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読書録 #35 — ヒトは〈家畜化〉して進化した、ほか

2023-05-10 17:46:11 | 読書
レイモンド・チャンドラー/長いお別れ/ハヤカワ・ミステリ文庫1976・原著1954
富豪のポッターは言う。「金というものは不思議なものだ。ひとところに多額に集まると、金に生命が生まれ、ときには良心さえも生まれる。金の力を制御することがむずかしくなる。人間はむかしから金に動かされやすい動物だった。人ロの増加、戦争に要する多額の軍事費、税金の重圧──こういったものが人間をさらに金に動かされやすくしている。ふつうの人間は疲れて、怯えている。疲れ怯えている人間に理想は用がない。まず家族のため食物を買わなけれぱならないのだ。われわれは社会の道徳(モラル)と個人の道徳がいちじるしく崩れ去ったことを見てきている。人間の品質が低下しているのだ。マス・プロの時代に品質は望めないし、もともと、望んではいない。品質を高めると永持ちするからなのだ。だから、型を変える。いままであった型をむりにすたらせようとする。商業戦術が生んだ詐欺だよ。ことし売ったものは一年たったら流行おくれになるように思わせないと、来年は商品を売ることができない。われわれは世界で一ばんきれいな台所と一ばん光り輝いている浴室を持っている。しかしアメリカの一般の主婦はきれいな台所で満足な食事をつくることができないし、光り輝いている浴室はたいていの場合、防臭剤、下剤、睡眠薬それに、化粧品産業と呼ぱれている信用だけにたよる事業の商品の陳列所になっている。われわれは世界で一ばんりっぱな包装箱をつくっているんだよ、マーロウ君。しかし、中に入っているものはほとんどすべてがらくただ」。
殺人を題材とするハードボイルド小説であると同時に米国の郊外・大量消費・拝金を描く物語。


吉田光邦/錬金術 仙術と科学の間/中公文庫2014・原著1963
「中国の錬金術では結果はすでに自明の理であり、操作はすでに確定している結果を実際に導き出すための手続きにすぎないとする。それが現代の科学の論理とまったく異なる点」「現代の科学者はいつもその解決を未来に求める。自分らが創案し、計画した実験の結果のなかから法則を求めてゆこうとする。逆に錬金術師たちは、東西を問わずその法則を過去のなかから、過去のテキストから見出そうとした。彼らにとって過去は完全なもの、過去の賢人は全智全能で、しかるに現実は堕落した時代である」。
このところの炎上案件=暇アノン・ジョーカーやルフィ・AI生成、そして最新やしろあずき等々もっぱら漫画やゲームの延長上で起っている印象があり、それについて「どの世代にも一定数の馬鹿がいて、どの世代にも倫理を欠いた金の亡者がいる。ネット・スマホ・SNSが馬鹿と金の亡者をマッチングさせたのが今の時代」と評する書き込みを見た(なるくんとかいう暇アノンが本人特定されたという嫌儲スレで)。


パコ・ロカ/皺/小学館集英社プロダクション2011・原著2007
ツイッターは地獄。マトモな人もやっているうち狂人に。若い頃になくてよかった。同人アカウントではウヨが多かったり絵のRTが頻繁だったりなのでフォローしていても半数くらいはミュート。そんな私が、この漫画のように認知症など心身が衰え、高齢者施設の集団生活に耐えられるだろうか。統一教会・原子力村・電通やパソナ・ジャニー喜多川などなど避けてなごやかに談笑? 無理。「洗脳を解くのはかえってかわいそう。70の老人から生きるよすがを奪うべきでない」山上母はすべての日本人。そのようにいざなう共犯、日本のくだらないテレビや漫画とこの本は違うが、それでも読了して本を閉じれば人物は遠くへ去ってしまう。他人が作るストーリー自体が無理になってきている。あなたはどう考えるのか、人生のテーマは何なのか、少人数で直接伺いたい。




TKO×浜口倫太郎/転落/幻冬舎2023
素人臭い文章でTKO木本(投資詐欺の方)の視点から2人のこれまでを青春っぽく美化して描く。浜口という人が広告屋・テレビ屋・マネージャーのような立場で一儲け狙ったのかな、帯で千原ジュニアが「映画化させてくれへんか」と。今の時代、悪名でも売ったもん勝ちである。汚職や統一教会などから話題を逸らせる、テレビも新聞も出版もそれで恩を売って政府にぶら下がっていこうと。TKOのネタを見たことがない。若い頃はイケメンコンビだったとのことで、現状の落差をイジられる、でも本当は2人ともナルシスト中年でカッコよくありたい、そこへ不祥事で叩かれる、でも本当は…のような無限ループで生き残りを図るのだろうか。顔と名前が売れている強み。


