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らしく、あらねば。

今日は10時に3人の来訪者があり(一人はトルコからやってきた)12時に帰った後、久しぶりにテレビで(のど自慢)を見た。福岡県宗像市からだという。90歳の男性が「孫」を唄って見事に合格の鐘を鳴らして居たが、今後も唄い続けて欲しいものだと思った。私も歌が好きな方で、幼少の頃から長兄のゼンマイ式蓄音機で歌謡曲を聴かされていた。

小学5年の春、音楽の授業で女の先生に「(何でもいいから自分の好きな歌)を唄いなさい、これは唄い方のテストです。」といわれ、ほとんどの生徒は教科書の中から選んで唄っていた。私の番が来た「夕焼け岬!」と曲名を告げて唄い始めた。

一。愛して居りゃこそお前のために
荒海越えてくおいらじゃないか
無理を言わずに別れておくれ
これっきり会えない訳じゃない
ああー夕焼けみさきー

二。可愛いお前の泣き顔見れば
男のおいらも泣けるじゃないか
やがて出船だいつものように
にっこりと笑ってくれないか
ああー夕焼けみさきー

「やめなさい!!あなたはこの歌の意味を知ってるんですか!誰が唄っているの?」『ハイ、解ってます。 三波春夫です』私なりにテストだというから感情を込めて一生懸命に唄ったし出来も良かったので、のど自慢なら鐘三つの筈?だが「ゴツン」と頭上にひとつ、拳骨を貰ってしまった。

「小学生は小学生らしくあらねば!!」という事のようでした。ただ先生も先生らしく,はじめに「教科書の中から選んで唄いなさい」とはっきり言って欲しかったと思うのです。

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これしかない!!

福島県伊達市に住む野田秀麿様のご一家五名様の撰名(呼び方を変えず、名の文字を変え、運気を強くする方法)を依頼され、紹介者の福島市の社長様立会いで一先づ用件を済ませた。

「ところで吉野先生, うちの学校は来年創立40年になるんですが、何とか野球部を今年甲子園に行かせたいんだけど何かいい方法有りませんかね?」

「有りますよ!」

余りにも簡単に私が言うものだから野田氏は驚きながら「是非指導して下さい」とそれはもう真剣な顔、
「過去の成績は? 失礼ながら宮城の私にはあまり聞いたことがない学校名ですからね」

「う~ん・・・準決勝に行ったのが1回だけ・・・」

「そうですか・・・どの学校も必死になって県代表のたった一つのイスを勝ち取ろうと朝から夜まで泥んこまみれで頑張っているネ。だからベスト・フォーまでになると勝つための力量は大体おんなじですよ。そこでプラス・アルファの力を上乗せすればよいのです。

その方法は二つ! 「A」と「B」で甲子園行きの力をつけるのはこれしかない!!

 これはどこの学校もやっていないと思う 。夏の大会まであと3ヶ月しかないね。余りにも時間が無いから「A」を明日から直ぐやること。

 監督さんに良く理解させてください。「B」については時間を要するので後回しにします。一度主戦の投手に会わせてください。私から助言したい事があるんでね」。 この投手と福島市御山一本木の佐藤彰値整体治療士宅で6月に会い、話をさせてもらいました。

この年、2001年度夏の高校野球福島県大会決勝戦の相手は強豪、日大東北高校。3対3の(8回表まで3-1でリードされその裏で1点を返し、最終回1点を取って同点に追いつく)

同点のまま延長戦へ、迎えた延長11回表4点を取られ大勢の関係者、応援者に最早これまでかと思われた(ほとんどの応援団が駄目だと思って球場を後にした)がなんとその裏に神がかり(と人は言う)で5点を取って奇跡の初優勝!!。選手達は最後まで負ける気がしなかったと言うが、神がかりも奇跡もそれを呼びこんだのは「A」だった筈であります。

とに角、88校の頂点に立ち目標達成・念願の「甲子園初出場!!」

その名は「聖光学院高等学校」

 世の中にはこういうことがあるから面白い!。2006年6月。やっと「B」の方法を実行に移した。

 その甲斐有って、2007年の春、夏、間もなく始まる今年の選抜と三連続で甲子園へ。

ようやく常連校らしくなってきた。 頑張ってください!!!

