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あっ!足が見えたぞ!

昭和29年秋の日曜日、友達に誘われて石巻市牧山の頂上にある零羊崎(ひつじざき)神社へ「テレビジョン」というものを見に行く事になり、急な細い山道を二人前後して未だ見たことのない物に心弾ませ、息を切らしながらひたすら登り続けた。

途中にある平坦な場所に腰を下ろし石巻の市街地を遠くに見おろしつつ、味噌をぬった握り飯で腹ごしらえし、1時間半程掛って、やっとのおもいで神社へたどり着いた。社務所の茶の間には既に15人ほど居てワイワイ、ガヤガヤと、まさしくお祭り騒ぎでした。

何でも宮司さんの息子さんが優秀な人で、東京から部品を買ってきて自分でテレビジョンなるものを組み立てたのだそうです。木製のりんご箱の中に灰色の楕円形のガラスが皆の方へ向けて置いて有りました。いよいよ息子さんの登場。「さあー始まるぞ!」と全員が固唾を呑んで見守る中、息子さんの手がりんご箱の下の方についているダイアルをカチッと右側にまわす。

灰色のガラスが白く輝き、雨が降ったようにザアー、ザアーと音がするだけで時々男の声が聞こえてくるが、なにを言っているのかよく聞き取れず、皆で困った顔つきに成っていました。するとかすかに「めいず?めんじ? ほせ?ほうせ!」ひきつった様な声がした瞬間、白っぽいハンカチの上に1本の足がいきなり滑ってきました。

と、瞬間的に又絵が消え「めいずが大根でもほすたのが?」と大騒ぎになったのです。「めいじ1点取りました」と低い声がした後,雨降り状態がひどくて絵も音も全く出なくなりました。しばらく待ったのでしたが駄目で「今日はこれでやめます」という事になりました。

日本放送協会(NHK)が東京六大学野球の実況放送をしていたのです。「明二という男が大根を干していた」のではなく、めいずは明治大学、干せは法政大学の事で、白いハンカチはホームベースだったのです。又、灰色のガラスはブラウン管でした。

物の豊かな今に暮らす若い方々には信じがたい本当の話です。白黒テレビの放送が始まって(昭和28年開始)1年後のことで石巻の電気店にもテレビが置かれていない頃でした。

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