」となる基礎ができる。
両親から与えられてきた感情と規範を「果たして正しかったのか?」と自問自答し、心理的再検討を行うのが思春期で、自己の定義づけや立ち位置に納得できた時にアイデンティティが確立され、「社会的存在」として完成する。

「生ける屍」このプロセスがうまくいかなかった人間。
感情や規範を両親から与えられず、人や社会とつながっていない。
・自分の感情や意思や希望を持てず、自分の人生に関心が持てない。
・対価のない義務感に追われ疲れ果てている。
・自立ができず、孤立している。
・心から喜んだり楽しんだりできない。
・自責の念や自罰感情を強く持つ。
両親からの虐待やいじめを受けた人間に多いタイプ。

「努力教信者」の枠内での強者が「勝ち組」で、弱者が「負け組」。

「埒外の民」自分の人生に興味が持てなかったり、自分には可能性が皆無と思い込んでしまう人間であり、努力することを思いつきすらしない。
大人になってからの精神の安定度を決めるのが「キズナマン」と「浮遊霊」。

「キズナマン」人や社会や地域とつながっている人間。
「社会的存在」であれば、自動的に「キズナマン」になれる。

「浮遊霊」人や社会や地域とつながっていない人間。
浮遊しているだけだから、基本的に無害な存在。

「生霊」浮遊霊が悪性化した存在。
渡邊博史氏自身は事件直前に「生霊」と化していた。

この世はすさまじい風が吹きすさぶ空間。
風をやり過ごす薬は、オタク化(趣味や嗜好品で現実逃避する)とネトウヨ化(不満や怒りを外敵に向けさせる)の2種類がある。
この2種類の薬は「生ける屍」にはあまり効かないが、「埒外の民」には効きやすい傾向がある。

以上は何かの本をヒントにしたのかもしれませんが、うまくまとめてあり、なるほどとうなずけます。
さらにこのように書いています。

「無敵の人」は基本的に肉体の死を望みこそすれ拒絶することはまずありません。死は地獄のような生からの解放だからです。ですから犯行時に懲役を恐れて死刑になるまでのことをやってしまう可能性があります。加藤被告(秋葉原無差別殺人事件の死刑囚)も著書の中でそのような意味のことを述べています。「無敵の人」にとって釈放とは刑務所からの開放ではなく社会への追放です。


冒頭意見陳述にも同じ趣旨のことが述べられています。

死にたいのですから、命も惜しくないし、死刑は大歓迎です。自分のように人間関係も社会的地位もなく、失うものが何もないから罪を犯すことに心理的抵抗感のない人間を「無敵の人」とネットスラングでは表現します。これからの日本社会はこの「無敵の人」が増えこそすれ減りはしません。日本社会はこの「無敵の人」とどう向き合うべきかを真剣に考えるべきです。


「無敵の人」による事件は少なくないですが、厳罰化では解決しないと思いました。

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