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あっ!足が見えたぞ!

昭和29年秋の日曜日、友達に誘われて石巻市牧山の頂上にある零羊崎(ひつじざき)神社へ「テレビジョン」というものを見に行く事になり、急な細い山道を二人前後して未だ見たことのない物に心弾ませ、息を切らしながらひたすら登り続けた。

途中にある平坦な場所に腰を下ろし石巻の市街地を遠くに見おろしつつ、味噌をぬった握り飯で腹ごしらえし、1時間半程掛って、やっとのおもいで神社へたどり着いた。社務所の茶の間には既に15人ほど居てワイワイ、ガヤガヤと、まさしくお祭り騒ぎでした。

何でも宮司さんの息子さんが優秀な人で、東京から部品を買ってきて自分でテレビジョンなるものを組み立てたのだそうです。木製のりんご箱の中に灰色の楕円形のガラスが皆の方へ向けて置いて有りました。いよいよ息子さんの登場。「さあー始まるぞ!」と全員が固唾を呑んで見守る中、息子さんの手がりんご箱の下の方についているダイアルをカチッと右側にまわす。

灰色のガラスが白く輝き、雨が降ったようにザアー、ザアーと音がするだけで時々男の声が聞こえてくるが、なにを言っているのかよく聞き取れず、皆で困った顔つきに成っていました。するとかすかに「めいず?めんじ? ほせ?ほうせ!」ひきつった様な声がした瞬間、白っぽいハンカチの上に1本の足がいきなり滑ってきました。

と、瞬間的に又絵が消え「めいずが大根でもほすたのが?」と大騒ぎになったのです。「めいじ1点取りました」と低い声がした後,雨降り状態がひどくて絵も音も全く出なくなりました。しばらく待ったのでしたが駄目で「今日はこれでやめます」という事になりました。

日本放送協会(NHK)が東京六大学野球の実況放送をしていたのです。「明二という男が大根を干していた」のではなく、めいずは明治大学、干せは法政大学の事で、白いハンカチはホームベースだったのです。又、灰色のガラスはブラウン管でした。

物の豊かな今に暮らす若い方々には信じがたい本当の話です。白黒テレビの放送が始まって(昭和28年開始)1年後のことで石巻の電気店にもテレビが置かれていない頃でした。

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あなたにペンネームを

前略。 石巻高等学校で貴方と机を並べていた吉野武喜(よしの たけよし)です。思うところが有って46年振りで初めて貴方へ手紙を書く事にしました。貴方は授業時間中、よく小説を書いていましたね。私は「この人は必ず物書きに成る!」と貴方の事を思っていました。

そこで貴方の本名「辺見秀逸」を模して「変味臭一」とペンネームを付け、貴方にプレゼントしましたね。二人で腹の底から笑いましたよ。(へんなあじに、においがいちばん。へんみしゅういつ)。

1991年「自動起床装置」という小説で貴方が芥川賞を受賞!!「辺見 庸」へんみ よう、という名で一躍有名人!私は二つの意味で心から喜んだね。ひとつは貴方の受賞!、もうひとつは30年目で現実になった私の予感! さらに1997年世界各地をじっくり巡って(変な味のする、臭いの一番きつい)いろいろな物を食い、吐いたり,下痢したり苦しみながら「変味臭一」を想いだしつつ書き上げたであろう秀作「もの食う人々」が講談社の「ノンフイクション賞」を受けるにいたり、貴方は益々我々の誇れる人に成りました。

さて、貴方にこの手紙を書く事の本当の目的を記す事にします。

思うところの第一。(「辺見 庸」へんみ よう)という貴方のペンネームについて,人生と姓名画数の関係を、また因縁因果の法則とそれの実生活への現れ方等を45年に亘って研究してきた私の立場から今後の貴方の為になるよう命がけで助言したいと最近しきりに思うようになりました。これは私の予感或いは霊感,直感と思って貰って結構です。

折も折、今、中国から容易ならぬ化学物質の混入する、いわゆる「毒入り餃子」の問題で「変な味がする、臭いがする!」と国中騒いでおります。思えば貴方も共同通信時代は中国での生活が長かったようです。今私たちが使っている漢字はもとより中国で生まれたもの、その意味で中国と日本は同類の縁を持っています。

