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読書録 #31 — 大転換、ほか

2022-06-21 18:58:39 | 読書
メノ・スヒルトハウゼン/都市で進化する生物たち/草思社2020・原著2018
新型コロナウイルスの全貌はいまだ謎であるが当初からAIDSに似ているとかBCGが有効らしいとか後遺症・ワクチン副作用として心筋炎や帯状疱疹が挙げられるとか、既存の感染症の要素を取り入れて密集して住む哺乳類に爆発的に広まるよう「隙間産業」的に生まれ、変異を続けている様子だ。著者は大型の動植物の形態の変化は意外に早く起き、ヒトが何十倍に増え景観がみるみる変わる都市はそうした適応の博覧会であるとする。仙台市のハシボソガラスが自動車を利用してクルミを割る、森ビルが高層の屋上に里山を再現しようとしているなど日本の例も挙げられ、著者の好奇心と博愛に打たれる。


ニール・シュービン/ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト/ハヤカワノンフィクション文庫2013・原著2008
「私たち哺乳類は1回だけ歯が生え変わるのに対し、ふつう爬虫類では生涯にわたって歯の妖精が訪れて、摩耗したり壊れた歯をたえず取り換えてくれる」。恐竜時代にいた犬にそっくりな爬虫類には「犬歯」はなく、どの歯も同じブレード状。哺乳類では臼歯や門歯のような役割分担で、より生き延びやすい食生活を可能にしているが、永久歯をなくしたらそれまでだ。
本書から離れるが芸人のラランド・サーヤって優秀そうだが「人類の文明は宇宙人がもたらした」って信じてるらしい。似た男女コンビの蛙亭は面白かったが最近小さくまとまってしまい興味が去った。日本人は1人になって深く考えることがない。立場で言動が変るし(なのでIT化が進まない)、悪名高い野口英世をはじめ学問を立身出世の手段としか考えない者が多い。本書は学問の喜びにあふれ未来を照らしてくれる。


網野善彦/日本中世に何が起きたか 都市と宗教と「資本主義」/角川ソフィア文庫2017・原著2012
このように、海辺、山中、平地の百姓たちがみな決して直ちに「稲作農民」などとはいい難い多様な生業に従事し、それに支えられた多彩な生活をしていたとすれば、こうした人びとを支配する荘園・公領の荘官、地頭や預所の代官たちも、またそれなりの対応をしなくてはその立場を保持しえなかったのは当然であった。
これらの荘官・代官が現地に館(たち)を備えていたことはいうまでもないが、そこは農業経営の拠点と見るよりも、政所(まんどころ)として政庁の機能を持っていたと考えるべきで、代官自身の活動も十三世紀後半から十四世紀に入るころには、領主というよりも、徴税請負人として有能な経営者の風貌を持つようになっていた。 
このような代官の活動については新見荘の建武元年(1334)の代官尊尒(そんじ)の注進状に即して別に詳述したので、ここでは繰り返さないが、百姓たちと正月や神事、年貢の納め終った倉付などのさいに、豆腐、魚などを肴として酒を飲みかわし(中略)
国司の使の入部に当ってはこれを酒食で接待してそつなく送り出し、以上の収支をそれぞれ同額にした結解散用状(けちげさんようじょう)=決算書にまとめ、付属書類を付けて、これらを寺に送る。
これが代官の毎年の業務であり、それをこなし切るためには、日常的に帳簿を作成、整備して集計、整理しうる計数能力はもとより、市庭(いちば)での相場を誤らずに見きわめる情報収集力、為替手形を入手して送進するだけの経済力や交渉能力、百姓たちとの付き合いや外部の有力者の出入りに当っての接待を円滑に行いうるだけの外交能力を備えていなくてはならなかった。
日本の主要産業は中抜きです!! 原発事故の除染でもオリンピックでもマスクを配るのでも身内の中抜き最優先、それだけは素早いです!!




牧原憲夫/客分と国民のあいだ 近代民衆の政治意識/吉川弘文館1998
「上野公園で開かれた第1回東京市祝捷大会の日は、市中に日の丸・連隊旗がひるがえり、職人等はおおむね業を休み、問屋向の家々にては丁稚小僧に外出を許しという事実上の休日になった」「そうした祝祭的雰囲気のなかでの『日本の連戦連勝』は、近代社会の弱者・敗者でしかない民衆にも、強者の一員としての我らという自尊心をもたせてくれた」「依然として『反・お上』気分を多分に保持していた民衆は、政府や地域指導者層の説教よりも、かれら自身の祝祭願望や逸脱的心情、徳義と制裁の観念を媒介に、お互いを煽りたてあいながら自発的に『国民』になっていったのである」「カネッティ『群衆と権力』などがいうように、人びとを群衆化させる契機のーつに祝祭があり、群衆の特質のーつに迫害・リンチがあるとすれば、国民化とはまさしく民衆の群衆化の一形態といってよかろう」。
また政府の側からも森有礼(ありのり)文部大臣が、天皇に向かって失礼だという反対論を押し切って、帝国大学学生5000余名に準備させて憲法授与式を終えた明治天皇皇后に向け「天皇陛下万歳・万歳・万々歳!!」と絶叫させ、これこそバンザイが一般化する(古代の天皇の慶事ではバンゼイと漢音で発声された)嚆矢であったという。


