日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
あなたにペンネームを
前略。 石巻高等学校で貴方と机を並べていた吉野武喜(よしの たけよし)です。思うところが有って46年振りで初めて貴方へ手紙を書く事にしました。貴方は授業時間中、よく小説を書いていましたね。私は「この人は必ず物書きに成る!」と貴方の事を思っていました。
そこで貴方の本名「辺見秀逸」を模して「変味臭一」とペンネームを付け、貴方にプレゼントしましたね。二人で腹の底から笑いましたよ。(へんなあじに、においがいちばん。へんみしゅういつ)。
1991年「自動起床装置」という小説で貴方が芥川賞を受賞!!「辺見 庸」へんみ よう、という名で一躍有名人!私は二つの意味で心から喜んだね。ひとつは貴方の受賞!、もうひとつは30年目で現実になった私の予感! さらに1997年世界各地をじっくり巡って(変な味のする、臭いの一番きつい)いろいろな物を食い、吐いたり,下痢したり苦しみながら「変味臭一」を想いだしつつ書き上げたであろう秀作「もの食う人々」が講談社の「ノンフイクション賞」を受けるにいたり、貴方は益々我々の誇れる人に成りました。
さて、貴方にこの手紙を書く事の本当の目的を記す事にします。
思うところの第一。(「辺見 庸」へんみ よう)という貴方のペンネームについて,人生と姓名画数の関係を、また因縁因果の法則とそれの実生活への現れ方等を45年に亘って研究してきた私の立場から今後の貴方の為になるよう命がけで助言したいと最近しきりに思うようになりました。これは私の予感或いは霊感,直感と思って貰って結構です。
折も折、今、中国から容易ならぬ化学物質の混入する、いわゆる「毒入り餃子」の問題で「変な味がする、臭いがする!」と国中騒いでおります。思えば貴方も共同通信時代は中国での生活が長かったようです。今私たちが使っている漢字はもとより中国で生まれたもの、その意味で中国と日本は同類の縁を持っています。
貴方と私は同級、同窓の縁,又同郷の縁でもあります。貴方をよくNHKで見ておりましたよ。東京の学校も貴方と同じに早稲田を目指していたものの、家庭の事情で受験できず国士館へ(訳は後述するがそれで良かったと思っている。)しかし、それでも縁があるんだねー。国士舘の創設者は柴田徳次郎翁で早稲田の出。平成2年早稲田の総長を退いた西原春夫氏が平成17年まで国士舘の理事長を務め、今は国士舘の名誉顧問です。昨年の学長選挙では早稲田出身の若林教授が新学長となったようです。
くどく成りましたがことほど左様に「貴方と私は縁が有る」ということです。差異は、貴方が世界を股にかけた有名人で、私は地方で静かに暮らす無名人ということです。其の無名たる私が貴方のご家族や親族に次いで、貴方の事を案じていると自負して居ります。その訳は、、私のこれまでの研究の結果,あなたの本名、「辺見秀逸」及びペンネームの「辺見 庸」では之から先の人生は、健康の面と寿命の面で非常に危惧され、それを私自身が座視出来ない心境に成っているからであります。
思うところの第二。すでにお気付きの通り、私は武喜(たけよし)から永人(ながと)へ改名し昭和52年に戸籍変更しております。全て運気改善のためでした。全ての点が改善されております。あなたの場合は世に知られた人物として今更「辺見 庸」を変えられないと思います。
そこで思うところの第三。私が新しく作るペンネーム(辺見 鷹・・へんみ・よう)を洗っても落ちない様に油性ペンでシャツなどの肌着に書き、身に着ける。或いは名刺位の大きさの紙に書いてポケットや財布等に入れておく、、というだけで貴方の健康,寿命は良い形に変化します。従来の「辺見秀逸」と「辺見 庸」はこれまで通りに使いつづける訳です。
「鷹」は最強の鳥で高所から鋭い眼でものを観て捕らえます。貴方の論評の姿勢にぴったりです。酉年生まれの私から贈るところが面白いネ!!さて、本年、貴方は64歳、私は63歳になります。駆け引きなしに何よりも健康に気を配るべきです。
大徳の小野寺勝利君,三浦製材所の三浦 浩君、阿部新旅館の阿部利光君、桜井洋品店の桜井嘉蔵君、東京の伊藤豊太郎君らは直接凶名なることを告げ
改善する事を奨めたが、半信半疑だったり、一笑に付されてしまいましたよ。そうして次々と逝ってしまったね。
金子 健君。尾形勝幸君。笠原正男君 。大山 勝君。水野 隆君。等は言う事を聞いてくれて夫々に健康を回復し、元気に活動しています。
貴方は世界中を駆け巡って活躍してきた分だけ体を愛うべきと思うのです。どうか私の助言を容れて今後も益々活躍されん事を祈念いたします。草々。
吉野永人
辺見 庸様
、
平成20年2月12日
吉野永人