マガジンひとり

オリンピック? 統一教会? ジャニーズ事務所?
巻き添え食ってたまるかよ

旧作探訪#115 『近松物語』

2010-12-16 23:11:33 | 映画(映画館)
@早稲田松竹、溝口健二監督(1954年・日本)
大映の看板・長谷川一夫を初めて起用して近松の「姦通もの」を制作するにあたり、脚本、セット、音楽など完璧を期した、溝口健二の作劇術が冴え渡る最高傑作の一つ。
「大経師(だいきょうじ)」とも称され、隆盛を極める経師屋で、ふとした偶然が重なって不義密通の嫌疑をかけられた内儀・おさん(香川京子)と、手代・茂兵衛(長谷川一夫)。逃避行を余儀なくされるも、追手を振り切れないと知った二人は心中を決意する。しかし琵琶湖での入水間際、茂兵衛によるおさんへの積年の心情吐露が、二人を固い絆で結びつけ、苛酷な道行きへといざなう─。



ブログには再録していないが、以前ツイッターに「わたしのブログでは、たとえ大川隆法関連の画像だとしても、画像の補正は必ず行ないます」と記したことが。
ええ仕事しまっせ。オラの故・母ぁーちゃんは「経師屋の娘」。
もと、写経や経文の表装を職とした「経師」が転じて、書画の表装=巻物や掛軸や屏風や=をしたり、ふすまや障子を貼ったり、ひいては家屋の内装やリフォームを手がける職人を指す。
前にも述べたが、母の長兄は家業を継いで、次兄もまた同じ職で独立。内装中心で一時は住み込みの職人までいた長兄のほうが商才はあるが、次兄は本来の掛軸や屏風の仕事に優れ、貴重な文化財の補修で実績も。
オラの両親が相次いで自殺して、どうにもならなくなっちゃったどん底の時期に手を差し延べて奔走してくれたのが、その人です。いま76歳で、夫婦ともわりと元気。
はたして祖父より前の代には、どこらへんから経師屋だったのかは確かめたことがないが、この映画を見て、その職が、単なる職人・商人というのにとどまらない、僧侶や貴族や武士や、権力階級とも大いにつながりのあることを知った。
わけがわからないことが書かれた、一枚の紙。それを、たいそうな表装でもったいつける↓ことにより、「田舎ザムライに高く売りつけることができる─」。
「大経師」の主人・以春(いしゅん)は、ほかにも独占的に受注できる特殊な利権を握っており、そうしてたんまり溜め込んだ金で、自分より30も若い美貌の後妻=おさん=をもらって、さらにはお玉という奉公人にも手を出そうと狙う。「家を持たせてやる」とか言って。
お金のためおさんを嫁がせた実家の跡継ぎである兄は、おさんに借金を申し込んで、それが引き金となっておさんが大変な苦労を背負い込んだというのに、「お稽古ごと」などにうつつをぬかす愚か者だし、茂兵衛の同僚たちも一癖も二癖もある者ばかり。そのあたり、やや図式的で、主人公の純愛を称揚せんがため技巧に走った感もあり、『雨月物語』や『山椒大夫』ほど心がゆさぶられはしなかった。傑作には違いないが。
ところで、今週の早稲田松竹、2本立てで併映されているのは溝口の戦前の『残菊物語』。2年ほど前に見たばかりなので、今回は見なかったんですが、オラ歌舞伎を見たことないし、死ぬまで見ないと思うが、『残菊物語』の劇中劇としての歌舞伎はすごいと思った。
海老蔵も、その映画の主人公みたいにドサ回りして芸を磨いてから復帰すればいいんじゃないかね。小林麻央が映画のヒロイン=お徳のように振る舞えるかは分からないが。さらに、マスコミが狂ったように報じるのも、『近松物語』から読み解くことが可能だ。どうってことない書画も、たいそうな表装でもったいつければ「田舎ザムライに売りつけることができる」。
田舎ザムライ=われわれ。マスコミ・芸能界は、これまで海老蔵と小林麻央に少なからず先行投資してきた。いざとなったら、あることないことバッシングしまくって、【いじめエンターテインメント】をわれわれに見せるため。いまが、いざという時であり、マスコミは先行投資を回収しているつもりなのだろう。
大経師ではないが、ブレジネフ書記長とか、金正日総書記とか、共産圏では【書記や秘書】を意味する職務のトップが、そのまま最高権力者である場合が多い。すなわち自由社会のわが国でも、言葉を、情報を左右できる(と誰もが思い込んでいる)マスコミこそ、われわれがくつがえすべき最高権力にほかならない。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 旧作探訪#113 『NICO ICON』 | トップ | ジャケットでいくのさ - 帰っ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

映画(映画館)」カテゴリの最新記事