黒田充/あれからどうなった? マイナンバーとマイナンバーカード/日本機関紙出版センター2020
共産党系の出版社のようで、生硬にファクトを列挙し、マイナンバーが国民主権に反するものであることを訴える。私も意見は同じだが観点は違う。そも「個人情報保護法」は銀行やカード会社などにとって責任逃れの官僚主義のために使われている面があり(個人情報保護法があるのでそれ以上のことを他部門に申し送ることはできません)、国税と社会保障(年金・医療・雇用保険)という縦割りのTHE官僚組織が、マイナンバーによって国民個々の財布を管理するというのはナンセンス、絵に描いた餅である。アマゾンとグーグルは中国政府。テック企業中でも頭抜けて巨大な権力。膨大な情報を集めて日進月歩で管理システムを洗練させることができるから。主婦のように狭い世間に捉われ、エコー・チェンバー的な幼児性のかたまりで変化を恐れる日本の組織人とは次元が違うのだ。


カール・ポラニー/大転換/東洋経済新報社2009・原著1944
副題「市場社会の形成と崩壊」。本書の核心、自己調整的市場と擬制商品「労働・土地・貨幣」、これらは自然の一部を表象化したもので、本来的な商品ではないため、市場が拡大・専制化するに従って人間が「労働・土地・貨幣」に支配されるようになり、人は不幸になり環境は破壊され周期的に金融危機が起る。この「自己調整的市場」=経済活動がすべて人工・観念的な商品市場に依拠する形は19世紀のイギリスが生んだ突然変異であるとしているが、本書の警鐘も空しく大戦後には新自由主義が台頭して国家の経済への不干渉を主張し、さらにインターネットが普及するに至って人間の時間=生命活動そのものが擬制商品化する文明の黄昏を迎えているように思える。


E.M.シオラン/涙と聖者/紀伊國屋書店2021・原著1937
「キリスト教はその一切合切が涙の発作にすぎない。私たちに残されているのはその苦い味だけだ」。
生に対する呪詛を発し続け「反出生主義」の元祖的存在として注目を集める異端の思想家シオランが祖国ルーマニアを去りパリのアパートに落ち着いて母国語でしたためた、短い警句を多数収める一冊。「誰(父親)の子なのか」。人類の文明はこの一点から生まれ、神が死んだとされる現代はむしろ父権的な支配(言葉・お金・国家など)を母性的な監視(日本の場合は「世間」が担っていたがテレビやインターネットのような疑似世間が世界的に発達)が補って空前の生きづらい時代が到来している。


竹森俊平/1997年─世界を変えた金融危機/朝日新書2007
円安が深刻化するも国債の金利を抑えようと金融緩和を継続する日銀。じきに日本発の金融危機・世界同時株安もありうると考え、拓銀や山一證券の破綻を招いた1997~98年のアジア通貨危機について振り返る本書を再読。①米銀によるタイ・インドネシア・韓国など通貨危機が連鎖したアジア新興工業国への融資は大きくなかった②特に最初に危機が起ったタイへの融資で邦銀が突出し、他の国々でも危機が本格化すると、最初に融資を引き揚げたのは邦銀であった③これらの国々では米財務省の意向を受けるIMFによる苛烈な構造改革が実行され、危機は流動性危機に過ぎなかったので経済は短期で回復したものの、外部の手で改革されたトラウマが残り東アジア全般に貯蓄過剰の傾向が生じた。
こうした過剰貯蓄と低金利は本書の出版当時(2007年10月)深刻化していた米サブプライム問題と翌年のリーマンショックにつながる。個人は失敗を反省できても集団では無理だ。著者は「日本の場合、一番恐れるべき不確実性は凶暴な国際資本の力ではなく、常に内なる問題。外部からの統制や監督が不十分で、自己の論理だけで生き残る組織の闇」と指摘。大戦末期に匹敵する政府の借金は国内で消化できており、高齢者が今すぐ円をドルに換えようと銀行へ走る事態は考えにくいが、そのぶん安倍の時限爆弾は巨大化・先送りされる。


ハジュン・チャン/世界経済を破綻させる23の嘘/徳間書店2010・原著2010
リーマンショック直後だけに原著と同年に翻訳出版。「金融市場の効率化こそ国に繁栄をもたらす」「努力すれば誰でも成功できる、教育こそ繁栄の鍵」といった自由至上主義の説くウソの数々を暴き、金融や社会保障の自由化、累進課税の低減といった近年の傾向を抑制する「大きくて活発な政府」が必要であると説く。1963年韓国ソウル生まれとのことで日本の財界とも交流があり、90年代半ば世界銀行の東京での会議で神戸製鋼幹部が「すべての者はおのれの利益を追求するなどと考えてしまったら神戸製鋼にせよ政府にせよ巨大な官僚組織を運営することなどできない」と各国のエコノミストをたしなめる場面も登場。
政府に財閥・トヨタ・NTT・ゼネコン・原子力村などぶら下がりそれらのすべてが多数の下請け・グループ企業を有する日本は「大きくて不活発、誰もが保身しか考えない井の中の蛙」となって台湾や韓国に追い越されてしまったのである。




藤子不二雄A/毛沢東の長征/徳間書店1990・原連載1970-71
先ごろ死去したA先生が、『怪物くん』などギャグ漫画しか手がけておらず国交回復前で資料の少ないなか苦労して漫画サンデー「革命家シリーズ」連載のため執筆。匿名で当地の写真など資料が送られてきたこともあったという。
日本の明治維新は革命ではない。西日本の藩閥=武士階級によるクーデター。武士階級の発想としては欧米のキリスト教文明を受け入れ、自分たちの統治を維持できる「神を天皇に取り換えた軍国主義・脱亜入欧」しか選択の余地はなかった。本書は、人民共和国成立の前後で2つに分れるとされる毛沢東伝の前半のみを描くが、それでも後半の「文化大革命」が単なる権力闘争の殺戮でなく、既存の知識階級を壊し平等に貧しくなるという「貧しい農民の視点」が継続することで、毛の存命中には叶わなかった国恥150年をすすぎ超大国に復帰しつつあるという中国史・世界文明史への理解が深まる一冊である。藤子A先生のご冥福を祈ります。
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