桜井哲夫/〈自己責任〉とは何か/講談社現代新書1998
「捕虜を虐待して罪に間われた問題で、裁判の報告を読んでけげんに思うのは、すべての被告が異口同音に、自分は収容施設の改善につとめたと力説していることだ。確かに言い逃れではなく、彼らは改善につとめたのだろう。だがなぐったり、蹴ったりしたことも事実なのである。待遇を改善すると同時になぐる、蹴るの暴行がはたらけるという事態こそ、個人の内面的倫理が確立されず、個人の行動の基準が権力との一体化 (捕虜に対する自分の優越を示す権力=暴力の行使)のなかにしかない状況を説明してくれるのだ。そうした権力から放り出され、一人の人間に戻ったときの軍人たちの何という弱々しさだろうか」。
読み応えある。講談社現代新書も今はひどいものが多くなった。00年代の新書ブームと出版不況が相まって粗製乱造に走る各社。私はこれまで多くの過ちを犯してきたが、漫画やテレビの影響があったとしても、ほぼ個人の資質に起因することばかりで、一人で責めを負える。一方日本の社会は中世から〝世間〟と呼ばれる、お気持ちお立場で物事が動き、すべて相対化されてしまう、常に監視や査定や選別を伴ういわば人間マーケットが支配する。勤めや家族・友人のある方々は、世間に背を向けるのは無理でも、せめて世間による監視・査定の〝価値観〟には縛られないよう心がけるべきでしょう。




ジョナサン・ゴットシャル/ストーリーが世界を滅ぼす/東洋経済新報社2022・原著2021
男による少女漫画『エリート狂走曲』以上に、女の伊藤理佐が「ブス・デブ」の脇役を登場させるのは卑怯。漫画やテレビはこうした詐術で客を呼び込む商売なので、どっぷり浸かっていると自意識ばかり肥大して人の心をつかめない失敗人生になる。本当は誰もが人生の主人公の筈だが「人は物語を求める。物語は問題を求める。問題はそれを起こした悪者を求める」というわけで、政治や宗教をはじめ大小さまざまな物語の下僕として生きざるを得なくなる。言うまでもなく物語戦争の最大の勝者はキリスト教であったが、宗教改革と称する新たな物語戦争が起り、近年は共産党にさえ従っていれば商売の自由を認める中国がグローバル資本主義の覇者となり、西側自由社会はQアノン・暇アノンはじめ分断と囲い込みの無間地獄に。他の哺乳類と異なり年中発情期であるヒトが異性を求め社会を形成する性質こそ「誇大妄想的で勧善懲悪的なナラティブ心理」の生みの親。人類の文明が限界に達しつつあることを暗示する、詐欺師が種明かしをするような本。


ウンベルト・エーコ/歴史が後ずさりするとき 熱い戦争とメディア/岩波現代文庫2021・原著2016
ガンヅェンローゼズ、安全どーです。しりあがり寿の駄ジャレ。しりあがり寿や萩尾望都が福島の原発事故が起きてから作品で脱原発を訴えたことに嫌悪感があった。それまで一度でも原発問題に触れたことがあるのか、地球防衛家とか。町山智浩が映画オタクを生み出し、映画オタクがネトウヨやQアノンを生み出し、いまそれと町山が戦っているみたいなことです。本書は近年手にした文明批評系の書籍のうち最もその種のアホらしさを覚えさせる。記号論を代表するイタリアの学者、中世思想家にして人類学の会議を北京やマリで開く。知的ミステリー『薔薇の名前』をベストセラーに。いまのイタリアは極右「イタリアの同胞」メローニを首班とする右派連立政権で、エーコの晩年には安倍やトランプの先駆けといえる愚劣で醜悪なベルルスコーニの時代が続いた。キリスト教が人間を収集・分類する、その過程がルネッサンスであり戦争と植民地支配であり、いまの分断や格差や局地的な戦争や環境破壊であり、本書でひけらかされる博識はキリスト教文明の強欲と無反省の一端に過ぎない。




