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なぜ国士舘へ?

石巻高校2年生の夏休み、昭和36年7月半ばより畜産を経営する三兄に頼まれ、得意先である仙台市鉄砲町の佐藤精肉店で住み込みのアルバイトをした。翌年10月早稲田の政経学部を目指して努力中のところ,三兄から「二人でハム作りの事業をやらないか?、お前は『帯広畜産大学』へ行って勉強して来いよ」父も『手伝ってやれば』と言う。

あら大変だあー!時間が無さ過ぎる。国立二期校で試験は九科目。無謀に過ぎる!それまでは私立の文系というので国語、英語、社会科社会の三科目に絞っての勉強故,四兄がお世話になった担任外の教師に相談したところ『あそこは誰でも入れるよ。大丈夫だ』との返事。その気になって5ヶ月の猛勉強。卒業式の後,東北大3年の四兄と上京、名苛谷の東京教育大学〔現、筑波大学〕で二日に亘って受験、英、国、社会、以外は殆どノックアウト!

諦めて帰郷の準備をしていたとき、都内の親戚の従兄から、『国』の付く大学が二つあって最後の募集をしているから受けてみたらどうか?と話され、急遽書類を取り寄せて出願し二校を受験した。国士舘大学と国学院大学、いづれも合格。前者は納入金5万円寄付金無し(当時私立大で寄付金の無いのは国士館だけだった、)政経学部経営学科。後者は経済学部経済学科納入金8.5万円寄付金20万円以上、国士舘に行く事で親の負担を軽くしたいと思った。ラーメン一杯50円の頃である。

三兄にはハム作りを諦めてもらうしかなかった。かくて、国士舘での学生生活、即ち、18歳での東京暮らし。多感のスタートを切る事と成った。

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