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検証・民進分裂②

検証・民進分裂

解散報道の朝「近々会いたい」

前原から小池にメール

 民進党分裂に至る政治劇は、代表の前原誠司が9月17日午前、東京都知事の小池百合子に送った1通のメールから始まった。

 この日の朝、朝日新聞などが臨時国会冒頭での衆院解散の可能性を大きく報じていた。「近々お目に掛かれれば幸いです」。京都市の自宅で新聞を精読した前原は、意を決して小池にメールを打った。

 前原が小池にメールを送っていたころネットメデイア代表の上杉 隆は、民進で総合選挙対策本部長代行を務めていた玄葉光一郎に接触していた。

上杉は元衆議院議員の故鳩山邦夫の秘書を務め、小池とは1994年の新進党結党以来の付き合いだった。当時小池側近の衆院議員だった若狭 勝らが新党結成の準備を進めていたが小池自身は距離を置いていた。

 ところが解散報道を受けて小池も新党代表として国政に関与することを模索し始めている。上杉の玄葉への説明はこんな内容だった。「若狭新党なら恐れるに足らずだが、小池新党なら話は違う」。前原は玄葉から報告を受け、合流に向けた調整を水面下で進めることを決めた。

 原には昨年の参院選で一定の成果を上げた共産党、自由党、社民党の野党共闘路線の継続も、選択肢として有った。だが民進内では、共産との連携に反発する勢力が離党の機会を窺っていた。

 政党支持率も1桁でじり貧だった。小池側にも政治経験の豊かな有力な候補を抱えていないという事情があった。

 交渉でネックになったのが小選挙区での候補者選定だった。前原側は約300の小選挙区を『民進200、新党100』の割合で割り振るよう要求一方の小池は150・150と主張平行線をたどった。

 それでも前原は民進の全員合流を目指そうとした。小池と何度か電話でやり取りした。

小池は「『第2民進党』になったら両方沈んじゃうわよ」と言って全員の受け入れには難色を示し続けた。

互いに警戒していた。前原は「小池側にハシゴを外されること」を恐れていた。小池も「民進に抱きつかれたら困る」と考えていた。

「これから会見します」。小池は同25日の会見で希望の党の立ち上げを表明する直前、前原に電話を入れた。記者からの質問に応える形で、前原との連携についても話すという。

前原は民進幹部らに『小池さんが民進との合流について会見する』と連絡した。しかし、小池の言葉は前原たちにとって甘いものではなかった。

「前原代表とは日本新党以来の知り合いで、コミュニケーションはとれると思う。でも党を丸ごとというよりかは、政策にご同意をいただけるのかどうかが、必要になってくる。さもなければ組織を作る意味がない」 続く

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