マガジンひとり

自分なりの記録

旧作探訪#77 『永遠のモータウン』

2009-10-26 22:22:09 | 映画(映画館)
Standing in the Shadows of Motown@渋谷・ヒューマントラストシネマ文化村通り、ポール・ジャストマン監督(2002年アメリカ)
「ヒート・ウェーヴ」「マイ・ガール」「リーチ・アウト・アイル・ビー・ゼア」「ホワッツ・ゴーイン・オン」…世界で一番数多くのヒット曲を世に送り出した男たち。
公民権運動とともに黒人音楽が市民権を得ていくのに主要な役割を果たし、マーヴィン・ゲイ、スプリームス、スティーヴィー・ワンダー、ジャクソン5など多くのスターを輩出して数え切れないほどの名曲を世に送り出した、モータウン・レコード。そのレコーディング・バンドとしてあの独特な“モータウン・サウンド”を確立し、陰から支えたのがファンク・ブラザーズと呼ばれるミュージシャンたちだ。もし彼らがいなければ、星の数ほどのヒット曲も、その輝きを半減させていたかもしれない。
しかし彼らの卓越した演奏力と斬新なアイデアが助けた偉業であったが、隠れた存在の彼らにもたらされた名誉はあまりにも小さかった。誰もが記憶するフレーズなのに、初期のモータウンはレコードに演奏者のクレジットを記載しなかったため、その名前が一般に知られることはほとんどなかったのだ。
やがてモータウンがデトロイトから西海岸へ移ると彼らは仕事も失ってしまう。この映画では、彼らの足跡を追う本を基に、そのインタビューや演奏シーン、そして亡くなったメンバーもいるが久しぶりに再会してチャカ・カーン、ジョーン・オズボーンらをゲストに豪華ライブを繰り広げる様子を描く、心躍る音楽ドキュメンタリー。とともに映画化によって彼らの功績はあらためて見直され、2004年グラミー賞でファンク・ブラザーズが功労賞を得ることにもつながった。



先日の『ラブドール 抱きしめたい!』は、いつもの映画の感想記事よりも、その記事単独での来訪者が多く、1日あたり70から120名ほどに達する。2週間限定でのレイトショー公開という珍品で、オラの見た13日目にはお客さんが15~20名くらいだったのに…。
映画館でお金を払って見るのはいやでも、とりあえず情報だけはつかんでおきたいという隠れた需要があるのね。その映画はダッチワイフの宣伝フィルムみたいなものなので、採算はそれほど気にしていないかもしれないが、映画館や洋画の配給会社がバタバタつぶれるなど、映画を取り巻く状況はかつてないほど厳しい。旧シネ・アミューズも、下の階のシネ・ラ・セットがつぶれ、名前を「ヒューマントラストシネマ」と改めるなど危ない予兆はあったが、『ラブドール~』の際にユーロスペースで「さよなら興行」と題して、10月いっぱいで閉館するのでこれまでかけた映画の中から選んで上映します、と書かれた白黒コピーのペラ紙を見つけて、ああ、つぶれるのか…と。
“ヒューマントラスト”なんて保険会社みたいな名前だと思ったら、経営するシネカノンが同名の人材派遣会社に映画館命名権を売ったとのこと。「トラスト=信頼」という名で人材派遣のピンハネ商売。ったくウソばっかつきやがって。
にしても映画と金融が似ているのも確か。ミニシアター系の佳品を配給する会社が減ってしまったので、安全策の娯楽映画、ゲームみたいな映画ばっかで足が遠ざかる。無料でダウンロードできるゲームがいっぱいあるご時世。ゲームみたいな映画にお金を払うんだったら、ゲームをやるでしょうね。そういう映画を見るお客さんは。
オラはゲームなどやらないが、時間の多くを音楽に費やす。音楽サイトpitchforkが、2000年代の優れた500曲を発表したので、すべては無理でも、よさげな曲はできるだけ集めようと。そして、自分でもその年代の曲を200位までチャート化して年末に発表しようと。そのためすでに持ってる曲も厳しくチェック。pitchforkの奨める未知の曲たちが新たに入ってくるが、時間は有限。移動の時間も聞きまくって、つまらない曲はどんどん削っていかないと、過去の膨大な音楽を消化しきれない。
きょう、映画館までの中で、エミネムの「Now I'm Gone」が削られることが決まった。リリースから4年経って、すっかり輝きを失った旬の商品。そこで語られる、離婚して娘と離ればなれになってどうたらこうたら、なんてエミネムの私生活に興味はない。女性週刊誌みたいなやつやな。pitchforkの00年代の500曲で彼の曲は3曲が入選してるが、ローリングストーン誌の(ずっと過去からの)500曲に選ばれたほどの「Stan」が漏れた。
ストーカーみたいなファンレターを送りつけてくる男のことを語る。考えてみれば、それは「有名人であるエミネム」に寄りかかった設定である。純粋な創作とはいえないかも。
モータウンの映画は前にも見たのでだいたい憶えていたが、このほどあらためて印象に残った部分が。テンプテーションズの「マイ・ガール」のあまりに有名なギターのリフを演奏したロバート・ホワイト氏。惜しくも映画化よりかなり前に亡くなってしまったが、生前の彼を訪ねたかつての同僚と一緒に入った店で、「マイ・ガール」がかかったのだという。彼は店員に「ほら、この曲の…」と言いかけたが、自分が演奏したギターなんだよ!と言わなかった。「いかれた年寄り」と思われるだろうと。
永遠に輝くような名曲なのに、携わったことをひけらかさないなんて、彼らの人がらをしのばせますね。いやもう、「エミネムのStan」じゃないんだけど、今のマスコミにのさばっている人たちは、自分が発明するんじゃなくて、いかに他人を使い倒すか、でしょ。使う他人とお客にえばり散らし、金も儲ける。
いや島田紳助はわりと最近までちゃんとした仕事をしていた。ここで特に名指したいのは太田光。あいつは最低だ。
ちゃんとした仕事をしたのはごく短く、司会者として、本書きとして、夫婦で芸能プロを経営して、とにかく他人をエサにすることばかり考えてやがる。それでいて社会派ぶったりね。
スポーツにまつわる社会問題では、必ず二宮清純がコメント。貧困にまつわる社会問題では、必ず雨宮処凛がコメント。既得権益。彼らはすでに有名人として生きることに慣れきっており、厳密な意味でリアルな社会のことを語れるはずがないのに。小説、映画、テレビ、雑誌といった、媒体的な意味合いで成り立ってきたものが、利権にまみれて新陳代謝がなくなって沈没しかかっている、のようなことにも薄々気づきながら、手を放すことができないんでしょ。
え??弊ブログ『マガジンひとり』??なにしろ「ベニスに死す計画」の彼からも出資を断られてしまい、利権を築こうにも築けませんので、独りでこつこつやっていきます。特段の発明もできませんが、今年は【●賀さつきの腋毛の需要】を発見したよ??
あの記事は今でも、日に数名の来客があるんですわ。オラ自身、有●さつきの腋毛なら死ぬまで見ていたいし、そういう自分が欲しいものについては、これからも本気で追い求めていこうかと。


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