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「カチューシャの唄」─音楽が、その威力を知ったとき

2011-01-21 22:58:15 | 読書
『流行歌の誕生 「カチューシャの唄」とその時代』 永嶺重敏 (吉川弘文館・歴史文化ライブラリー、2010年9月刊)
♪カチューシャかわいや、わかれのつらさ─大正初期に空前の大ヒットとなった「カチューシャの唄」。歌ったのはスター女優・松井須磨子で、恋人・島村抱月の芸術座の舞台で、劇中歌として作られたものである。
ラジオがなく、レコードもほとんど流通していない当時、この歌は芸術座の地方巡業や、それを見た学生、流しの演歌師などにより、全国的に愛唱される、わが国のポピュラー音楽史上初のヒット曲となる。本書は、その過程にたずさわった人びとの姿に焦点をあて、かつて流行歌がわが国の社会でどのような役割を果たしたかを明らかにする。

きょう昼、いつものようにアイチューンを流していると、山下達郎の「ヘロン」が聞こえてきた。悪い曲ではないが、前後を、洋楽のポップスに挟まれては、いかにも演歌然としていることは否めない。
しかも直後にかかったのが、デルフォニックスの「Didn't I (Blow Your Mind This Time)」なのだ。
山下さんはさァ、デルフォニックスの「La-La-Means I Love You」をカバーしたことがあったでしょう。彼らの代表曲。
「Didn't I~」は、2番目のヒット曲である。オラのアイチューンには、デルフォニックスは、その2曲しか選ばれていない。
が、山下達郎の直後にかかると、いずれにせよ日本人には逆立ちしても書けない曲だということがあからさまに。
結局、デルフォニックスには、同じ英語圏にライバルが1000組とか2000組とかひしめいているから2曲しか線上に上ってこず、山下達郎は5曲選ばれているといっても日本という音楽低国の中にあって優秀だというのに過ぎないと実感。
山下さんが長く活躍し、「RIDE ON TIME」や「クリスマス・イヴ」をはじめ、多くの国民に音楽を知らしめているということは、日本語という非関税障壁に守られた閉鎖的な市場においてのみ“相対的に”起こる現象で、全世界の無差別な土俵で、彼の音楽が“絶対的に”すぐれているかどうかの保証には、まったくと言っていいほど、ならないのだ。



↑芸術座の舞台『復活』でカチューシャを演じる松井須磨子

絶対的な品質の保証にはならないが、《日本国》あるいは《日本語》が続く限り、その中での相対的な品質は保証され、その間はそれに基づいてお金と権力が得られることもありましょう。
すなわち、世界の音楽の中で、J-POPや演歌・歌謡曲が、奇妙な音楽に聞こえるゆえんであり、その発祥が大正3(1914)年の「カチューシャの唄」にあることを、本書によって知った。
ラジオがなく、レコードは普及し始めたばかりの時代、音楽とは「聞くもの」ではなく、「歌うもの」だったという。明治大正の人びとは学校や公共空間、日常生活のさまざまな場面で、声に出して歌う習慣になじんでいたというのだ。
そして、そこで歌われる歌を、知らせる、ラジオでもレコードでもなく歌詞とメロディーを教えるものは、人力の口コミがもっぱらで、ことに酒場や縁日で2人1組となって営業する「演歌師」は大きな役割を果たしたが、どちらかといえばそれは「下からの動き」である。客層や曲目も、野卑なものが多かったろう。
そこへ初めて「上から」大きな流布力を発揮したのが、トルストイの『復活』が悲恋ものに脚色され舞台興行にかかり、その中で2度、主演の松井須磨子によって歌われた「カチューシャの唄」であった。
若い貴族ネフリュードフから手ごめにされた召使いのカチューシャは、転落してやがて殺人の嫌疑がかかった法廷でネフリュードフと再会し、彼からの求婚を断って、ついにはシベリアへ送られる─。
曲調も、唱歌風のハイカラなもので、観劇した者は、劇場の廊下に貼り出された歌詞の前で、ノートに記したり、覚えたてのメロディーを口ずさんだり、ひいては曲が目的でリピーターとなって劇場に通ったり─といった熱狂ぶりを示した。そして、芸術座が巡業を打った土地では、たちまちのうちに学生や若い労働者を中心に、燎原の火のごとく歌が広まっていったという。



↑同じく芸術座が大正4年の『其前夜』で使った「ゴンドラの唄」では、ライオン水歯磨の協賛広告も登場

流行歌の出発点として、ことに重要に思われるのは、この歌が演劇=伝統芸能ではない、日本人が白人の貴族を演じる=の劇中歌であり、演劇と音楽が相互に演出効果を発揮するということと、さらに言えば松井須磨子の歌唱力はほとんど問われなかった=貧弱なものだったらしい=ということである。
紆余曲折あれど、いま、アイドルとの握手で釣って同じCDを何枚も買わせるとか、アニメやゲームに没入する者のための音楽、そうした例に限らなくても、冒頭の山下達郎みたく、ロマン派クラシックの系統の演歌、いや演歌そのものがクラシックに基づくので、極論すれば浪花節─とまで言いたくなるような、わが国のすべての音楽の現状に直結する、日本国民であることの原点まで明治大正の人びとの姿にしのぶことのできる一冊でした。
と同時に、100年ほど前から、そんなふうに続いてきたのだとすれば、世界の音楽と混ぜ聞きして、日本人の音楽に覚える奇妙なもの、それこそが《日本人らしさ》なのではないかとも思い、さらにほかの分野も併せ、ほじくり返してみようかとも。

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The opening of Japan (noga)
2011-02-12 03:22:39
我々日本人は、英語を通して世界中の人々に理解されている。
かな・漢字を通して理解を得ているわけではない。
我が国の開国は、英語を通して日本人が世界の人々から理解してもらえるかの努力に他ならない。
我が国の内容を変えることなく、ただ、法律だけを変えて交流したのでは、実質的な開国の効果は得られない。
この基本方針を無視すると、我が国の開国も国際交流もはかばかしくは進展しない。
この基本方針に関して、我々には耐えがたきを耐え忍びがたきを忍ぶ必要がある。
http://e-jan.kakegawa-net.jp/modules/d/diary_view.phtml?id=288248&y=2009&m=11&o=&l=30

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