貴方と私は同級、同窓の縁,又同郷の縁でもあります。貴方をよくNHKで見ておりましたよ。東京の学校も貴方と同じに早稲田を目指していたものの、家庭の事情で受験できず国士館へ(訳は後述するがそれで良かったと思っている。)しかし、それでも縁があるんだねー。国士舘の創設者は柴田徳次郎翁で早稲田の出。平成2年早稲田の総長を退いた西原春夫氏が平成17年まで国士舘の理事長を務め、今は国士舘の名誉顧問です。昨年の学長選挙では早稲田出身の若林教授が新学長となったようです。

くどく成りましたがことほど左様に「貴方と私は縁が有る」ということです。差異は、貴方が世界を股にかけた有名人で、私は地方で静かに暮らす無名人ということです。其の無名たる私が貴方のご家族や親族に次いで、貴方の事を案じていると自負して居ります。その訳は、、私のこれまでの研究の結果,あなたの本名、「辺見秀逸」及びペンネームの「辺見 庸」では之から先の人生は、健康の面と寿命の面で非常に危惧され、それを私自身が座視出来ない心境に成っているからであります。

思うところの第二。すでにお気付きの通り、私は武喜(たけよし)から永人(ながと)へ改名し昭和52年に戸籍変更しております。全て運気改善のためでした。全ての点が改善されております。あなたの場合は世に知られた人物として今更「辺見 庸」を変えられないと思います。

そこで思うところの第三。私が新しく作るペンネーム(辺見 鷹・・へんみ・よう)を洗っても落ちない様に油性ペンでシャツなどの肌着に書き、身に着ける。或いは名刺位の大きさの紙に書いてポケットや財布等に入れておく、、というだけで貴方の健康,寿命は良い形に変化します。従来の「辺見秀逸」と「辺見 庸」はこれまで通りに使いつづける訳です。

「鷹」は最強の鳥で高所から鋭い眼でものを観て捕らえます。貴方の論評の姿勢にぴったりです。酉年生まれの私から贈るところが面白いネ!!さて、本年、貴方は64歳、私は63歳になります。駆け引きなしに何よりも健康に気を配るべきです。

大徳の小野寺勝利君,三浦製材所の三浦 浩君、阿部新旅館の阿部利光君、桜井洋品店の桜井嘉蔵君、東京の伊藤豊太郎君らは直接凶名なることを告げ
改善する事を奨めたが、半信半疑だったり、一笑に付されてしまいましたよ。そうして次々と逝ってしまったね。

金子 健君。尾形勝幸君。笠原正男君 。大山 勝君。水野 隆君。等は言う事を聞いてくれて夫々に健康を回復し、元気に活動しています。

貴方は世界中を駆け巡って活躍してきた分だけ体を愛うべきと思うのです。どうか私の助言を容れて今後も益々活躍されん事を祈念いたします。草々。
              吉野永人

辺見 庸様

平成20年2月12日

吉野永人



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祖父の威厳

「コラー!お巡りさんが来たぞ!!やめろ!」と路上での子供同士の取っ組み合いをやめさせようと大人が叫んでいるが、治まる様子がない。だれかが「魚屋のおじいさんが来たぞ!!」と声をあげるとパタリとその騒ぎは治まってしまう。 それ程魚屋のおじいさんは恐れられていた。

私の祖父、吉野精一郎である。昭和26年5月頃私は小学校一年生。「今日は雨降りで納豆売りに行くのは嫌だなー」と言ったところ祖父は「雨降りはなあ、お客さんも買いに来るのが大変なんだよ!だからお前が行って助けてあげるんだよ、元気を出して行って来なさい」恐い祖父になだめられ,重いカラカサをさし、編み上げの篭に15個ほどの三角納豆をいれ、夕方売りにでかけた。

「柱の傷はおととしのー」ラジオからそんな歌声が流れていたような気がする。1個10円、売れて利益が1円、5軒に1個売れたら良いほうだった。その日はさっぱりで半分以上売れ残った。帰り道、風も出てきてカラカサを飛ばされないように懸命にもち、やっとの思いで我が家へたどり着いた。入り口でカラカサをすぼめると目の前に祖父が立っていた。私からカサを受け取り、売れ残った納豆の入った篭を黙って観ていた。

「どうもご苦労さん。」と声がかかるのかと思った瞬間、バシン!と音がして納豆の入った篭と一緒に右方向へ3メートルほど飛んで路上の水溜りの中にいた。ビンタを左側の頬に貰ったのだ。雨の中、納豆もまわりにちらばっていた。「いいか!良く聞けよ、これからは雨降りにはカラカサは納豆に懸けて歩くんだ。お前はぬれて歩け!ぬれた頭や体は拭けば直る。ぬれた服は乾かせばいい。ぬれた納豆はどうにもならない。今日のことは一生忘れるな!!」はい!