ケン・クリムスティーン/ハンナ・アーレント、三つの逃亡/みすず書房2023・原著2018
ドイツのユダヤ人女性としてナチ政権とホロコーストを目撃し、後年著した『全体主義の起原』ではソ連のスターリン体制をも批判して時代の寵児となった亡命哲学者ハンナ・アーレント。その生涯を大胆に漫画化し、米紙誌で高い評価を受けた作品。とのことだが文字と人名が多く、絵柄に魅力が乏しい。序盤、大学でハイデッガーの周囲にエリート学生の〝界隈〟が形成され、ナチ協力者であった彼とアーレントが不倫関係にあった描写以降は飛ばし読み。虐殺の中心人物の一人アイヒマンを「完全な無思想性、悪の凡庸さ」と評した裁判傍聴記によってユダヤ人社会から激しいバッシングを浴びたというが、もし政府高官を思想のない小役人として過小評価するなら、ネトウヨや各種陰謀論者が大増殖するいま〝知識人〟も同じ誹りを免れないだろう。


ヨハン・ホイジンガ/朝(あした)の影のなかに/中公文庫1975・原著1935
『中世の秋』『ホモ・ルーデンス』で知られるオランダの歴史家ホイジンガがナチの政権掌握後に執筆した警世の書。フロイト理論を「科学的認識と文化的認識の混同、真理の相対化、倫理を欠いた実用主義」と強く批判したのをはじめ、キリスト教/ヨーロッパ文明の限界を暗示し、優れて今日的。
「こんにち西洋に生きているごくあたりまえの人のばあい、彼はあまりにも多くのことを知らされすぎている」「せまい共同体の形をとっていた社会にあっては、人びとは、彼らじしん、娯楽を創造し、享受していた。(中略)ところが近代文化にあっては、娯楽とは、要するにみな同じことになってしまった」「人間は、およそすべての倫理規範をふりすててしまったぱあいにおいても、なお、他人に対して倫理的な侮蔑感をいだき、他人を断罪しがちなものなのであり、してみれば、この内なる弱さ、あるいは外からの抵抗という概念には、なおいくぶんか残る真正の〝悪〟に対する畏怖の念がつねに混在しているのである。ここからして、混同がすぐ生じる。対立するものがあれば、それはそのまま悪と感じられてしまうのだ」「時代の偉大なる神々、機械化と組織化とは死と生とをもたらした。それは、世界中いたるところに道をつけた、接触の網をひろげた、共同作業、力の集中、相互理解の可能性を創造した。だが、同時にまた、ここにもたらされたさまざまな手段が、精神を縛り、その動きを止め、そのはたらきを停止せしめることにもなったのである。それは、人びとをして、個人主義から集産主義へとむかわしめた。人びとは、これを支持したものの、かれらの洞察は正しい方向にむかわず、ここに、すべて集産主義なるもののはらむ悪い面のみが現実のものとなるにいたった。深奥の個人的なるものの否定、精神の隷従が結果したのである」。


ブライアン・ヘア&ヴァネッサ・ウッズ/ヒトは〈家畜化〉して進化した/白揚社2022・原著2020
副題に「私たちはなぜ寛容で残酷な生き物になったのか」とある。昔の農奴と領主は、物理的には作物によって農奴が領主を養っているにもかかわらず、心理的には逆である。これは会社員と経営者、あるいは会社員と主婦などにも言えることで、専業主婦は夫の給料に依存しきっている状態にもかかわらず精神が安定し、日本の主婦は世界的にみて最長命な集団だ。
思考停止ともいう。牛や馬は、家畜化された世代では野生だった世代に比べ脳が15%ほど縮小する。本書は、チンパンジーの♂が仲間に見せる残虐な習性、対照的にボノボが平和的なコミュニケーションを好むこと、ヒトの定住に伴い、オオカミがその残飯・糞尿を漁るようになってイヌが生まれた(異論もある)など多様な例証を紐解き、類人猿と共通の祖先から分化した初期のヒト族のうち現生人類だけ生き残って繁栄したのは「自己家畜化したサル」ゆえという結論を導き出す。人類の文明とは、目的に応じたさまざまな品種やその改良、自然な生殖よりは「交配」や「繁殖」という家畜化システムの進化を示すに過ぎず、ヒトとしては進化の行き止まりにある。性暴力や差別や大量殺人や依存症はこれからもなくならない。虚無的な結論かもしれないが、私は少数・異端で繁殖させにくい品種の家畜としての生をまっとうしてゆきたい。
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