57年経った今も,之から先も忘れません!このときに出た眼からの火花は今も私の足元を照ら
している。感謝!かんしゃ!

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騙し、騙され

人を騙す人間がいる。其の人間に騙される人がいる。騙す人間が悪いのは当然であるが、おなじ人間に二度目に騙された時は「騙された方が悪い」といわれる。金銭欲、物欲、名誉欲などが騙される原因を作っている。

2006年3月ごろ、複数の方から「真珠養殖の投資」について相談され、投資を奨める側の代表者の「姓名」が刑傷殺伐運という典型的な「詐欺師の形」な故、「やめるべきです!」と話したのですが、すでに何度かの配当金という餌を手にしており、私の助言は功を奏しませんでした。

2007年首謀者など数人が詐欺容疑で逮捕されました。「あの人さえ話をもってこなければ」と「自己責任」を棚に上げ、中間にいたおなじ被害者に「金返せ!」と怒鳴り込む人の悪因縁の業。人の道を外して無理に得た金銭は必ず早くなくなるもの! それをわかって欲しいのだが。ちなみに、この会社は(株)キュートといい、代表者は『浦川満夫』という。

間もなく旧正月の初日の出、多くの被害者がこの試練を乗り越えて幸せを手にする佳き年となるよう祈るばかりです。

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唾(つばき)姫の恐さ

「私の家の椿姫にうまいお茶を入れてもらうから君も着いて来い!」と言われて歯科医師の自宅を訪問する事になった。姫には何を聞かれても「今朝まで銀座の店で一緒だった、と言ってくれよな」どうやら、姫とは奥様の事で、自分は医師のアリバイ作りに利用されるようだ。まあ成る様に成るさ。

さすがに新築だけのことはあり信濃町の豪邸と言う感じだった。夜8時、床の間の立派な部屋に通され和服姿の奥様にごあいさつの後、落ち着いてよく拝見すると正に品性漂う椿姫そのものであった。「あなたが主人と一緒にいた方ね?」何と奥ゆかしい物言い。

さすが上流は違う物だ!と、次の瞬間「もし嘘だったら承知しないよ!!ほかの歯医者につれてってあんたの歯みんな抜いてしまうからね!!」腹に響く大きな声!自分の顔にかかるツバキ!なるほど! 椿姫は唾姫だったのだ!

唾の奥様を持った金持歯医者さんと、しがない株やの26歳の自分、さっきまでと違って本当の椿姫をもらえる可能性のある自分の方が幸せなのだ!としみじみ思った青春の秋の一日だった。

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座禅組むより肥やし汲め!!

30歳の一人息子が仕事をしないで座禅を組んでいる状況を心配した母親からの相談を受けて其の息子さん(撰名済み)と会って話をさせてもらいました。

「昔から、“座禅組むより肥やし汲め”、と言うことわざがあるのだが、一般人は僧職と違って仕事を第一に考えるべきじゃないのかな、座禅はお坊さんに任せてさ」。と話したところ、「実は親にもまだ話していないけれど、私は心底僧職をめざして一生懸命頑張っているんです。

座禅もそんな気持ちで真剣にやっています。もし親と話して解ってくれないときは吉野先生に親を説得していただこうと思っていました」。と逆に頼みごとを受けてしまいました。

いろいろ有って後、彼は福井の曹洞宗総本山、永平寺で今も修業中である。
 
このたびのブログ開設にあたり、石巻市のパソコン教室「パル」の橋本佳以子(はしもと、けいこ)先生から「三日坊主にならないように」とのありがたい助言があり、ちらつく雪の中、坊主という言葉で永平寺の彼を思い出しながら、ペンをおくことにします。




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